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幕・51 わくわくのお祭り騒ぎ、もしくは大乱闘

人間と言葉を交わそうと言う悪魔など、契約時はともかく、平時にはいないだろう。 だからこそ、他者との距離は、ヒューゴには必須だった。 「ヒューゴさん、儀式はまだなんスよね」 不意に、ウォルターが尋ねてくる。 「儀式? あー、主従の誓いの儀式な。まだだよ。近々だってさ」 「陛下はお喜びでしょう。ただ、今はオレたちの喜びのために」 ウォルターは壁にかかっていた使い捨ての木刀を取り上げ、持ち手の方をすっとヒューゴへ差し出した。 「手合わせ願います」 「こっちこそ、頼む」 弾む声で受け取ったヒューゴに、一瞬、しんと静まり返る周囲。 びりっと空気が帯電したような感覚に、幾人かが腕をこすった。 一拍置いて、周囲から口々に声が上がる。 「ヒューゴさん、訓練するんですか?」 「あ、じゃあ次、おれ、おれとお願いします」 「抜け駆けすんな、順番は公平に決めるぞ」 賑やかに言い合いながらも、場所を開けるために周囲の騎士たちが、自然と距離を取ろうと動いた、その時。 「―――――騒がしいな。さすが、野良犬の群れだけはある」 分かりやすい挑発の言葉が耳に届いた。 あまりにあからさまだ。ゆえにヒューゴとウォルターは無視を決め込んだが。 …周囲はそうはいかなかった。 「…おい、今、なんつった」 第五の騎士たち数人の低い声が重なるのは、同時。 戦場で命懸けの殺し合いを経験した男たちの、刃じみた視線が一斉に、声の主に突き立った。 和やかだった空気が一転、いっきに不穏な暗雲がかかる。 キリっとした顔でウォルターと見つめ合い―――――ヒューゴは彼と同時に肩を落とした。 仕方なく、彼らも声がした方へ視線を向ける。すると案の定、 「しかも、おめでとうだと? 理解しているのか、騎士の位を授けられようとしているのは悪魔だぞ。国の汚点だ、どこがめでたい」 いたのは、第一騎士団の騎士だ。 第一騎士団は、皇后陛下直属である。しかも、どこかで見たことがある顔だと思ったら。 「あちゃー」 ヒューゴは小声で呟き、片手で顔を押さえた。 つい数日前、早朝に起きた暗殺騒動の際、ヒューゴと主義主張でぶつかった騎士だ。 もちろん、一人ではない。彼の周囲にいるのは、同じ第一騎士団の騎士たちだろう。 鍛えてはいるようだが、実戦でどれだけ使い物になるかは分からない。 ひとまず、内心では、彼の主張に諸手を上げて賛同する。ただし、同じ騎士団の仲間を野良犬呼ばわりはいただけない。なにより。 今の台詞は、国の上層部の決定に唾を吐いたのと同じことだ。 貴族会議こそ通過していないものの、ヒューゴを騎士に、と言うのは、皇帝をはじめ、宰相、そして将軍も許可したことを知らない者はいない。 どうせここにリヒトやリカルドがいれば、何も言えなくなるくせに、今は堂々としたもの。 第一騎士団の何人かが、ヒューゴの喉元を見遣る。そこには、いつも通り、革の首輪があった。奴隷の証。 明らかに見下す眼差しに、慣れたなあ、と思いながら、ヒューゴはにっこり。 彼自身は、それに対してどうとも思わない。 微笑んだのは―――――他にどういう反応をすればいいのか分からなかったからだ。相手はヒューゴの笑顔に鼻白む。 貴族たることに誇りを持っているに違いない赤茶の瞳に、嫌悪がよぎった。何を言いたいかはよく分かる。 曰く―――――口を利くのも汚らわしい。 唇を引き結んだ彼に変わって、周囲の青年たちが口々に言う。 「それに、所詮、卑しい奴隷だ」 「いや、そもそも人間ですらない、悪魔だろ?」 