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第6話

 結婚記念日からおよそ半年が経った。  あれから二人の関係は改善されたかに思えたが、再び不穏な空気を見せ始めた。最近では些細なきっかけから大きな言い争いに発展してしまうこともあった。  それは主に陽介から切り出されるものであるが、陽介の言い分としては修一の身を案じた正当な主張だ。  酒の飲み過ぎだの、帰ってくるのが遅いだの、もう少し仕事をセーブして家で休む時間を作れないのかといったことだ。  極力オブラートに包んで伝えてはいるつもりだが、内心の不満が現れているのだろう。皮肉混じりに言ってしまうこともある。   修一は、そんな陽介の度重なる苦言に辟易しているようだった。  最近は喧嘩ばかりで家の中の雰囲気が暗い。会話をすると喧嘩に発展するからお互いそれとなく避けているのだ。  そして今日も、些細なきっかけから言い争いに発展してしまった。  とうとう陽介は、日頃の不満を抑えきれず決定的な一言を放ってしまう。 「……こんなんじゃ、いつになっても子供なんて作れないよ」 「……は? 子供? ……なんで子供の話になる」 「修一が仕事ばっかりで全然家にいないからじゃないか。セックスだって、最後にしたのいつだよ。いつも疲れてるからって誤魔化して!」 「寂しい思いをさせてるのは悪いと思ってる。だけど子供の話はなんだ? そもそも、結婚前から俺たちは子供は作らないって約束だっただろう」  修一の表情が険しくなる。 「約束って言うけど、あれは修一が一方的に宣言しただけじゃないか。じゃないと結婚しないって……。それに、前に一緒にでかけたとき、子連れ夫婦を見て、いいなって……」 「あれは、お前が幸せそうだって言ったから同意しただけだ。欲しいって意味じゃない。言ったろう、子供は作らない」  もう一年以上前だ。二人で郊外のショッピングモールに出かけた際、自分たちと同じくらいの年代の子連れ夫婦と思われる三人組が、子供の両手をそれぞれ繋ぎながら仲睦まじそうに歩いていた光景を思い出す。  いつか自分たちもああなれたらいいと、思わず口にしてしまったのだ。 「……その一緒に出掛けたのだってだいぶ前じゃないか。仕事仕事って、ここ数年そればっかり!」  仕事と家庭、どちらが大事なんだと、流石にそんな馬鹿なことは言わない。  修一は弁護士の仕事に誇りを持っている。やり甲斐も感じているし、職業人として社会的に成功したいという野心もある。  それは十分に理解しているつもりだ。修一の仕事がとても忙しいことも知っている。弁護士として守秘義務がある以上、仕事の内容は殆ど教えてもらえないが、修一が自宅で調べている資料(一般人でも手に入る程度の守秘義務に抵触しない程度のものだ)を見ると、恐らく一昨年あたりに起こった某有名自動車メーカーの大規模なリコール問題に関わっているのだろう。  修一の務める事務所が請け負っていると、なにかの記事で見た覚えがある。  事実関係の調査やメディアへの対応、行政や投資家への説明、それに関連する訴訟など多くの人間や多額の金が動く案件だろうと推察できる。  そういった危機管理案件は1年や2年で片付く問題ではない。今でも訴訟は続いているし、時折ニュースとなってテレビで流れていることもある。  それに輪をかけて修一を忙しくさせているのは、修一が『Ωの弁護士』であるということだ。  昨今、バース性による格差は減少傾向にあるとされているが、実際のところは違う。Ωの大学進学率も、ホワイトカラー職への就労も割合としてまだまだ少ないのが原状だ。  それでも少しずつΩの社会進出が進む中で社会に注目されつつある問題がある。それは企業内におけるΩへのハラスメント問題である。  企業で働くΩに対し、今まで黙認され続けていたΩへのハラスメント被害が、SNSでの事実の拡散によって社会的に大きく取り沙汰されるようになった。悪質なセクシャルハラスメントを黙認していた大手食品企業がSNSでの動画リークで炎上、不買運動からの株価急落。たった数分の動画から始まった、頭を抱えるような大規模な損害に、企業は大金と人員ををつぎ込んで対策せざるを得なくなった。  その問題に白羽の矢が立ったのが、数少ない『Ωの弁護士』としての如月修一である。  