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第7話

「何でだよ!」  週末の晩、話し合いの場で修一に突きつけられたものをみて陽介は怒りと驚愕に大声を上げた。  ーー離婚届なんて、なんで。  二人が向かい合って座るテーブルの中心には、修一が記入済みの離婚届が置かれている。  「…………別れよう、陽介。お前もそう思ったんだろう。……こうすべきじゃないのか」  悲痛な面持ちで修一はそう答えた。  ーー何考えてるんだよ。こんな。  手に取る気にもなれない。余りの急展開に感情がついて行かない。  陽介が愚かにも別れようと言ったからか? その罰のつもりなのか。冗談なのか、本気なのか。陽介がしたように試しているのかーー。  頭が混乱する。  今更、数日前の自らの愚行を悔やんだ。愛してると言うならあんな戯言を本気にしないで欲しかった。  とにかく、一刻も早く誤解を解かなくてはならない。 「ッ、本気じゃなかった! 嘘だよ! ごめん、別れたくないって言ってほしくて……お願いだから離婚するなんて言わないで」  離婚が覆るなら、情けなくてもみっともなくてもよかった。それ以上に、修一に考え直してほしい。 「本当に、そういえるか? ……子供のことも」  ぎくりとする。別れはともかく子供の件は多少なりとも本音が混じっていたからだ。修一との子供が欲しい。自分の子供を産んでほしい。口には出さずとも心の奥底ではそう願っていた。 「分かってたんだ。お前が子供を欲しがってることは。……でも俺は産みたくない、産んでやれない」  何故、と問いかける。 「……お前との子供は、きっと可愛いだろう。でも子供ができたら、仕事はどうなる。妊娠と出産で仕事を休むのは半年か、一年か? 妊娠中は当然今みたいな働き方はできない。いい仕事はみんな同期や後輩に持っていかれるだろう。復帰した後もどうなる? 二人ともフルタイムで働いているのに、病気になったら? そもそも健康な子供が生まれてくる保証だってないんだ。」  それに、と修一が付け加えた。 「Ωの男が出産なんていい見世物だ。出産するのでしばらく仕事を休みますなんて、どんな顔で言えばいい? そんな男は周りに一人もいない。…………俺は、人から『Ωの男』だって見られるのが嫌なんだよ。周りの連中と同じように働いて、認められて、Ωだけどその辺の奴らと変わらない、普通の男なんだって思われていたい。男のくせに出産するなんて、いかにも『Ωらしい』じゃないか」  他人の目ばかり気にする小さい男だと幻滅したか? 実際、その通りなんだと修一は自嘲気味に呟く。  口にこそ出さないが、修一が自らのバース性に否定的であることは薄々感づいていた。  それでも、陽介にとって修一がΩであることはこの上ない奇跡だったのだ。  出会った当初は、修一がΩだとは分からなかった。陽介が抱くΩのイメージからあまりにもかけ離れていて、Ωかもしれないという発想すら浮かばなかった。  墓まで持っていくと決めている秘密だが、修一がΩだと分かった後、泥酔したどさくさで体の関係に持ち込んだ。そうして既成事実を作り、記憶の定かではない修一に、Ωの自分が誘惑して起きてしまったことだと誤解させた。その負い目につけ込んで少しずつ慎重に関係を深めたのだ。  酷く汚いやり方だとは分かっていた。しかし、こうでもしなければ絶対に、今の関係にはなれなかっただろう。そう言い切れるくらい、修一はいかにもなノンケで、男に対しては友人以上の興味を持っていなかった。  Ωなら男同士でもセックスができる、おかしいことじゃない、そしてそれはとても気持ちがいいことなのだと根気強く体に教え、ようやく今の関係までこぎ着けた。 「だから、子供を欲しがってる俺とはいられないから、離婚するってこと? なら子供なんていらないよ! これまでみたいに、二人でいられたらそれでいいから……」  別れを想像し、悲しみに語尾が震える。 「だから、俺のために我慢するって? 違うだろう、それは。医者なら分かってるはずだ。子供を作るにはリミットがある。作るなら若ければ若いほうがいい。俺に遠慮していつまでも先延ばしにしてたら必ず後悔することになるぞ」  それに、と修一は続ける。 「お前ならまたすぐに結婚していい奥さんか、旦那が出来るよ。……優しくて、いい男だからな」  俺が保証する、と揶揄い交じりに言った彼の笑顔は痛々しいものだった。  そんな顔をするくらいなら離婚するなんて言わないでーー。 「今までお前に甘えてばかりで、本当に悪かった。これ以上お前の時間を奪えない」 「嫌だ、一緒にいたい」 「……今は子供がいなくてもいいと思えても、いつかお前はきっと、俺を恨むよ。陽介だけにはそんなふうに思われたくない。だから……どうか、サインしてくれないか」  頼む、と修一が頭を下げた。  ーー嫌だ。  これにサインしてしまったら存在しない子供どころか修一まで失うのだ。  イエスと、言うわけにはいかない。 「嫌だよ」  別れないからと修一の目を見てもう一度強く伝える。 「ーーなぁ、これ以上一緒にいてもうまくいかないと思わないか。……いがみ合って、憎しみ合って別れるのは嫌なんだ。……今すぐ答えを出さなくていいから、よく考えておいてくれ」  そう言って修一は席を立った。  修一の意思は硬そうに見えた。いきなりの思いつきで切り出した話ではないようだ。  どうすれば彼を説得できる? 離婚を撤回させられる?  陽介が混乱する頭で思案していると、玄関のドアが開く音がした。不審に思い急いで向かうと修一がスーツケースを持ち、外へ出ようとするところだった。 「どこ行くの!?」 「……しばらくホテルに泊まるから。俺がいると気が散るだろう。ゆっくり一人で考えてみてくれるか」 「そんな……」  静止する間もなく、そう言って修一は陽介を置いて自宅を後にしてしまった。 「…………なんでだよ、クソっ」  ドン、と思わず修一か出ていった玄関の扉を叩く。  自分はただ、一緒にいたかっただけなのにーー。  そうして二人は長い協議の結果、離婚に至る。  現状のまま別居でとりあえず様子を見ないか、と提案する陽介に対し、これ以上陽介の時間を奪うことを恐れた修一は別居案を拒否した。  そして離婚に応じようとしない陽介に対し修一はとうとう、そこまでしたくはなかったがと、応じないのであれば法的手段をとるという意思を見せた。  ここまで強固な手段を取るという姿勢を見せれば陽介が引くと考えたのだ。  思惑の通り、そこまでして離婚したいならば、泥沼の事態となって憎まれるくらいならばと、陽介は苦渋の決断で離婚に応じた。  二人が結婚してから、約6年後のことだった。

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