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ヤンデレ編2

 俺が悪いと言った後、陽介は沈黙している。  気づかぬ間にまた俺は陽介を傷つけてしまっていたのかと自分の行動を省みるが、今のところ思い当たる節はない。  それでももし陽介が俺に怒っていて、この事態を引きお起こしているのならばいくら何でもやり過ぎだ。  口を塞いで縛ったりなどせず、言葉で教えて欲しかった。今はかつてと違い彼の言葉を聞く時間も精神的な余裕もあるのだ。もし夢で見たように何かを誤解しているのなら弁明させて欲しかった。 「ねぇ、昼間一緒にいた女と子供は誰? 仲が良さそうに見えたけど奥さんと息子? 結婚してたんだね、知らなかった」  陽介が淡々と話し始める。  昼間の女と子供とは幼馴染みのことだろうか。……思ったとおりだ。陽介は大きな誤解をしている。 「じゃあ修一にとって、俺はなんなの? ただの不倫相手? 都合のいい性欲処理相手だった? 俺とはあんなに子供はつくらないって言っておいて、女とはあっさり作っちゃうんだね」  陽介がじっと俺を見る。陽介は間違いなく傷ついている。しかしその目にはなんの感情も窺えない。  誤解だ、と伝えたかったが相変わらず俺の口から漏れる声は言葉にならない。だから必死で首を振った。 「……ふふ、冗談だよ。奥さんでも息子でもないんでしょ。知ってるよ、聞いたから」  ーー冗談にしては、たちが悪いじゃないか。 「大崎みずほ。一緒にいた子供は息子の優太。嫁いだあと地方に住んでいたけど、今は離婚して実家に戻っている。君の実家の隣だね。」  結婚した時に彼女を紹介したはずなのに、この口ぶりからすると覚えていないのだろうか。 「ねぇ、あの女と寝たわけじゃないよね? スマートフォンにそんな履歴はなかったし、女は君と会った後まっすぐ家に帰ってたしね。…‥どこに住んでるか知りたかったんだ。そうだ、携帯勝手に見たよ。ごめんね」  そういえば、起きたとき俺に振り返った陽介はその手にスマートフォンを持っていた。あれは俺のものだったのか。ロックはかけていたが寝ている間に俺の指を使って勝手に指紋認証を解除したのだろう。  でも今はそんなことはどうでもいい。男として多少恥ずかしい履歴はあるかもしれないが、陽介に対してやましいものは何もない。結婚していた頃だって陽介がどうしてもというからいつでも見ていいと暗証番号を教えていたのだ。 「俺、気づいたんだ。あれはいつか訪れる未来だって。だから先手を打つことにした」  陽介から不穏な気配を感じる。  体格はたいして変わらないのだ。仕事の忙しさから近年はジムをサボりがちなので、力は陽介のほうが強いかもしれないがそれでも手さえ解ければ抵抗できる。この状況から脱したら陽介を落ち着かせて話し合おう。そうしたらきっと誤解は解けるはずだ。  俺を解放する気配のなさそうな陽介に気づかれないように、何とか手の拘束を外せないか試みたがビクともしなかった。……相当念入りに縛ったようだ。 「番になりたいんだ、修一。子供も作ろう。お前が俺のそばにいてくれないって言うなら、せめて俺の子供を産んでくれよ。こんなに愛してるのにお前はなにも返してくれない……あまりに酷いじゃないか。だからせめて、それくらいは許してくれるだろう?」  それくらいと言うが、それはどちらも人生を左右する大ごとだ。特に子供なんて二人だけの問題じゃない。  突然なにを言い出すんだと驚いたところで、子供という単語に俺は離婚する前に陽介の父に言われたことをふと思い出した。  どうやら陽介は俺たちが子供を作る予定はないということを義父に話していなかったらしい。  なかなか孫誕生の知らせをよこさない俺たちに焦れた義父が孫についてのらりくらりとかわす陽介に業を煮やし、陽介に内緒で俺と二人きりで直接話がしたいと連絡をしてきたのだ。  義父と会ったのは結婚記念日を過ぎた後の喧嘩の絶えない時期で、俺は家庭での度重なる不和と仕事のプレッシャーに精神的に参っていたところだった。  そこで俺は彼にある提案をされた。 「ああ、父さんのことを気にしてるの? 心配いらないよ。言ってなかった? 死んだよ、交通事故でね。