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幕・18 単なるお礼、なのに

それでも、この場合には、子供のような泣き声を上げてしまう。 「早く、抜け…っ」 どこまでも強い命令口調―――――とはいえ、隠しきれない媚びが滲んでしまうのは、仕方がない。 「入って、いたら、射精、できない…っ、だろう…!」 高飛車な態度。 そのくせ、涙の絡む声が浴室に反響するのも構わず、リヒトは腰をヒューゴの腹に擦り付ける。 自分の匂いを彼の肌に強く沁み込ませるように。 気持ちいい。 気持ちいい。 なのに、イけない。 悦くなりたいのに、悦くなるほどに、苦しさが増す。 リヒトが身悶えるさまは、ふるいつきたくなるような色香に満ちていた。 それを堪能するように、ヒューゴは目を細める。 上半身をくねらせ、リヒトは、うわごとのように言葉を紡いだ。 「子種の袋、重い、…裂け、る…っ」 限界を訴えながらも、もっと、と強請る態度だ。 口調とは裏腹に―――――もっと、虐めてくれ。 そう、懇願しているようにも見える姿。 愛らしいとも言える、ヒューゴを求めてやまない表情。 「まさか、まだ大丈夫だろ」 しれっと告げるヒューゴに、リヒトは必死で首を横に振った。 ふぅん、と鼻を鳴らして、ヒューゴ。 「じゃ、見せてみな」 言うなり。 ヒューゴはリヒトの腰を真正面から掴んだ。ぐっと持ち上げる。 「あ、」 膝立ちになったリヒトの前で、ヒューゴは湯船のふちに腰かけた。 垣間見えた彼のイチモツも、既に限界まで張り詰めている。なのに本人は涼しい顔で、 「ほら」 リヒトに手を伸ばした。 「俺の足跨いで立って見せてみな。支えてやるから」 …この状態で、立て、など。酷い注文だ。 だが、そうすれば、この苦しさから抜け出せる、そんな淡い期待に突き動かされるようにして、リヒトは根性でヒューゴの腕に縋った。 その肩に手をかける。 そして、震える膝を叱咤しながら。 彼の真正面に立った。 湯煙に包まれた空間で。 白い肌を淡く色づかせ。 リヒトは、甘い果実のような桃色に染まった性器と、重く張り詰めた袋をヒューゴの眼前にさらした。 白くきめ細かな肌を這う雫が、浴室の、淡い光の中、幻想的に光る。 そのすべてを余すところなく濃紺の目に収め、ヒューゴは満足げに囁いた。 「はい、お利口さん」 褒める言葉。 優しい声。 それだけで、リヒトは達しそうになる。なのに、達せない。 「…あぁ…」 切ない声をこぼしながら、リヒトは淫らに腰を揺らした。 ぴくん、ぴくん、と合間に腰が小刻みに跳ねる。 リヒトの姿、動き、表情。 すべてを堪能する目で、ヒューゴはリヒトを見上げ、 「そうだな、そろそろ限界みたいだ」 のんびり告げて、リヒトの手を握る。真下へ引っ張った。 がくん、と彼の膝から力が抜けた、刹那。 「―――――いっぱい、漏らしていいぞ」 「あぅ、ん!」 体育座りのような格好で座り込んだリヒト、その真下から、ヒューゴは彼の中心を突き上げた。拍子に、 「…ぁ、あ、あ…っ」 気付けば、いつの間にか。 栓をするものが消えていたリヒトの性器から、びゅっと勢いよく精子が放たれる。 想像を絶するほどの解放感に、リヒトの頭の中が、いっとき、真っ白になった。 無論。 我慢に我慢を重ねた結果―――――一度きりでは終わらない。 「はぁ、ぁひ…っ、と、止まらな…!」 ヒューゴに下から穿たれながら、リヒトは射精した。 し続けた。 止められない。 こればかりは、自身でもどうしようもなかった。 気付けば、失禁したかのような長い射精が続き。 浴室の床の上に、白濁の水たまりができる頃。 先端から惰性のように噴きこぼれる体液が透明になってくるなり、今度は、悦楽の疼きが、リヒトの腹の底から突き上げてきた。 