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第2話

「おれら一緒に暮らし始めて何年よ」 唐突に始まる高橋の話を聞きながら、カミカゼをぐいっと飲み干した。勧めてくれたマスターには悪いけど、いつものモスコミュールの方が好きかもしれない。 「正確には二年だけど、ほぼ入り浸ってた大学のときを合わせたら六年かな」 「赤子がランドセルを背負うような月日を共に過ごしたわけだ」 「…例え話下手すぎるだろ」 まあ聞け…とロックグラスを揺らし、高橋は琥珀色の液体を光にかざす。 「盆休みになったら実家に帰るだろ?」 「帰るねぇ」 「そしたら、親父やお袋は別として、親戚がまあうるせえわけよ。彼女はいるのかだの、早く結婚しろだの、姑かってくらいに小言が絶えねえんだわ」 「周りの奴らはどんどん結婚していくし、下手すりゃ子ども何人目だよって奴らもわんさかいるしね」 「そうそう。でな、そいつらに言ってやろうと思って」 「何を?」 「おれ小林と結婚してっから、そういう類いの話はナンセンスだぜって」 「はぁ?!何言って…」 思わず耳を疑った。場所によっては同性パートナーシップ制度が承認されるとニュースや新聞で聞いたことはあるが、今日の日本ではまだ法的には同性婚を認められていないはずだ。 ましてやおれ達が結婚するなんてことは、天地がひっくり返ってもありえない。 「何って、だっておれら結婚してるようなもんだろ?」 「は、え?!ちょ、ちょっと待って、わけがわからない…」 高橋の言っていることのほとんどが、どういったわけかおれには理解できなかった。そりゃそうだ。わかるはずもない。 「小学校のとき家庭科で衣食住って習ったろ。服は一緒に洗って、飯も一緒に食って、それに一緒に住んでんだろ。つまりは家族ってこと。それなら、やっぱおれらって家族じゃん!まぁ結婚式はすっ飛ばしてるけどな」 家庭科、一緒、家族、結婚式。言葉を断片的に受け取ることしかできず、おれの頭はショート寸前だった。そっと吐き出す息でさえ、弱々しく震えている。 「……女の子としろよ」 そうだ。女の子とすればいい。考えるよりも先に言葉が出た。それはよくあることだが、言葉に急かされるように思考が回る。 可愛い女の子と結婚して、いつかは子どもにも恵まれて、それで、いいお父さんになるんだろ。パパ、パパって縋り付いてくる子どもにいつもの笑顔を振りまいて、きっと側では可愛い奥さんが暖かい目で高橋と子どもを見守ってるんだ。 ああ、ダメだ。想像すると泣けてきた。そのときに側にいられるのが自分じゃないと思うと、胸がぎゅっと締め付けられる。いつかは離れなきゃいけない現実が受け止められない。 「女の子と?なんでだよ」 「だって…」 高橋に幸せになってほしいから。高橋が幸せなら、おれも幸せだから…なんて、そんな強がりをおれに言えるはずもなく。言葉を濁し、俯いた。 木目のきれいなテーブルに、ポツポツと絶え間なく涙が零れ落ちていく。ああ、ダメだ。女々しい奴だって思われちゃう。止めなきゃいけないと思うのに、次から次から溢れ出て、涙は一向に止まらない。 高橋がおれのことを家族だと思っていてくれたことが嬉しいのか。それとも、高橋と結婚できないことが悲しいのか。…わからなかった。 「泣くなよ。そんなに嫌か?」 「…ちげぇよ、バカ」 「バカ?何を今更。俺がバカなことくらい知ってんだろ」 「知ってるけど…、でも、でもおれは……、高橋のこと、家族だなんて思ったことない。一度もないんだ……。まして結婚なんて…、ほんと、わけわかんないよ……」 家族って、どういう関係を指す言葉なのだろう。夫婦間とその子どもなんて、そんなわかりきった答えがほしいんじゃない。おれが思う家族は、もっとこう、あったかくてふわふわしてて、でも、言葉では決して表せなくて……。 「はぁ?!ベロッベロに酔って帰って来たかと思えば、これにサインしろ!って婚姻届突き付けてきた奴がよく言うぜ」 「婚姻届?!は?!いつ?!」 高橋の口から発せられた予想の斜め上を行く言葉に、驚きのあまり反射的に顔を上げてしまった。バッチリと高橋と目が合い、なんだか少し照れくさい。 「はは。汚ねえ顔」 「そんなことより何?!サイン?!婚姻届?!」 「やっぱ覚えてねえのかよ」 「いいから!今すぐ話して!」 「わかったわかった。…でもまあ、もう結構前だぜ?一年か二年か、まあそんくらい前だな。おまえ原田と飲んでたかなんかで、泥酔して帰ってきたんだよ。泣き腫らしたブッサイクな顔で、酔いが回ってわけわかんなくなってて。そのくせ、好き好きうるせえの。もうなんでもいいから早くサインしろって。…いやぁ、あん時はほんとビビったな」 楽しそうに思い出を語る高橋の横顔をまじまじと見つめながら、何も考えられない頭で必死に何かを掴もうとしていた。ただ一つ言えることは、高橋がいつもに増して幸せそうってことだけで。 「なんでビビったと思う?」 「……わかんない」 「おれも好きだったんだよ、ずっとな」 「……ぇ」 「もうこの際だから言うけど、好きって言葉じゃ足りないくらい、おまえに惚れてるよ。もちろんこれからもそれは変わらねえ。けどな、思ってるだけなんて、もう我慢できねえところまで来ちまった。 おまえもそうだろ。いい加減、おれを好きって認めろよ。 …それでお互い、楽になろうぜ」 「!!!」 優しい高橋の言葉が一つ一つおれの心に降りてくる。あたたかくて、とてもやわらかい。 「な。おれらもうとっくに“家族”だろ」 「…っ……うぅ…」 言葉にならない思いが込み上げて、固く結んだ唇から嗚咽が漏れる。震える手を必死に伸ばし、高橋の胸に飛び込んだ。嬉しくて、悲しくて、もう何もかもがどうでもよくて。 ほんのりと甘い香りがおれを優しく包み込む。強く抱かれる胸に顔を埋めて、涙が枯れるまで泣き続けた。 いくつものやわらかな光に照らされて、二つの影が絡み合うように幾十にも重なっていた。 恋が影法師だというのなら、これほどまでに強い味方がいるだろうか。二人をずっとそばで見守ってきた影が、これからも変わらずに、二人の背中を暖かく静かに追って行くのだろう。 “カップル”のような初々しさも、“パートナー”のような堅苦しさも、長い月日を共に過ごした二人には似合わない。 だって、二人はかけがえのない“家族”なのだから。

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