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幕・50 騎士団=大量のひよこ

これ以上は言わない、とばかりに片手を振って、ウォルターは話題を変えた。 「ちなみに、稽古は武器を選んで使ってくださいね。肉弾戦はいけません」 「なんでだめなんだ?」 「重要なことなんです、騎士たちにとって」 よくよく見れば、ウォルターは真剣だ。 それこそ、戦場の最中に立っているような面立ち。 緊張感に気押されながらヒューゴは頷いた。 「いいけど、武器持つなんて久しぶりだな。使い捨ての木刀ってあるか?」 ヒューゴは普段、無手で行動する。皇帝の護衛と言うのに、常に徒手空拳。 そのことに、顔をしかめる貴族は多い。 だが、彼が皇帝を守り切れなかった事実は一度もなかった。ゆえに、誰も文句は言えない。 そもそも、ヒューゴが武器を持たないことには理由があった。奴隷だから、ではない。 ―――――武器を身に着けたヒューゴという存在が、一般人にとって恐怖の権化だからである。 それだけ、雰囲気ががらりと変わる、ようだ。 ―――――ただ立っているだけで、そこに死が迫っている感じがするんです。 本人に自覚はないが、その指摘をされて以降、ヒューゴは周囲のためになるだけ武器を遠ざけるようにしていた。 指摘したのは、同じ騎士だった気がするのだが、 (今回、その点は、いいのか? まあ、ウォルターが言うんだから、いいんだろう) ちょっとした、だが、多大な意識の齟齬を間に挟みつつ、ひとまず二人で意気揚々と歩き出したのち、何を思い出したか、ふっとウォルターの顔が曇った。 「ただ外野にうるさいのがいるので、不快にさせてしまうかもしれないんですが」 「それって、居残り組との衝突の件か? それとも」 これに関しては、リカルドから、騎士団内部の問題として、だいぶん前から報告があがっている。 「昔からウォルターに突っかかってくる連中か?」 「どっちもと言うか。ま、正直言うと、―――――皇后陛下の騎士団と居合わせたんスよ」 「あー、チェンバレン公爵家の息がかかった連中かぁ…」 オリエス帝国皇帝の皇后、グロリアは、帝国内派閥の貴族派における筆頭家系の出だ。 帝国内派閥には、皇帝派・貴族派があり、ちなみに、皇妃のメリッサは皇帝派の筆頭家系、ブラッドフォード家の出身である。 貴族派は、派手で目立ちたがり屋、平民なぞ同じ人間とも思わない、気位の高い人物が多い。 貴族としての利権を守るためなら汚い手も辞さない、とにかく我を押し通す、そんな印象が強かった。 チェンバレン公爵家はその特色が色濃い。 皇后陛下の騎士、ということは、そう言った家系で育てられた騎士と言うことだ。 ウォルターを馬鹿にするのは当然であり、そして間違いなく―――――。 「俺を嫌ってるなぁ」 大体、彼らとは、何日か前、皇帝への暗殺者の襲撃を撃退した件で、もめている。 このまま鍛錬場へ行っていいものか、悩んだ。 ヒューゴが何と言われようとそれはいいが、諍いの火種が周囲に飛び火するのは好まない。 行く前から、揉め事の予感がした。 「大丈夫っスよ」 ウォルターの反応は、平然としたもの。 「さっき、実力でコテンパンに伸してやりましたから、すこしは大人しいと思います」 頼もしい。が、残念ながら、既に揉め事は起きていたようだ。 ではヒューゴが行けば、火に油を注ぐことになるだろう。とはいえ。 ―――――ヒューゴは、悪魔である。基本、脳筋の傾向があった。 それならそれでもういいか、と開き直る。 (訓練って名目で正々堂々喧嘩できるいい機会じゃないか) たまには不満を発散させないといけない。お互いに。 多少逡巡したものの、ヒューゴは特に足を止めることなく鍛錬場へあっさり足を踏み入れたわけだが。 そのタイミングで、ウォルターがいきなり声を張った。 「第五騎士団、集合!」 あまりの声に、一瞬、ヒューゴは鼓膜がバカになったかと思う。 