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幕・80 底抜けの愛嬌
意味が分からないまま呆然と顔を上げたダリルに。
「よいしょ」
間の抜けた声を上げた魔竜は、オリエス帝国の魔塔、その回路を彼の身に―――――つないだ。…繋いでしまった、と言った方が正しいだろうか。
やりようは、あまりに無茶苦茶。そして漂う無理矢理感。
はたで見ていたサイファは、それだけで、息が止まるかと思った。
見ていただけでそうなのだから、当人にとっては、どれだけの衝撃…苦痛だったろう。
「…っが!」
ダリルは、濁った声を上げた。
息をするだけでガラスの破片でも飲むような様子で、全身を使って幾度も荒い呼吸を繰り返す。肩で喘いで、声も出ない様子だ。
「もう自力で立って歩くことも難しいご老体なら、隠居して穏やかな余生を過ごすといいよ」
どこを見ているのか、魔竜は足元を覗き込んで告げた。
おそらく、狼狽えている魔塔の塔主に向かって言ったのだろうが、彼に聴こえたかどうか。
ダリルの苦しみにはまるで頓着した様子もない。別にそれは非情というわけでなく。
(…これは…)
驚きをもって、サイファはダリルの状態を感知。
複雑で長時間の儀式を経なければつながらないはずの回路は、完璧にダリルとつながっていた。少しの間違いもない。
なるほど、これほど完璧にやってのけたなら、魔竜はダリルを心配などしないはずだ。
ただ、問題は。
これまでの、ダリルの魔力回路の狭さにある。
「若くて優秀な人間が引き継いでくれたよ、喜びなよ」
至極満足げに言って、魔塔のてっぺんで、建物の端っこに足で捕まっていた魔竜は、ぴょんと跳んで、その足で屋上に踏み込んだ。
悪魔の身体は楽園や中間界のものにとっては毒であるはずだが、床が腐り落ちることはない。
どうやら、魔素の衣でその身を覆っているようだ。
そんな気遣いができるくせに、ダリルを気遣う様子は見せないあたり、やはり魔竜は悪魔なのだと思う。
「さ、これで対等に話ができるね、塔主」
ちょっと尻尾が重そうに、また一歩、魔竜はダリルに近寄った。
「…――――う、ぅ」
魔竜の呼びかけに、呻きながらも、ダリルは起き上がろうとしている。…根性だ。
気絶したり、逃げたりしている他はどうでもいいが、一人、頑張って対応しようとしているダリルは本当に気の毒だ。
ため息をつき、サイファは彼に歩み寄った。
手を貸して、苦しさのあまり涙や鼻血で汚れた顔を拭いてやる。
「どうしたの? 話せない?」
唇をぶるぶるふるわせ、喋ることができないダリルの様子に、ようやく魔竜は心配そうに尋ねた。
「一旦、待て、魔竜」
呆れて、サイファは待ったをかける。
「やり方が乱暴だ。ダリルがすぐ、話せるようにするには…ああ、私が癒してもいいか」
魔塔の人間を苦しめたいから、こういうやり方をしているのだろうか。
思ったサイファは、まず魔竜に癒していいか、と尋ねた。
だが魔竜に、そんなつもりはなかったらしい。
「いいけど…え、俺のやり方、そんなに乱暴だった? 回路はうまくつなげたと思ったんだけど」
失敗してる? してないよね?
視線で確認してくる魔竜に、サイファは簡単に説明をする。
「この場合、うまいへたが問題なのではない。問題は、流れる魔力量だ」
毎日、コップ一杯の水しか取り扱っていなかったものが、いきなり湖の水を扱えと言われても上手にやれるはずがない。
言われてそのことにはじめて気づいたと言った様子で、沈黙する魔竜。
かと思いきや、いきなりしょんぼりした風情で、一言。
「ごめんね」
「慣らせばいいだけだ。…さあ」
だがこの場合に、ゆっくり慣らす時間はないだろう。
いつ魔竜が苛立つか分からない。
急ぎ癒すために、サイファは。
「受け入れろ」
―――――背から翼を生やした。とたん、
「えええ! …黒っ!?」
魔竜が驚きの声を上げる。
同時に、びんっ、と尻尾が真っ直ぐ立ち上がり、天を指した。
拍子に、魔塔の壁の一部に尻尾の先端が突き刺さる。あえなく、崩壊。
普段隠しているサイファの翼が漆黒だったことに、驚いたらしいが。
魔竜の反応にこそ、サイファは驚いた。
それぞれの視線が、破壊された場所を見る。
おや、と魔竜も振り向いた。
彼にとっては、何気ない動きだったらしい。
それがもたらした破壊跡を確認した後、サイファの癒しを受け入れるダリルに様子を伺うような目を戻した。
サイファは生真面目そうな顔に、呆れた表情を浮かべる。
ダリルは、こげ茶の目を潤ませながらも、どこか諦めた表情だ。
ただし瞳は哀愁に満ちている。
ヒューゴは反省した。
無言で自分の尻尾を掴む。
片足を上げた。
間抜けな格好だろうが何だろうがお構いなしに、足の間を潜らせて、尻尾を身体の前へくるりと持ってくる。
尻尾の先端を胸の前で、片手で掴み、丸くなった。
ダリルを見下ろし、これでいいだろう、という顔になる魔竜。
唖然としたダリルは他人事のようにどうでもいいことを考えた。どうしてこんなに表情が分かりやすいのだろうか。
今の魔竜の姿には、悪魔の残酷さも竜の威厳も―――――どこにも見当たらない。
あるのは。
底抜けの愛嬌。
先ほどまで満ちていた災害級の威圧はどこへやら、なんとも幼い態度に、毒気が抜かれた。
「なんで黒なんだ?」
その上で、魔竜は改めてサイファに尋ねる。
「堕天したのでな」
当たり前のように、そんな返事が返った。
ダリルはぎょっとサイファを見遣る。
「へえ」
魔竜は目を細めた。
そのくせ、続く言葉は密やかに、
「…俺、よけいなことした?」
機嫌を伺うような声だ。
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