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幕・17 手綱の持ち手

ヒューゴという悪魔は目立つ。良くも悪くも。 リヒトは、彼の濡れた黒髪を掻き上げながら、腹立ちまぎれに考える。 皇帝の私室。その奥。 皇帝専用の浴室で、ヒューゴが裸を晒している。褐色の肌に包まれた体躯は、ぎりぎりまで引き絞られていた。 ゴツゴツし過ぎておらず、かといって、柔らかくもなく。 しなやかで、なだらかだ。 男女問わず、うつくしい、と見惚れる、魅了の力に満ちた肉体。 舞台の上にでも立てば、さぞ人目を引くだろう。 「どうした、リヒト」 何を感じたか、悪魔が、リヒトの唇を啄む合間に、囁いてくる。ぐずぐずになりそうな、優しく甘やかす声だ。 なんでも許されそうで、聞いただけで自分を保つのが難しくなる。 だから逆に、リヒトは素直になれない。…ならない。 この悪魔に、心をすべて正直に吐露すれば、取り返しがつかないことになるだろう。 おそらくリヒトは、一人で立つことができなくなる。 傀儡どころではない。快楽に愉悦するだけの人形になる。 ゆえに、ヒューゴにリヒトが応じる態度は、傍目には、おそらく氷のように見えるはずだ。 「どう、した、とは…なんだ」 言葉でリヒトは、案じる態度を跳ねのける。一方で。 湯船に浸かり、座したヒューゴの褐色の腰に跨った状態で、リヒトは、彼の首に腕を絡めた。 その頭を抱え込むようにして、唇に吸い付く。 間近で、ヒューゴの濃紺の瞳が細められた。 隠し事は無駄と言われている気分になる。リヒトは不機嫌な顔で目を閉じた。 ヒューゴは苦笑。 「ん…っ、なんか、怒ってないか?」 軽い口調に、リヒトの眉間の皺が深くなる。 (誰のせいだと思っているのか) だがこういう時、おそらくヒューゴは自覚している。原因が、彼の存在にあるのだと。 ヒューゴは、当然のように、皇帝のそばに控える奴隷というだけでも目に付いた。 ばかりか、この容姿。 態度。 細かな仕草から癖、眼差し一つに至るまで。 目を奪われる。 華があって、媚びのない自然体。 奴隷というのに、やりたいようにやっているような、誰にも縛られない自由さをヒューゴは空気のように纏っている。 これがよくないのだ。 時にリヒトでさえ。 …どうやったら彼を、心底屈服させられるだろう、とよからぬ妄想に捕らわれるときがあった。 …ゆえに、よく話題に上る。 会議の席でも、しつこいほどに。 ―――――戦争に出向いた者…貴族から平民に至るまで、その話になると震えるのです。 今日も、大臣の一人が言った。 ―――――あの悪魔はとんでもない化け物だと。…神殿も帝国を憂いておりますぞ。 発言者に、リヒトが冷めた目を向けるのも、毎回の話だ。 彼らの思惑は分かっている。 皇帝と悪魔、強大な力を一所に集約させておくのが恐ろしいのだ。 現状、地上において、力では決して誰も皇帝にかなわない。 それを、貴族たちはどうにか覆したがっている。他の誰でもない、自分たちの権力のために。 (思えば、あれがよくなかったか) リヒトの脳裏で、過去の戦場での光景が閃いた。 一度だけ。 たった、一度だけ、戦場でヒューゴは悪魔としての姿を顕現させたことがある。 あのときは、それだけの、…理由があった。 窮鼠となった敵国の魔塔が、強力な悪魔の軍勢を、地上に召喚したためだ。 当然、それは禁術である。 貪り食われる戦友たちの前へ飛び出し、悪魔の軍勢を駆逐するために、ヒューゴは。 ―――――たった一体で悪魔の軍勢を一瞬で殺戮した! …そのようなバケモノが陛下一人にしか膝を折らぬこの状況、誰もが不安に思っております。 いかにも嘆かわしいと言わんばかりの声。不安を煽る物言い。 …いかにも、無辜の民の安全を心底考えていると言わんばかりの態度で。 そんな悪魔を殺せと言わんばかりの態度の一方で。 バケモノの手綱を、我らにも寄越せと言っていた。 だが正直、戦場でのあの光景は、目撃した者曰く。 ―――――神話の一場面のようでしたね。 恐怖は恐怖でも、戦場の者たちが胸に抱いたのは、畏怖だったろう。 