大学在学中に司法試験予備試験に合格し、司法試験の受験資格を得た後、司法試験合格。大学卒業後に一年間の司法修習を経て、23歳という若さで弁護士となり今の法律事務所に就職している。  修一の仕事ぶりを目にしたことはないが、任されていく仕事の多さや、上司から気に入られている様子からすると優秀なのだろう。  Ωの弁護士は希少で、その上さらに優秀でとなるとその数は圧倒的に少ない。さらに見目もよく、同じΩということで被害者や原告からは非常に心象が良く、スムーズに事が運ぶらしい。  事務所の指示で、Ωのハラスメント問題についてテレビの取材を受けた修一は、一時SNSで話題となった。そしてその『イケメンΩ弁護士』を特集するネット記事に、彼のその華々しい経歴や写真とともに、そういった評価が数多く書かれていた。  カメラの前でも臆することなく毅然に、理論整然と話す姿はとても魅力的で、同時に男女問わず魅了してしまうような危機感を感じたのも事実だ。  この人は自分の夫ですと世界中に触れ回りたくなる思いをどうにか堪えたものだ。 「すまない…………だけど、今は本当に大事な時期なんだ。大きな案件も抱えてるし、これさえ無事に片付けば時間ができるはずだから……それまで今は、堪えてくれないか」  沈痛な面持ちでそう懇願する修一に、陽介は心の奥底にしまってあった願いを口に出す。 「…………じゃあせめて、番になってよ……」 「……その話もしてあったはずだ。無理だよ」 「なんで無理なの? 俺、修と別れたりしないよ、先に死んだりもしないって約束する」  陽介の心からの願いを、修一は無情にも突き放した。 「そう言ってくれるのは嬉しい。お前のことを愛しているよ。……でも、それでも嫌なんだ。自分の体は自分だけのものでありたい。それに、番なんてならなくても俺たちは十分愛し合ってるじゃないか。それだけじゃだめなのか。なぁ、何が信じられない?」  努力するから、と修一が言った。  愛している、という修一の言葉に胸が締め付けられる思いがする。 「……愛し合ってるってどこが? ねぇ、最後に一緒に夕食を食べたのはいつか覚えてる? 2週間も前だ。セックスだって3ヶ月以上してない。一緒にいる時間すらないのに愛し合ってるって? はは、笑える」 「それは、すまない……」  陽介の皮肉交じりの冷たい発言が修一を傷つけている。彼を傷つけたいわけじゃない。ただ、どうしても胸にあふれる孤独感や悲しみ、独占欲が入り混じった見にくい感情を抑えることができなかった。  そしてとうとう、陽介は言ってはならない一言を漏らしてしまった。 「……こんなんじゃ結婚してる意味ないよ」 「…………どういう意味だ」 「俺たち、別れたほうがいいのかな」 「ーーそうしたいのか」 「わかんないよ……。修は、どうなの」 「…………」  修一はにも言わず視線を落とした。何を考えているのか分からない。  単なる戯れ言だ。本気ではない。試しただけだ。だからどうか、別れたくないと言ってくれ。  自分が悪かった、別れないでと縋って欲しかった。一言でいい、そうしたら全て水に流し陽介は乗り越えられるのだ。  愛を試すことなかれ。先人たちはそう教えている。愚かだと分かっているが、そうせずにはいられなかった。  修一は何も言わない。 「……何か言ってよ」  ーー頼むから。  沈黙が辺りを支配する。 「…………」  修一は疲れたようにソファに腰を下ろすと、目頭を押さえ俯く。しばらくして、ようやくといった体で口を開いた。 「…………とりあえず、今日はもう遅いから、寝ないか。この件は週末また話そう」 「……うん、わかった……」  今日は水曜日で、お互い明日も仕事だ。そして修一は朝早い。この時間だと数時間しか眠れないだろう。ーーこの議論のあとですんなり眠れたらの話だが。  流石にこれ以上議論に付き合わせるのは罪悪感を覚える。 「……おやすみ」 「ああ」  短く返事を返し疲れたような背中で寝室に向かうの修一の背中を見送った。一瞬合った目には、思いつめたような、暗い色が浮かんでいた。  ーーごめん、修……。  自分たちはどうすれば上手くいくのだろう。またかつての様に仲良く暮らしたいだけなのだ。明日こそは仲直りするのだと、陽介もまた寝室へ向かった。

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