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幕・69 ホンモノとニセモノ

快感と苦痛を極端なふり幅で行き来するのに、一度覚えた快楽の味を忘れられず、手を伸ばさずにいられない、薬物の奴隷…に、似てはいる。だが、似て非なるものだ。他に例えようがないから、そう言っただけで。 「ああ」 違和感が解消した、と言わんばかりの態度で、リュクスが指を鳴らす。 「それだよ、それ。ぼくもそう思います」 言葉途中で、リカルドから皇后グロリアへ視線を移し、リュクス。 「つまりあれらは」 軽快な所作で、映像の中の怪物を親指で指さした。 「人間です。場所柄、間違いなく」 迷いない断言に、周囲は一瞬、揃って説得される。 だがすぐ、戸惑いの目を見交わした。 映像に映し出された異形の姿はどう見ても、人間とは思えなかったからだ。 ただ、その中でも、居並ぶ騎士の一部は納得の表情を見せていた。彼らに共通点があることは、見る者が見ればわかったろう。 宰相の断言に同意の表情を浮かべた騎士は、全員が、皇帝が指揮した戦場経験者だ。 周囲の戸惑いには構わず、リュクスは、声を低くする。 「捕虜の成れの果て」 「では、聖女さまの行動はどう説明されるのです?」 グロリアの瞳は笑んでいた。 周囲の疑問を代弁するようで、リュクスの見解を曲げようとするような強い口調。 「悪魔の気配がすると仰ったのでしょう? 先ほど、陛下もそう仰ったではないですか」 「おそれながら皇后陛下」 慇懃に、リュクスは腰を折った。 表面上、平然としながら、内心、皇后の姿勢に違和感を覚える。 彼女は通常、このように食い下がったりしない。 そうですか、と素っ気なく応じ、興味も抱かないはず。 関心があるとすれば、いつ解決するのか、という一点だけだろう。 いつもなら退屈そうに、解決までの時間を自分がやりたいことをして過ごし、待つはず。 (どういう風の吹き回しだ) それに彼女は。 聖女の行動に言及した。 この状況で、本来なら真っ先に気になるところは。 (どうして捕虜があんな姿になったんだ、本当にあれらは捕虜なのか、とは聞かないんだな) 「ゆえに、先ほど将軍閣下は仰ったのですよ。『おかしい』と」 リカルドに向いていた皇后の、常に燃えるような印象の碧眼が、リュクスに向いた。 真正面から受ければわかるだろう。彼女の双眸には、一抹の感情もにじんでいない。 微笑は上品極まるのに、まったく考えが読めない女性だった。 何を思っているのか、探りたければ、行動を見なければならない。 リカルドは危ぶむような眼差しをリュクスに向けた。 探るような言動を少しでも見せれば、グロリアがどう出るか分からないからだ。いい方向には絶対ならない。 しかしリカルドは、黙って控えていた。 結局は、彼も気になったからだ。グロリアの言動が。 周囲に満ちた緊張感もなんのその、 「あれらは間違いなく人間であるのに、陛下も仰せになった通り、確かに悪魔の気配もします。これが将軍の感じた違和感の正体」 必要とあらば、相手が誰であろうと気にせず挑発してのける、オリエス帝国宰相リュクスは太々しく微笑んだ。 グロリアは鼻白む。 「宰相閣下は、悪魔の気配を持つ者を、人間と仰るの? それこそおかしな話ですわね」 「皇后陛下もご覧になったことがあるでしょう」 言いながら、リュクスはリヒトを横目にした 。何かを促す視線に、リヒトは目を眇める。 構わず、リュクスは言葉を続けた。 「―――――本物の悪魔を。違いは明白」 しばし、リヒトは無言を貫く。