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幕・62 暗い衝動
一人は貴族、もう一人は騎士のようだ。双方とも外套を目深に被っているが、立ち居振る舞いから、エイダンでもそのくらいは分かる。どちらも若い。
呆れるほど、堂々とした態度だ。自身の優位を隠しもしない。
彼らが牢の中へ向けるのは、捕虜たちから見れば、屈辱的で、惨めな気分にさせられる眼差しだろう。
と言うのに、捕虜たちが彼らに対して怒鳴り散らしたり、憤怒の感情を向けると言った事態にはなっていない。静かだ。
それが、エイダンには不思議だった。
観察するように、しばらく彼らの様子を見ていた貴族らしい男が、不意に口を開く。
「決心はついたかい」
呼びかけに、わずかに身じろいだのは主導者らしい男だ。
「あんたは信じられない」
「…ま、当然だね」
貴族らしい青年は肩を竦めた。
「だがここから出たところで、お前たちに待つのは地獄だ。劣悪な環境での強制労働。何を得ることもできず、鞭を打たれながら死ぬだろう。奴隷同然に」
青年の物言いに、エイダンは内心、首を傾げる。
確かに、捕虜の末路は残酷だ。
ただ、未開拓の地で働かされるのは事実であっても、死ぬまでと言うわけではない。
要するに、開拓事業の一環を捕虜と言う労働力で賄うのだ。
確かに、キツい仕事である。
だが、苦労して手に入れた土地は彼らの所有物になり、その上で得た土地を生かしてさらに働くのなら、帝国民になる資格を得、家族を持ち、そこで生活することを許される。
云わば、初めの強制労働は、この地で働いて生きていく覚悟を見せる場であった。
厳しい試金石ではあったが、敵同士、命懸けの戦いをしたのだ、易々と同じ土地で生活などできるわけもない。お互いに。
(だから奴隷じゃないし、温情措置ともいえると思う、けど…)
先ほどの貴族の物言いでは、事実を歪めて伝えている気がした。嘘はついていないが、大事なところをヴェールで隠してしまったような。
ヴェールの名は―――――悪意だ。しかも、
「騎士ならば」
その貴族は、そこを強調するように告げ、
「惨めに奴隷同然の死を迎えるより、戦場で散った方が誇り高いと言えないか?」
暗い衝動を煽る物言いで、続けた。
―――――先ほどの首謀者の男の台詞ではないが、確かにこの男は信用できない。
「早とちりするな」
うるさい、と言いたげに首を横に振って、首謀者の男は言った。
「お前の言葉などどうでもいい。だが同じく死ぬのなら、意味ある死を迎えたい」
言って、彼は檻の中から、何か、小さなものを投げる。
貴族の身体にソレが触れる前に、共にいた騎士が、横から手で打ち払った。
エイダンのところからは何かは見えない。ただ、それを見遣った貴族が、
「ああ、服用したのか。…宴に合わせて飲んだのなら、そろそろだね」
―――――飲んだ?
そう言えば、とエイダンは籠を一瞥した。
今日拾った汚れ物の中に、紙屑がいくつもあった気がする。
書類などに使われる紙ではない。あれは、
―――――薬包紙だ。
ざわざわと腹の底が落ち着かなくなってくる。
目の前で、異常が起きている気がした。しかも、現在進行形で。
思えば、首謀者の男以外は誰も口を開かないが、その静けさは、異様だった。
なんと言うか、覚悟を決めた者の静けさ、そんな気がするのだ。
「では、退散しようかな。…おっと」
貴族の青年が、踵を返した、その時。
―――――地下牢の出入り口から、笑い声が響いてきた。
青年を庇うように、騎士が前に出る。
手が剣にかかった。
先客がいるとは想像すらしていないのだろう、無防備な足音が、二人分、地下牢へ降りてくる。
「ここって、今、戦いの捕虜が投獄されているのよね?」
「そうだよ、ただ、すぐ、移送される。だから、今が見学の最後の機会と思わないか?」
…能天気な会話だ。
なんにしろ、貴族の若い男女と思われる。
おそらく彼らは、悪趣味にも、捕虜を見学に来た。
ともすると、男が格好をつけたくて、見せつけたい女を伴ってやってきたのかもしれない。
エイダンからすれば、恐ろしく無神経なバカだと思うが、貴族の若者には、そういう類の人間が多い。
ただ、そういう人間がやってこないように、見張りの騎士が立っているはずなのだが、―――――なぜ、彼らは通されたのか。
考えてみれば、おかしな話だ。
今、そこにいる二人も、どうして通されたのか。
いや、考えるまでもなく、エイダンの中では答えが出ていた。
あの、騎士だ。今日、見張りに立っていた彼が、意図的に見逃した。ともすると。
たまたま、偶然、席を外していた、と言う演出でもされているのかもしれなかった。
「捕虜はすぐ移送される。こんな見世物、滅多にないぞ」
軽い調子で言う男に、怖がるふりをした女が抱き着いたようだ。その時。
「…先客か?」
ようやく、先にいた二人に気付いたのだろう、脂下がった顔を上げた男が言うのに、先にいた貴族の青年がため息交じりに命じた。
「始末しろ」
「御意」
刹那、騎士が動く。無造作に、後から来た男女の方へ一歩踏み込んだ。直後。
魔法の薄明かりの中、剣の軌道が、光を弾く。とたん。
最前までと変わらない表情の男女の首が、宙を舞った。
立ち尽くした二人の身体から―――――血の噴水が、吹き上がる。
騎士が二人の間を通り過ぎざま、残された肉体が壊れた人形のように倒れ込んだ。
牢の中に満ちるのは、それでも不気味な沈黙だけだ。
エイダンは、牢内の特有のにおいを押しやるように広がった血の匂いに、むせ返りそうになる。
血の光景に、貴族の青年は、初めて満足そうに頷いた。
「さすがだね」
「は」
言葉少なに応じる騎士が、それなりの腕だと言うことは察せたが、ならばもう少し、おとなしい殺し方もできたはずだ、とエイダンは思う。
そうせず、派手に血をばらまいた理由は。
(…おそらくは主人が、それを好むからだ)
直感したエイダンは、先ほど以上に慎重に、息も殺した。
「では行こうか」
何事もなかったかのように告げ、貴族の青年はのんびりと歩き出す。死体を放置したまま。
(…え?)
騎士を伴い、あっさりと姿を消した彼に、エイダンは面食らう。
そこには貴族の死体が転がっている。
どこの家門の人間かは分からないが、明らかに、貴族が殺されたのだ。
皇宮内、地下牢の前で。
大騒動になるのは目に見えていた。
にもかかわらず。
―――――あの二人は、愚かには見えなかった。そんなことが分からないとは思えない。
感情的になって殺す、そのようなことをするとも考えられなかった。それならば。
今、この状況の意味するところは?
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