ヒューゴが面食らう間にも、素振りや手合わせをしていた何人かが、次々と顔を上げる。 「あ、ヒューゴさんだ」 「こんにちは!」 「お久しぶりですっ」 騎士団の中でも、第五は、基本、戦争経験者で固められていた。 しかも、ウォルターのように中途半端な身分のために、捨てられるように前線に送り込まれた子息が多い。 よって、ヒューゴに忌避感を覚える騎士はいなかった。 どちらかと言えば、ヒューゴの治癒で助けられた者が大多数のため、むしろ年若いからこそ素直に感謝し、懐いてくれた。 寄ってくる彼らを見ていると、年経た悪魔たるヒューゴの目には、大量のひよこが集合する光景にも映る。実際は、屈強な熊とも思える体格の青年が多いわけだが。 にもかかわらず、本音でかわいいなあ、と思いながらヒューゴは彼らに手を振った。 同時に首をひねる。どうしていきなり集合をかけたのか分からない。 ヒューゴはウォルターを横目にする。来るなり、いきなり目立った。 好意的な視線と同量の敵意が訓練場にこもり、湿度を含んだ熱気が変に上昇している感じだ。 わあ、素敵な雰囲気。 「滅多にお会いできないから、今がいいタイミングだと思う。こんな格好だが、さあ、皆―――――姿勢を正せ!」 にやにや笑っている者、人懐っこそうな者、一匹狼と言った風情の者など、表情も態度も様々な騎士たちが、一斉に姿勢を正し、 「敬礼!」 厳しい声でウォルターが言うのに、動きを合わせた騎士たちは、 「騎士の叙勲、おめでとうございます!!」 明るく声を揃えた。 ヒューゴは呆気に取られて固まる。我に返ったのは、比較的すぐだ。 ―――――あ、そうだな、世間的にはこれってめでたいことなんだ。 しかも、卑しい奴隷が、騎士になったのだ。これがめでたい話でなくて何なのか。 遅れて理解が脳に染みた。とたん、気まずい気分になる。 個人的に、めでたいとは思っていなかったからだ。国にとって、マイナス面が多いとしか思えない。しかし。 (こんな、キラキラした目で見つめられるとなぁ) ヒューゴは喜べないが、純粋に喜んでくれる気持ちは、嬉しいし、ありがたい。 ほっこりした気分で、ヒューゴは微笑んだ。 「ありがとな」 「ようやくですね!」 ヒューゴの反応に、一番若い騎士が嬉しそうな声を上げる。目が一番、きらきらしていた。あまりの眩しさに、ヒューゴなどは蒸発しそうだ。 「いや喜んでくれるのは嬉しいけど、まだ確定じゃないぞ。貴族会議を通過してない」 そこで躓く可能性はかなり高かった。 だが彼らの中では、もう決定事項のようだ。となれば、この場でこれ以上水を差すのは憚られる。 「あんな、目に見える戦功があるのに、評価されないなんて、おかしいですよ」 「やっぱ、なるとしたら騎士なんですね。治癒士もありじゃないかなって思うんですけど」 「治癒士は神殿の管轄だろ。絶対向こうが許さないって」 「けど、随行したどの治癒士より、人を助けてるじゃないか」 「それも評価されるべきだよな! 神殿の公平さを疑うぜ」 全てにおいて、ヒューゴは内心で、一つの事実を繰り返す。 (いや、だって、俺、悪魔だもん) この前提一つで、ヒューゴが奴隷のままなのは当然になる。だいたい、悪魔には、評価も地位も関係ない。 それに、彼らも喜んでくれているとはいえ。 (好意的に見てくれてはいるけど、好かれてるわけじゃない) ヒューゴが目を伏せて、なんとなく見下ろしたのは、彼らが微妙にヒューゴとの間に置く距離だ。だがこれは必要なものだと思う。 いつだったか、リュクスが言っていたのだが。 ―――――皆が、ヒューゴが一般的な悪魔だと思うようになったら困る。 だから家にも呼ばないし、子供たちにも会わせないと言われた。 悲しかったが、リュクスは正しい。 どうしたって、ヒューゴが悪魔の中でも変わり者なのは確かだからだ。

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