「剣をまともに振るえるのか?」 「お得意なのは魔法のはずだろ、魔法使いになればいい。騎士ってのはお門違いだ」 一応素直に聞いていたが、特に目新しい台詞はない。いや、魔法使いになればいい、と言うのは新鮮だった。 生まれつき魔法が使える悪魔に、わざわざそれを職業にする理由はないからだ。 ヒューゴはただニコニコと聞いていた。 彼から見れば、やはり、毛色が違うひよこたちがぴよぴよ言っているように見える。 直接手を出す気はないようだから、その内飽きるだろう。そう、思っていたのだが。 すぐ近くで、大きく息を吐く気配がした。ウォルターだ。 彼は短い髪をばりばりとかきながら、ふらり、歩き出す。その手に持っていた槍を、ヒューゴがなんとなく掴めば、 「…わかりました」 振り向いた彼は何を思ったか、淡々と、ヒューゴに槍を預けてきた。 (ん? いや、そうじゃなくて) 槍とウォルターの後姿を交互に見遣ったヒューゴは、ようやく気付く。 周囲に漂う不穏さが、殺意寸前まで高まっていた。とたん、悪魔の本能がくすぐられる。 (お、なんか盛り上がってきてない?) 直後にお祭り騒ぎが始まる予感に、ヒューゴがわくわく見守った。 彼の視線の先で、ウォルターが第五騎士団の壁から抜ける。 居合わせた全員が、固唾を呑んで見守る中、第一騎士団の群れの方へ向かいながら、 「クライヴ・ハウエル」 その中心にいた青年を呼ぶ。 最初に声を上げた騎士だと、ヒューゴは遅れて気付いた。 「なんだ」 「そこを動くな」 空気が不穏だが、大丈夫、ウォルターはおとなになった、自分からいきなり手を出すわけがない。 ある意味安心してヒューゴが見守る先で。 ―――――ガッ! 第一騎士団の群れの中へ一歩踏みいるなり、ウォルターがすぐそばにいた騎士の顔面に、裏拳をのめり込ませた。 (…はい?) ヒューゴは呆気にとられる。 おそらく、見守っていた全員の思考が、いっとき止まった。 ―――――騎士の私闘はご法度だ。 懲罰は必須。 (ぜんっぜん、オトナになってないじゃないか…っ) 表面上冷静に通り過ぎるウォルターのそばで、裏拳を食らった騎士が、くたくたと膝をつく。 それが合図だった。 「やりやがったな!」 「覚悟しろ!」 「野蛮人どもが!」 口々に罵り合いながら、瞬く間に、騎士たちがつかみかかり、入り乱れ、大乱闘が勃発。 ヒューゴから見れば、ひよこ同士の戦争。 ただし、第一騎士団と第五騎士団に所属していない騎士たちも当然いたわけで、誰かが、外部の者を呼びに行ったようだ。 ヒューゴはと言えば。 できれば、混ざりたい。この大乱闘に参加したい。 なぜか、肉弾戦はダメだと言われているが、やっぱり、最後にモノを言うのは拳だろう。 混ざっていいかな、と内心、そわそわ指をくわえて見守っていると、 「そら、見ろ!」 ウォルターにクライヴと呼ばれた第一騎士団の騎士が、殴られながらもヒューゴを指さして怒鳴った。 「ソイツはこんな時にも外から見てるだけの腰抜けだ! 剣を抜け、剣で勝負だ!」 連呼するからには、よっぽど、剣に自信があるのだろう。とはいえ。 「いや俺、剣は苦手なんだよ」 槍と木刀を壁に戻しながら、ヒューゴは片手を顔の前で左右に振った。 扱いは巧くなったと思うが、剣はどうもしっくりこない。だから、ヒューゴが戦場で振るっていたのは、―――――。 「騎士になろうというものが、どういう言い草だ…!」 軽蔑しきった眼差しに、そろそろ殴り合いに参加してもいいかな、とヒューゴは考える。

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