ただ、諦めた態度で、すぐ目を伏せて、 「ツクヨミ」 気が乗らない、といった態度を隠しもせず、兎に命じた。 「ヒューゴを映せ」 兎の頭頂部で、長い耳がピクピクッと痙攣する。 『もちろんですとも! ツクヨミの創造主ならば』 それまで完璧に事務的だった兎の声に、はじめて歓喜が滲む。鼻息荒く、 『こちらに!』 伸びをするように、ステッキではなく、短い前足を上へ上げた途端。 画面が切り替わった。 焦点を決めず、無作為に全体を映していた画面が、突如ざっと横へ流れ、一点で停止する。そこには。 ―――――低い姿勢で、単身、怪物の群れに突っ込む騎士の姿。 褐色の肌。濃紺の瞳。恐ろしく柔軟で、華があるのに、ぎりぎりまで無駄を削ぎ落した動き。 ヒューゴだ。 周囲の敵の数にまるで臆さず、放たれた矢の勢い。 速度を一つも落とさず、不意にその身が跳ね上がる。 拍子に、怪物の首が、複数、宙に舞った。 血の尾を引いて、きりもみしながら地面に落ちる。 あまりに容易く。にもかかわらず。 見上げたリカルドが、厳しい声を上げた。 「ばかな…首が飛んでも、動くだとっ?」 暗がりで見えにくかった光景が、ヒューゴの動きを追うことで、ようやっとはっきり全員の目に映った。 残された身体は、首を失ったところで、ものともしなかった。 勢いもそのままに、首を奪った騎士に覆いかぶさる。否、正確には。 覆いかぶさろうと、した。寸前。 …その動きを、目で追えた者がいただろうか。 ―――――一刀両断。 羽虫のごとく騎士にたかった複数の肉体が、胴を薙ぎ払われ、上下に真っ二つにされた。 こと、そこに至って。 魂を抜かれたように見守っていた会場の者たちの大半が、ぞっと背中が凍り付く気分に襲われた。 恐ろしかったからだ。 その、異形たちの異様さが、ではない。 異形を一人、斬り払って見せた、その騎士が。 …腹の底。 原初の恐怖を煽ってくる。 まったく別の場所で彼を見ている、それだけでも、今すぐ殺されそうな、わけの分からない焦燥感に襲われた。 彼こそが、その場に居合わせた一番の獣に見えた。その上。 暗がりで、はっきりとは見えないが、ヒューゴの口元には、笑みが浮かんでいるように見える。 しかも、無邪気、と言えるほど、至極楽し気な。 それでもまだ、崩れ落ちた肉体が地面を這うようにして進んだ。 それらに足を取られたヒューゴは、動じもせず、手にした剣を振り上げた。 映像には映し出されなかったが、その切っ先が、ばらまかれた臓器の一部を刺し貫くなり。 怪物の動きが弱くなった。ねじ巻き人形のように、次第に沈黙していく。 それを尻目に、ヒューゴは無造作に、剣に血振りをくれた。 端正でありながら、粗野な動き。優し気でありながら容赦なく冷酷無比な剣筋。その上。 ―――――極端な暴力慣れを感じさせる、躊躇いのなさ。 ヒューゴはやはり、普通の人間と言うには、異端だった。 雰囲気としては、獣に近い。 なのに、普通の顔をしてそこにいるから、余計、異常さが際立つ。 ヒューゴの師であった剣聖も罪なことをしたものだ。 彼は、資質は上等の悪魔である弟子を、とことん鍛え上げた。 結果、悪魔が生来持つ死と破壊の本性が研ぎ澄まされ、洗練され―――――剣を取ればヒューゴはまさにそのものだ。 「ほら、ね?」 リュクスは鳥肌立った腕をさすり、改めて皇后グロリアに声をかけた。 「これが本物の悪魔です」 画像を見上げていたリヒトと兎以外の全員が、顔色を悪くしている。グロリアも例外ではない。 確かに、ヒューゴを見たなら、一目瞭然だ。 今、画像の中で暴れている異形たちは、悪魔というには、何かが欠けている。 それと同時に、ヒューゴが声を張った。 