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第3話

「なんであのひと、そのことを知ってるんでしょうか?」  首を伸ばして所在無げに立っている男を観察する。そして突っ立ったままの春臣に気づくと腕を引っ張った。 「もぅっ。春臣くん! もっとちゃんと隠れてください」 「いや、祐樹のほうが怪しいよ……」  すると気配を感じたのだろうか、ふと顔をあげた男がこちらに視線を向けた。とっさに春臣の腕をひっぱり自らも顔をひっこめた神野はどきどきする胸を抑える。 「今、こっち見ましたよね?」 「いいや。平気でしょ? いま遼太郎くんの部屋はいっていったよ。セーフセーフ」  頭を撫でられ安堵する。 「あのひと、ほんとうに遼太郎さんの云っていた新しい恋人なんでしょうか?」 「いや、どう見てもそうでしょ? ほらっ。俺たちも部屋戻るよ、祐樹立って。こんなところにいつまでもいたら、体が冷えちゃう」  手を伸ばしてきた春臣に(すが)って腰あげた神野は、外廊下を部屋に向かって歩きだした彼の後ろにつづいた。後ろにいるものだから、春臣の意味ありげに(ほころ)ばされた口もとなんて見えはしない。  会話から察すれば、やってきた男は「この時間ならいい」と限定で遼太郎にここに連れてきてもらっているのだ。  今日は嵐のあとの片付けのせいでこんな時間まで掃除をしていたが、いつもならこの時間にはとっくに掃除は終わっていて春臣も留守であることが多いし、そして神野は昨夜から篠山の家に泊まっていることになっている。  遼太郎がふたりと彼が出会わないように工作したことは明白なのだが、神野はそのことに気づいていなかった。  足をとめて振り返った春臣は苦笑いしていて、無垢な表情(かお)をあげた神野は「なんですか?」と(まばた)く。 「そういえば、祐樹。なんで昨日帰ってきたの?」   訊かれた神野はその理由を思いだして、くぷっと唇が尖る。いい歳したおとながケンカをしましたとは正直云い難い。 「アパートのことが気になったんです。強風のせいできっとひどいことになっているかなって思いまして……」 「あぁ、そうなの? まぁ助かったけどね。あんな時間に帰ってくるから、ケンカでもしたのかなって思ったんだけど、その割には祐樹機嫌はよさそうだったし、どういうことかなぁーと……」 「えっ?」  あれだけ怒ってぷんぷんしていたつもりの自分が機嫌よさそうに見えていただなんて⁉ 昨夜自分が腹を立てる原因になった篠山のデリカシーない発言を支持するような春臣の言葉に、そんなバカなと神野は言葉を失いかけた。 「あ、あの。機嫌……、よさそうでした?」 「うん」  眉間を寄せておずおず問いかけてみると、あっさり頷かれて神野はがくっと肩を落とす。 「ほら、いくよ」  部屋のまえまでやってくると頼むまでもなく、春臣は隣りの部屋に気遣ってか音をたてないように開錠して、静かに扉を開閉してくれた。それにほっとした自分は、どうやら遼太郎に気づかれて警戒されたくないらしい。  中にはいるとさっさと手洗いうがいをすませて、コートを脱ぐこともしないまま自分の部屋に向かった。暖房もつけずにベッドに乗りあがって壁にぴたりと耳をあててみたが、遼太郎の部屋からは物音も声もしてこない。彼らがダイニングルームのほうにいるのか、もしくはこのアパートの壁の防音性が高くて聞こえてこないだけなのか、どっちだろう。 「なにも盗みぎきなんてしなくても。気になるなら声かけて紹介してもらえばよかったのに」  覗きに来た春臣に云われて、神野は「なんか。逃げられそうで……」と小声で答えた。そうっと壁に凭れて目を閉じる。  見かけた彼らのあとを追ったのも、ふたりの会話に聞き耳を立てたのも、すべてがとっさの行動だ。神野は、いったいなにを思って自分がこんな馬鹿なことをしているのだろうかと自問してみる。 「それって、祐樹が疚しい気持ちだからそう思うんじゃないの?」 「そうかもしれないです」  こっそり盗み見ていたふたりのやりとりを思い返して首を捻る。遼太郎と男は恋人同士に見えないこともないけど、仲のいいだけの先輩後輩の関係という線も消えない……。ここはやはりはっきりした確証が欲しいところだ。 (そっか……) 「私は遼太郎さんが絶対に篠山さんのところへ戻ってこないっていう保障が欲しいみたいです」 「なるほどねぇ。嫉妬ですかぁ。まぁ、遼太郎くんなら、訊いてもそれとなくはぐらかしそうだけどね。でもさ、ひょっとすると祐樹にだけだったら紹介くらいはしてくれたんじゃないかな?」 (俺にだけだったら?)  それがどういうことなのかわからず、小首を傾げながら続ける。 「うーん。それだけじゃ、物足りない気がします。もっとじっくり遼太郎さんの相手がどんなひとか知りたいって思ったんです。あっ、名まえはもう知っています。坂下吏一郎(りいちろう)さんです。でも出会った経緯(いきさつ)とか、いつからつきあっているのかとか、あと、」 「……祐樹、それってさ」 「はい?」  遼太郎の彼氏の名まえを意気揚々とあげた神野は、半眼で見下ろしてくる春臣に話を遮られ、なんでしょうかとぱちくり(まばた)いて居住まいを正した。 「いや、いいか。なんでもない」  肩を竦めた春臣は、「十時になったら家でるからね」とだけ云い残し、部屋から出ていった。 「……?」

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