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第2話

 ちなみにそんな優雅なたたずまいの彼が、実は暴力的な性質も持ち合わせていると、神野は最近知ったばかりだった。  その遼太郎が連れて歩いている背の高い男は、すこし落ち着きが足りないようだ。  なにか楽しいことでもあったのか、男は身振り手振りを交えて遼太郎に訴えかけるように話していた。それにしても相手に対する遼太郎の態度がつれない。男は遼太郎にとって特段気を遣う相手ではないらしい。いや、そもそも遼太郎が他人に気を遣うことなどあるのだろうか、と首を捻る。 「友だちっていうよりかは後輩? それとも弟さんでしょうか?」  篠山には、以前会ったことのある彼の同僚の金山と遼太郎が兄弟だと聞いたことがある。それで遼太郎に兄がいることを知ったが、弟がいるという話は聞いていない。それでも、遼太郎が連れている男をなんとなく彼の弟かな? と思ったのは、彼らのあいだになんとなく上下関係が存在するように見えたからだ。もしくは、男は学生時代の後輩なのか。    ふたりは駐車場のあいだを通り抜けてアパートの外廊下へと向かっていた。はてと首を傾げて、その後ろ姿を眺める神野に、春臣が「はぁ?」と呆れた声をだした。 「なんですか?」 と、春臣を見あげる。 「なに云ってるの、祐樹? あれどう見ても遼太郎くんの彼氏でしょ? 祐樹があれだけ見たい見たいって騒いでいた」 「えっ⁉ うそ……」 「祐樹にはあのふたりのあいだに漂う、甘い雰囲気がわからんの?」  目を見開いて仰天すると、慌てて遠ざかるふたりのうしろ姿と春臣の顔を見比べる。 「ほんとですか⁉」 「わかんないんだね。……まったく鈍いんだから」  ふたりがアパートの建物内に入り住戸へつづく廊下に足を踏み入れるなり、神野は後を追うようにしてささっとアパートの入り口へと移動した。駐輪場にとまる自転車から身を除けながら、アパートの壁に貼りつくようにして隠れる。そして壁からそうっと顔だけを出して、外廊下を進む彼らの後ろ姿を盗みみた。 (…………恋人? ほんとうに?) 「祐樹、なにしてるの? 置いて行くよ?」  あとからやってきた春臣が、自分の横を通り過ぎて廊下に侵入しようとするのを手首を掴んで慌てて引き留める。バランスを崩した彼を強引に引っぱると、壁にくっつく自分の背後に隠すようにした。 「ちょっ、ゆう、――っ⁉」  乱暴な扱いをうけ、膝を自転車に(したた)かにぶつけた春臣が「痛いっ」と文句を云ったが、神野はその口をとっさに塞いで黙らせた。 「しーっ。ちょっと黙ってください! 見つかるじゃないですかっ」 「いや、こんだけ離れてたら大丈夫でしょ? っていうか、いったいなんのつもりなの?」 「しっ!」  遠のく彼らの声を拾うべく、神野も春臣の手をひっぱってさらにひとつさきの角に進む。そして二階へつづく階段の影に隠れると、息を殺して耳を澄ませた。 「いよいよですね。俺、ずっと遼太郎さんの部屋に入るの楽しみにしてたんですよ?」 「ふぅん」 「部屋はそのひとの内面が現れるって云うですか。遼太郎さんの部屋ならきっと片付いていて素気(そっけ)ないんでしょうね。で、どこかにちょこんってかわいいぬいぐるみなんかが置いてあったりして――。あっ、どうしたんですか⁉ どこ行くんですかっ!」 「やっぱ、今日はやめておこう」 「えっ、なんで? ここまで来てそれはないですってば!」  くるりと踵を返してこちらに戻ってくる遼太郎に、神野は慌ててその場にしゃがみこんだ。 「祐樹。ふつうにバレるんじゃない?」  腰を屈めて耳もとに小声で話しかけてくる春臣に、万事休すかとぎゅっと目を瞑る。 「いや、目ぇ瞑ってもいっしょでしょ」  くすくすと笑われる。ぎゃーぎゃー喚く男の声ももうすぐそこまで迫ってきたが、 「あ」  春臣の声に顔をあげると、状況がまた一転したようで。 「うるさいっ。こんなところで騒ぐな」  ふたりのもとに近づいてきていた足音が、すんでのところでぴたりと止んだ。 「えーっ、えーっ! 駄目ですぅっ。この時間ならいいって云ってたじゃないですか。入れてくれなきゃここで暴れますぅ!」 「あーあー。もううるさい。わかった。入れてやるから、とりあえず入ったら玄関ですこし待て。ちょっと部屋んなか片付けるから」 「わかりました。いい子に待ってますからお部屋に入れてください。ささっ」  推定彼氏になかば引き摺られるようにして、遼太郎はまた部屋のほうへ戻っていく。 「あ、さてはぬいぐるみ、隠すんですよね?」 「‥‥‥‥」  それを無視した遼太郎は鍵を挿しこんで扉を開けると「ちょっとそこで待っとけ。静かにしとけよ」と、男を外に残して自分だけさっと身体を玄関に滑らせ扉を閉めてしまった。 「あっ、ひどいっ!」  虚をつかれた男は、目のまえでしまった扉に呆気にとられていたようだが、暫くすると何事もなかったような顔をして外廊下の腰壁に凭れると、すらっとした脚を組んだ。 「すごいです」 「なにがぁ?」 「遼太郎さんのベッドのうえに、これっくらいの白いアザラシのぬいぐるみがあるんです」  しゃがんだまま神野は自分の胸のあたりで両手を広げると、二十センチほどの楕円形を空に描いてみせた。

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