何かを叫んでいる。周囲に向かって。 気付いたリヒトが、ツクヨミに命令。 「声が聴こえるようにしろ」 『はい、マスター』 兎は従順に従った。とたん。 「こいつらの原動力は、魔力! 魔力の源は―――――心臓だ!!」 響く、ヒューゴの声。 焦りをにじませた周囲の騎士たちが、ハッと顔を上げる。 なかなか死なない怪物たちに、悪戦苦闘していた騎士たちの顔が輝いた。 ヒューゴは再度声を張った。 「動きを止めるには、心臓を貫け!!」 とはいえ。 怪物たちの肉体は、あまりに異形すぎて、臓器の位置が把握しにくい。それでも。 何も分からないより、状況は好転した。ただ、やはり、数が多い。 状況は、拮抗していた。 もちろん、ヒューゴは強い。それは、誰から見ても明白。 異形たちにとっても、そうだったのだろう。 よって、異形たちはヒューゴから間合いを取りはじめている。その上で。 「…こうも乱戦状態では、ヒューゴも動き辛いですな」 騎士たちも怪物たちも、複雑に入り乱れていた。 敵陣の中央に単身踏み込んだ方が、実のところ、ヒューゴは成果を上げやすい。広範囲の敵を一時に無力化するのが、彼の得意だ。 一対一でも無論相手を圧倒するが、この場合、効率が悪くなる。 映像を見上げていたリュクスが早口に言った。 「ツクヨミ、通信を開いて」 兎はまず、リヒトを見上げた。リヒトが頷く。 「事態の収拾のため、宰相リュクスに従え」 『仰せのままに。―――――どなたと会話を?』 「この周辺にいる副将軍に」 大概は宴に参加しているが、一人は騎士棟に残っていた。 リュクスの手元に、小さな画面が開く。 そこに、居残っていた副将軍の顔が映り込んだ。 『これは…宰相閣下? ああ、ツクヨミですか?』 リカルドより年嵩の、白髪の将軍が、少し驚いた態度を見せたものの、すぐ理解を示す。 彼の目の前には、今小さな画面が開いているはずだ。リュクス側と同じように。 室内にいる様子はない。周囲は暗い。 彼も外に出ているようだ。 「いきなりすみません。今、そちらに聖女さまが向かっています」 リュクスが早口に告げるのに、彼は厳しい顔で頷いた。 何年も戦場で過ごした騎士だ。理解が早い。 『アレは魔力で動いているようですから、聖女さまがお越しくださるならありがたい』 聖女は神聖力の持ち主だ。 魔力を封じることができる。 しかも広範囲で。 皇帝ならいとも簡単だろうが、彼が宴の席から姿を消すのは、よほどのことが起きた時だ。今はそうではない。 なにせ、状況から見て、騎士たちのみでも、制圧は可能だろう。 だが、『犠牲無く』かつ『迅速に』とさらに上の条件を付けるとなれば、聖女が合流すればベターな流れになる。 ばかりでなく。 リュクスはリカルドを見上げた。 軍の命令系統の一番上は将軍だ。これ以上、リュクスがでしゃばることはできない。 やるべきことははっきりしていた。リカルドは頷く。 ツクヨミが起こされたのだ。 リカルドは手短に命じた。 「騎士たちを退かせろ。可能な限り速やかに、意図しているとは思わせず」 異形たちに判断能力があるのかないのかは分からない。 だが、極力警戒は避ける必要があった。いや、この場合。 警戒したとしても、意味があるかどうか。 『…将軍閣下?』 「ツクヨミがいるのだ」 その一言で、ある程度は通じた。副将軍の皺深い顔に、理解が閃く。 『もしや』 リカルドが空色の瞳を、皇帝へ向けた。 リヒトは頷き、重い声で告げる。 「―――――<鉄槌>を落とす」

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