糖尿病を患っていたんだけど、飲む薬の量を間違えたみたいでね。運転中に低血糖で意識を失ったみたいで、車ごと電柱に衝突して死んでしまったよ。だから安心して? 邪魔する人間はいないんだ」  父親の死について話しているというのに、陽介はまったく悲しそうにはしていない。むしろーー。 「生前に父さんから聞いたよ。父さんが、俺と離婚しろって勧めたんだって? 俺が子供を欲しがってるから身を引けって。悪い人だね、息子の幸せを取り上げたんだ。……あいつのせいで俺たちは別れさせられたようなものだ! だから、報いを受けて当然だと思わないか?」  そうだよね、修一と呟く陽介の両手は爪が食い込みそうなくらいに強く握られている。  俺の目が覚めてから初めて陽介が顕にした感情は怒りだった。  確かに彼の父親とはそういう話があった。喧嘩続きで陽介とギクシャクしていたある日、義父の陽造が陽介に内密で二人で会えないかと連絡があったのだ。その深刻そうな様子に俺は会うことを了承した。  そこで思いつめたような表情をした彼に、どうか息子と別れてやってくれないかと打ち明けられたのだ。 『君にこんなことを言うのは間違っているとわかっている。それでも、ここ最近の陽介の様子は見るに堪えない。ほとんど家にいない君にはわからないだろうが息子はとても落ち込んでいるんだ。息子は以前から子供を、温かい家庭を持ちたがっていた。今でこそ私は開業して落ち着いた暮らしをしているが、昔は今の君のように仕事が忙しくて、家に帰るのもままならなくてね。母親を早くに亡くして、私が留守の間は祖父母やお手伝いさんに預けることばかりで、兄弟もおらず小さい頃は寂しい思いをさせてしまった』  陽介に兄弟がいないことも、幼少期に母親を亡くしていることも本人から聞いていた。母親が死に父親は仕事で不在。祖父母がいるとはいえ寂しい幼少期を送ったのだろう。想像すると胸が痛んだ。 『だからなのか、昔から家族の団らんに憧れているみたいでね。温かい家庭を築きたい、いつか子供をもったら寂しい思いをさせたくないんだと、忙しい大学病院をやめて私のクリニックを継いでくれた。息子は君のことを愛している。だから言えないんだ。……私が代わりに言うよ。君が子供を産まないというのなら息子と別れてほしい。息子のために身を引いて、息子が憧れていたあたたかい家庭というものを持たせてやってくれないか』  テーブルにつ突っ伏さんばかりの勢いで義父が頭を下げた。  義父の話には多少の誇張はあるかもしれないが、概ね事実だろう。結婚する前に俺が産まないと言ったから、今の彼は子供が欲しいと口にしないだけだ。俺は陽介が結婚前の約束に納得せず、子供を欲しがっていることを薄々察していた。  陽介は優しく、よく笑い、典型的なαのような驕ったところのない、細かいところにも気配りが出来るいい男だ。見た目もかなりいい。そんな陽介の欠点を挙げるとすれば頑固な俺の意見に自分が納得していないにもかかわらず、とりあえず同意しているようにみせるところだ。  当然その不満はいつか爆発する。  俺からしてみたら何故決まった話を、終わった話を後から蒸し返すのか意味不明だったが、それが陽介の性格なのだと受け入れた。  むしろ、そういう行動を起こさせているのは始めの時点で陽介の不満をちゃんと聞いてやれない俺が悪いのだとも思う。  義父に説得されて離婚を決めたわけではないが、決断の一端を担ったのは確かだった。俺はその場では離婚をすると約束はしなかったが、結果的にそういう形になってしまった。  この話は陽介には内密に、ということだったから俺は陽介には義父と会ったことを話さなかった。  義父のためではない。父親からこういう話を持ちかけられたと知ったら怒るか、傷つくか、どちらにしろ親子関係には良くないと思ったからだ。それに義父の言葉に納得する部分もあった。  義父と話した内容について陽介は知らないはずだったが、義父は話したのだろうか。それに今の口ぶりだと洋介が父親を恨んでいるような、まるで陽介が父親になにか危害を加えたかのように聞こえる。  愛している者の見慣れた顔のはずなのに、今はどこか恐ろしく感じる。

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