あの悪魔の本来の姿は、醜悪どころか、神々しかったから。 にもかかわらず、そんな存在が。 対人間に対しては、人間の力の範疇でしか応戦してこなかったわけだ。 『役立たずの悪魔』とすら、ヒューゴは蔑んで呼ばれていたわけだが、ただ一度の戦争を機に、侮る人間たちは鳴りを潜めた。 とはいえ、そう言った人間たちこそ、ヒューゴを過剰に恐れたに違いない。 彼らが、バケモノと呼び始めたのだ。ヒューゴを。 それを。 (下心が透けて見える) 貴族たちを視界に収めたリヒトの黄金の瞳がますます冷めていく。 やがて。 口元だけで皇帝は笑い、告げた。 ―――――よろしい、機会をやろう。 表情が消えた端正な顔立ちの中、黄金の双眸が物騒に輝く。 ―――――あの悪魔を従えたいと思う者は手を挙げよ。 刹那、血の匂いのする笑みが、皇帝の口の端にたゆたう。 ぞっとする冷酷な表情。 言外の言葉を見誤るものはいなかったろう。 もし手を挙げたなら、その瞬間に首が飛ぶ。 眼前に死体が横たわったかのような空気の中、全員が一斉に息を潜めた。 …こうなると分かっていながら、彼らがいつもリヒトの神経を逆なでする発言をするのは。 ―――――いつか、皇帝があの悪魔に飽きるんじゃないかって、みんな待ってるんだよ。 連中、機会を伺っているのさ。 そう、リュクスは言った。 (飽きるだって?) 本気でそんなことを考えているのなら―――――貴族たちの血肉はきっと、芯まで愚かさでできているのだろう。 「お…こっているか、だって?」 ふ、息だけで、リヒトは笑う。 だがその息は、切羽詰まって、余裕がない。 だからと言って、二人の身体はまだ繋がっていなかった。 リヒトはヒューゴに跨っているものの、下半身は触れているようで、触れていない。 リヒトが、舌を突き出す。それをヒューゴが絡めとった。 ヂュ、ゥ。 音を立てて、唾液が吸われた。 舌が、ぬるぬると絡みつく。 ぶるり、リヒトの腰が震えた。 湯の中で、リヒトの陰茎ははっきりと勃起している。 たまりかねたように、ヒューゴの腹で、ソレを柔らかく圧し潰した刹那。 リヒトは全身が痺れたようになった。腰砕けになりそうになる。半面で。 「お、まえ」 たまらず、狂ったようにリヒトはそこをヒューゴの腹へ押し付けた。 そのまま、腰を揺する。 摩擦から生じる刺激に、リヒトは首を強く左右に振った。 「いい加減…っ、抜、け…!」 湯の中。 二人はまだ、―――――つながっていない。代わりに。…見えない場所。 リヒトの、尿道の中で蠢く異物があった。ヒューゴが、唇だけで笑う。 「そりゃ、お前、風呂に入ったんだ。外だけじゃなく、」 ヒューゴは、少し前、リヒトのそこへ、聖水を流し込んだ。勿論、聖水になど、悪魔である彼自身は触れていない。だが。 操ることなら、できた。 悪魔が操るそれは、鋼のように固く、一方で柔軟であり。 軟体生物のように、リヒトの尿道の中を這いまわった。 くるくるといたずらに回転したと思えば、ぞろり、と陰茎の先端から前立腺までを内側から舐めるように行き来する。 一番、キツいのは。 「中まできれいにしなきゃ、な」 ソレがリヒトの尿道全体をきっちりと埋めた状態で―――――小刻みな振動を繰り返す時だ。 今、また。 小さな羽虫のような音が聴こえたかと思った刹那。 「あああああぁぁあぁ―――――っ」 死とも思う程の悦楽が、リヒトの頭のてっぺんからつま先までを痺れさせる。 思い切り背が反った。 顎が仰け反り、足の指先が湯の中で何かを握りこむように丸くなる。 昔は、ここまで感じ取ることは、リヒトには不可能だった。 感じる前に、意識を手放した。身を守るように。 人間が感じ取るには過ぎた快楽だったからだ。それが。 ―――――どうせなら、さ。 ヒューゴは無邪気な表情で、リヒトに提案した。 ―――――限界を超えて感じられる身体にしてやろう。きっと、…イイぞ? そんな宣言通り。 リヒトの身体は、次第に慣らされた。結果。 こと、快楽に至っては、リヒトは感じ方にほとんど限界がない。どこまでも貪る。

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