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幕・81 初ミッション:命懸けでご機嫌取りをしよう!

それだけで、ダリルには分からない、通じ合う何かがあったのだろう。 サイファが微かに目を瞠った。ついで。 彼の唇に、なぜか、満たされたような笑みが浮かぶ。それは、ひどく。 ―――――慈愛に満ちた、微笑。 「いいや」 サイファが、はっきりと返した声に、晴れ晴れとした蒼天をダリルが連想するなり。 「…終わったぞ」 ダリルを守るように打ち広がっていたサイファの翼が消えた。 いや、この場合は、背中にある収納器官に片づけた、というのが正しいのか。 そこで、ダリルは、簡単に息がつけることに気付いた。 つい先ほどまで、魔力がダリルの中で暴れ回っていた。 ダリルの中に構築されていた細い魔力の回路が、容量オーバーを起こしていたのだ。 なのに、駄々っ子のように言うことを聞かなかった魔力が、驚くほどお利口に整然と管理できている。 とたん、ダリルの思考が冷静に回り始めた。 待ちかねたように、魔竜が顔を覗き込んでくる。 「もう、いい?」 どうも、魔竜は焦れているようだ。 巣穴に早く帰りたい、そんな、今すぐ羽ばたきたがっている気配を感じる。 …その上で、これまで魔竜が見せた態度を顧みて、ダリルは、身の程知らずのことを考えてしまった。 (―――――交渉の余地は、ある、か?) これまで自身が有していた魔力量から考えれば、天地の差があるほどの魔力が、今、ダリルの身に宿っている。 この魔塔のすべてが、掌の上で指し示せるほど細部まで把握できていた。 それでも―――――すぐ、理解する。 (ぜんぜん、足りない) 身体に重いほどの、魔竜の威圧に抗うように、ダリルは顔を上げた。 (この、巨大な存在に抗うには…!) 今のダリルですら、魔竜の前には、象を前にした蟻同然。否。塵と言っても、過ぎた存在かもしれない。 奥歯を食いしばりながら立ち上がったダリルに、 「これから告げることは他言無用」 魔竜が容赦なく告げる。 とたん、ブンッ、と細かく鼓膜を震わせ、魔法が周囲、限られた範囲に広がる。 そこに含まれるのは、ダリル、サイファ、魔竜、そして。 阿呆としか思えないことを仕出かした魔法使い五人。…気絶したきり、起きる気配がない。 彼らが何をしたのか詳細は分からないが、魔竜をここまで激怒させたのだ、愚かの領域をすら突き抜けて、その存在は、死に値する。 自然とダリルの目が冷たくなった。 「殺しちゃいけないよ」 ダリルの気持ちを察した態度で、魔竜。 次いで、尻尾を掴んでいない方の手を差し出して見せた。 そこには。 見事な装飾を施された、漆黒の刃が乗っている。それを見たサイファが、とたんに厳しい顔になった。 「先ほど皇宮で、それが黒曜の刃と言ったが、―――――…事実か?」 「…あんたもそんなことを言うのか」 唸るように、魔竜。 ダリルが見ても、その刀身が異様な空気をまとっているのは分かった。だが、それが何なのか、分からない。 悪魔にまつわるもの、としか。 魔竜は首を左右に振った。 「あの頃、あんたは地獄にいたろう」 「だとしても」 サイファは渋面で目を伏せる。 「当時、御使いの中で、黒曜を実際目にした個体は、およそ十体程度だ」 「少ないな」 魔竜は驚きを見せながらも、すぐ納得したようだ。 「ああ、対面するなり、大半はすぐ殺されたのか…なるほど、なら、さっきの御使いが分からなくっても仕方ないか」 「ただし、あの亀裂」 ふ、とサイファは厳しい顔を上げた。 「黒曜が作った破滅の亀裂だけは、誰もが知っている」 「結果だけが有名で、原因が知られていないって言うのは、問題だね」 「黒曜を知っていれば」 サイファは首を横に振る。 「その短剣が皇后から聖女に渡った時点で、彼女の手から取り上げている」 「皇后から…? そうか、なら魔塔とつながっていたのは皇后か」 なんにしろ、と魔竜―――――ヒューゴは視線をダリルに戻す。 「これが空間を裂くっていう性質を利用して、その魔法使いたちは、俺を皇宮から魔塔の地下へ転移させて、解体するつもりだったらしい」 ごくりとダリルは息を呑む。 確かに、魔竜の身体は魅力的だ。 資源として。 いったい、その鱗一つで、どれだけの魔力量を有するのか、想像もつかない。 「それだけでも、俺が魔塔を滅ぼす理由としては十分だよね」 応じる態度で、ダリルは、魔竜へ立ち向かうように、胸を張った。 つまり、目の前の、悪魔というには、あまりに巨大すぎるその存在は、―――――代償を求めているのだ。 魔竜はその気になれば今すぐ、魔塔を滅ぼせる。 それをしない代わりに、と―――――何かを求めていた。 ちっぽけな人間風情が、魔竜相手に何ができるわけもないが。 「証拠は」 ダリルは、声を出すのも必死の心地で、それでも顔を上げ続けた。 「証拠は、ありますか」 この阿呆…いや、魔法使いたちが、魔竜を引き寄せ、解体しようとした、そんな馬鹿げたことをしようとした証拠はあるのか。 魔竜が言っているだけで、そんな事実、証明のしようがないはずだ。 「証拠がないのなら、魔塔があなたの要求に応える義務は」 「あのね」 立ち向かうダリルに、魔竜は目を細めた。 その濃紺の色に、楽しむ光が一瞬、躍る。 しかし。 「君に残された道は、命懸けで俺のご機嫌取りをすることだけだ」 ―――――魔竜は、容赦なかった。 …その通りだ。 端からこれは、対等の交渉になどなりようがない。 有する力の差は歴然としている。 絶望的なほど。 魔竜をこの場に引き寄せた時点で、魔塔に未来はない。 ダリルは、まっくらになりそうな視界を、ぐっと踏ん張って振り払い、それでもまっすぐ魔竜を見上げた。 「何を、ご所望ですか」

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