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第780話◇

「ねね、玲央、早く、弾こ?」  椅子を手前に引き出しながらオレが言うと、隣で蓋を開けるのを見ていた玲央が、オレを見下ろしてクスクス笑った。 「そんな焦らなくても逃げないよ」 「分かってるけど。弾きたい」 「連弾の楽譜持ってくる。あの本棚に入ってるから。何か弾いて、聴かせて」 「あ、うん!」  玲央にそう言われて、自分の中の気持ちが、ふわぁ、と盛り上がる。  玲央が微笑みながらオレに頷いて、それから奥の本棚に向かって歩き出すのを見ながら、オレは、椅子に腰かけて、まっすぐにピアノに向かった。  すう、と深呼吸。  ゆっくりと、指を鍵盤に置いて、足をペダルに静かにかける。 「――――……」  ほんのほんの少しだけ、鍵盤を下ろすのに抵抗を感じる、弾き始めが、大好き。  そのまま、ゆっくりと指を滑らせると音が溢れて、高い音も低い音も、部屋に満ちてく。  すごく、いいピアノな気がする。音がクリアで綺麗だし、広いから音が綺麗に抜けて行って、ちょっと、感動。  静かにオレの隣に戻ってきた玲央に気づいて、弾きながら見上げる。  目が合うと、ふふ、と自然と笑みがこぼれた。  そっと、玲央が鍵盤に手を伸ばしてきて、合わせて弾いてくる。  有名な曲だから知ってるのは分かるけど……同じ音を重ねてくる訳じゃなくて、少し違う音で、音を膨らませてくる。  ああ、なんかもう。  ほんと気持ちいい。  曲を途中でしめて、最後にポン、と好きな音を奏でた。 「優月のピアノは――――……本当に、のびのびしてるよな」  くす、と玲央が笑ってそう言う。  頭を撫でられて、ふ、と見上げる。 「なんかそれピアノの先生にもよく言われた」 「だろうな」  クスクス笑いながら、玲央が隣に腰かけた。 「玲央の重ねてくれる音が、すごい好き」 「そう? それは良かった」  玲央も嬉しそうに笑ってから、はい、と楽譜を渡される。   「どの曲がいい? 全部連弾の楽譜」 「なんでもいいなぁ……あ、玲央、連弾は二曲くらいにしてさ」 「ん?」 「玲央が一人で弾くのも、聴きたい」 「オレが一人で? コンサートみたいだな」 「うんうん。玲央のソロコンサートみたいに」 「……観客、もっと一般人の方がいいな」  玲央が苦笑いを浮かべる。 「なんで?」と聞くと、玲央はますます笑いながら。 「じいちゃんと、蒼さんと久先生って……」 「あ、緊張、とか?」  ふふ、と笑って聞くと、「緊張っていうか……何だろうな、この気持ち」と玲央が、んー、と考えてから、よく分かんねえな、と笑う。 「なあ、何で連弾じゃなくてオレだけで?」 「んー……なんとなく。玲央だけのピアノも、希生さん、聴きたいかなって思って」 「そう?」 「うん……ていうか、オレも、聴きたい」  そう言うと、ん、とオレを見つめたまま数秒。  ふ、と玲央が笑う。 「オッケ。本気で弾く」 「――――……」  玲央の綺麗な瞳が、キラキラして見える。 「……玲央」 「ん?」  すぐ隣に座ってて、ほんとにすぐ近くにある玲央に。  そうっと近づいて。  ちゅ、と。  キス。  してしまった。 「――――……」  ぼー、と見つめあってると、玲央が、ふ、と瞳を緩めた。 「珍し」  クスクス笑う玲央に、引き寄せられて、ちゅ、と唇が重なってくる。  オレの触れるだけですぐ離したキスとは違って、何だかゆっくりと重なる、ほんと優しいキス。 「……どした?」  少しして離れた玲央が、笑みを含んだ声で聞きながら、オレを軽く抱き締める。 「ううん。なんか。素敵だなーと思って」  むぎゅ、と抱きついてから、少し体を引く。 「曲、選ぼ?」  にっこり笑って見せると、玲央も、ん、と笑う。

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