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幕・16 悪いこと?

「どうした?」 「大量のシーツの洗濯って部分について聞きたいんだけど」 真面目な顔をして何を言うのかと思えば、 「…リヒト関連なら大量のシーツ、なんてことにはならないよね? ヒューゴならリヒトのことはまめに片付けしてるし。なら、誰のさ?」 言葉の最後で、リュクスはフォークをヒューゴへ向ける。 ここにいる全員が、リヒトとヒューゴの間に契約が存在し、代償として『食事』が必要なことは知っている。 ゆえに、直接ヒューゴがリヒトの世話をしていることは暗黙の了解事だ。 性的な意味、すべてを含めて。 だからこそ言いにくいことでもあって、リュクスの声は小さかったが。 「いや、侍従や侍女たちのシーツ。結構量があるから、いつも早朝に済ませてる」 ヒューゴはからりと答えた。一瞬、場に不自然な沈黙が落ちる。 「…なぜヒューゴが彼らの洗濯などしている?」 聞いていないが、と、リヒト。 斜め後ろのヒューゴを振り返る。 「いつも、とはいつからだ」 ヒューゴは、そう言えば前まではなかった気がするな、と他人事のように思いながら答えた。 「最近。一人の作業は苦じゃないし、いい気分転換にもなる」 侍従や侍女たちは貴族たちの世話をするが、彼らの世話をするのは奴隷たちだ。 リヒトを気遣うように見遣り、リカルドが言う。 「そう言えば最近、今までの奴隷長が引退しましたな」 「覚えている。…理由は、高齢ゆえだったか」 リカルドの言葉に、リヒトが頷いた。リュクスが疲れたように長いため息を吐く。 「ヒューゴ、君は戦闘奴隷って設定だよね」 ナイフとフォークを置き、リュクスはヒューゴをじっと見つめた。 「忘れてない」 なにやら悪いことをしている、と言外に言われているようで、それは何だろうと考えながらヒューゴは答える。 噛んで含めるように、リュクス。 「リヒトの護衛専任だよね」 「きちんとこなしてるだろ」 サボったつもりはない。 リヒトの近くを離れる場合は、代わりが近くにいるときで、いない時にどうしようもなく離れなければならない場合は、魔法でリヒトに『目』をつけていく。簡易の守護結界も忘れずに。 「そう、『陛下の奴隷』だ。即ち、」 リュクスの声から、いつもの明るさが抜け、言葉が真摯に紡がれる。 「―――――皇帝の所有物。この帝国の主人以外が使っていい奴隷じゃないの」 わかるね、とリュクス。 「…あー」 リュクスの強い声に、ヒューゴは自身の過ちを悟った。 余裕があるから、奴隷長の命令に従うことに否やはなかったが、確かに浅はかだ。 「悪かった。でも俺には余裕があるし」 「その余裕はリヒトに向けて」 徹頭徹尾、ヒューゴはリヒト専門でいなければならないようだ。 未だそれがどこまで重要かあまり理解できないまま、ヒューゴは困った気分で尋ねた。 「…誰も罰されたりしないよな? 罰があるなら、俺の失敗だし、俺が受けるけど」 「罰しませんよ」 リカルドは苦笑。 「前任者がお年だったので、引継ぎに問題があったのやもしれませんな」 「もしくは、公然の事実だから、言わなくても分かるだろうと思ったか」 「いずれにせよ」 リュクスに頷き、リカルドは寛容に頷いた。 「わたしから今の奴隷長に指示を出しましょう」 そのようにリカルドは言ったが、直接彼から命令を下すことにはなるまい。 将軍と奴隷長では立場に差があり過ぎる。 間に何人もの人間が挟まれることになるだろう。つまり何かと言うと。 (…時間がかかるだろう、な) 「ヒューゴ」 事態に対して、リヒトが何を考えたかは、わからない。 立て板に水の勢いで発言したのはリュクスとリカルドだ。 リヒトは何も言わなかった。 ただ名を呼んで、チョコレートを一粒挟んだ指をヒューゴに差し出してくる。 ―――――だから気付かなかったのだ。 リヒトの感情が、この時点で既に、悪い方向へ振り切れていたことに。 リヒトはさほど怒っていない、気にしていない、とヒューゴは思った。 それこそ、…浅はかだった。 「ん」 遠慮もせず、ヒューゴは口を持って行く。 望んだチョコレートは、素直に口の中へ放り込まれた。甘い。 ヒューゴの表情が緩む。 彼は、本当においしそうに食べる。 子供のように素直な表情に、リヒトが嬉しそうに目を細めた。 二人の行動をまるで空気のように横目に見て、リュクスが口を開く。 「だからさ、ヒューゴ、そろそろ諦めて、騎士の叙勲は受けなよ」 「やなこった」

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