長い射精に疲弊するどころか―――――脳髄が痺れるほどの悦楽に、ヒューゴを食い締めるリヒトの粘膜がきゅぅっと締まる。 「ふ、ぅ…っ」 たまらず、ヒューゴが心地よさげな声を上げた。 雄の欲望に染まり切った表情で乱れるリヒトを見つめ、 「あぁ、ほんっと―――――リヒトがイってる時って目が離せないんだよなぁ…どうしても見惚れる」 だからもっとイくとこ見せて、お願い、と。 雄の快楽の最中にも、ヒューゴは子供のように笑って。 愛しくてならない、と言いたげに、リヒトの額に額をぐりぐりと押し付けた。 幼子が甘える仕草に似ているそれは。 …純粋に、獣が懐きにくる所作で。 愛しさと同時に―――――時折、リヒトも肝が冷える。 ああ、この生き物は、その気になればいつでも人間の身体など瞬きの内に潰せてしまうのだろう。 一歩間違えば、リヒトは次の瞬間にも息絶えている。 怖い。 リヒトは、心底、怖かった。 ヒューゴが。それでも。 恐怖を上回る愛しさと執着心は、もう手遅れなほど深い。 ―――――そうなる理由なら、はっきりしていた。 リヒトは捨てられた子供だ。 守り、愛してくれた母親は彼が五歳の頃に亡くなった。 以降、皇族とは名ばかりで、ほとんど見捨てられた状態で生きてきた。 母の後ろ盾となっていた一族は政敵の策略により汚名を着せられ、とうの昔に失墜。消滅。 厳格な父は多くいた子たちを一人一人気にかけるようなことはせず、むしろ、生き残れないならそれまでと見放しているところがあった。 確かに、最低限の食事の世話はされた。 ただし、守ってくれる大人は一人もいなかった。 毒を盛られることも刺客に命を狙われることももはや日常茶飯事。 突出した神聖力しか目立つところもない、ただの子供が皇宮で生き残るのは、本当に困難だった。 捕まれば『廃棄』だ。 それでも生きることを選んだのは、どうにかしてリヒトを守ろうとした母の気持ちを覚えていたからだ。 なにより、他人の思惑通りに死ぬのは癪だった―――――けれど。 地獄に落ちた、十歳の彼は。 竦んだ。 こんなに死を望まれているなら。 彼が生きるより、死を望む者の方が多いなら。 もういっそ、投げ出してしまった方が楽なのではないか。 望まれる通りに、…してしまった、ほうが。 ―――――それでも。 自身の命を諦めることもまた、ひどく困難で。 惰性のように歩き続け、招かれるような心地でたどり着いた地獄の底。 結果、出会った悪魔は。 生まれたばかりの頃、地獄に落とされたリヒトを助けてくれたという悪魔の特徴を兼ね備えていた。 これほど格好いい悪魔を…生き物を見たことがなく、最初、リヒトはただ唖然と見上げた。 見上げた先で、その、濃紺の瞳が真っ直ぐに、リヒトを映し出した。 傷が痛くて眠れない、その傷を癒せたら、一緒に地獄からの出口を探してやる、と不遜に彼は告げたが。 子供なりに頑張って、リヒトが癒しを実行した刹那。 びっくりしたような沈黙を長く挟み、本当に治ったことを自覚するなり。 がらりと態度が変わった。 ―――――十年治らなかった傷を治せるなんて、すごいな、お前。尊敬する。ありがとう。 目をキラキラ輝かせ、ちっぽけなリヒトの顔を覗き込んできた。 ―――――ありがとう、ありがとう。ありがとう。 躍り出したいような雰囲気を醸し出しながら、しかし、悪魔の巨体はちょっとぷるぷるしながらも、じっとしていた。 動けば目の前の小さな生き物を潰してしまうと言わんばかりに。 我慢、していた。気遣いだ。 リヒトはリヒトで、戸惑いながらも、感動してしまった。なにせ。 ありがとう、など。 礼を言われたことなど、いつぶりだったろう。

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