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幕・82 繊細な望みは無理難題
「情報」
魔竜の答えに、ダリルは目を瞬かせる。意外だ。
そう言えば、先ほども、この魔法使いたちのことは、殺すなと言った。
これほど巨大な存在だ、圧し潰し、叩き潰し、すべてを破壊すれば清々するだろうに。
求めるものが、繊細だ。とはいえ、
「情報…ですか? 魔竜が知らないようなことをどうして魔塔が知っているわけが」
「それは、これから君たちが調べるんだ」
魔竜は曰くある刀身を再び握りこみ、鉤爪を一本ダリルに向ける。
「そこの魔法使いたちがどうやってこの刃を手に入れたのか。入手ルート、関わったものすべてを調べ上げろ」
無茶だ。
思ったが、跳ね除けられるものではない。魔塔の存亡がかかっている。
いや、最悪、滅ぶのが魔塔だけなら、さすがにダリルは放り出した。
だが魔竜は、魔塔に関わるすべてのものを滅ぼすつもりでいる。逃げる場所など、どこにもなかった。
腹をくくるしかない。
「ついでに。そいつらはそれ以外にも色々やらかしているぞ」
魔竜は不吉なことを言った。聞きたくない。聞きたくないが。
「…参考までにお聞きしても?」
頭痛を感じながら、ダリルは尋ねる。毒を食らわば皿までだ。
どう転んでも、これ以上悪い話にはならない。
そう、思ったのに。
「普通の人間に悪魔の力を混ぜる薬物を作った。なれの果ては、今、皇宮に死体となって転がっている。その上、ドワーフを鎖につないで拘束していた」
ダリルの顔色がみるみる悪くなっていく。
その様子を見下ろし、魔竜は目を細めた。
「それらに関しても調べられるのなら」
「―――――調査いたします」
正直なところを言うならば。
ダリルにとっては、そちらの方がおおごとだった。
彼にとって、漆黒の刃の重要性・危険性は未知数だ。ただ不気味というだけで。
けれど。
人間に悪魔の力を混ぜる、ドワーフを意に反して拘束する、など。
それらは分かりやすく、――――――禁忌である。
最低限、人間として、破ってはいけない一線を、つまり彼らは超えているということ。
「頼むよ。…ああでも、もしかするとそれらはすべて」
漆黒の刃を握った腕を魔竜は自分の胸に引き寄せ、とん、と身軽に後退した。
同時に掴んでいた尻尾を解放―――――両足で、魔塔の最上階、その縁に悠然と立つ。
「―――――つながっている、かもね?」
不意に、止まっているようだった風が、動いた。
風が舞う中、叡智に満ちた濃紺の瞳が、ダリルを映す。
魔竜のその姿は、今や落ち着き払い、長い時を経た神韻漂わせる大木を思わせた。
情報を求めながら、結局のところ、そのすべてを彼は知っているのではないか。
全てを見通すかのような様子にダリルが気を飲まれるなり。
「待て、魔竜」
去る気配に、サイファが引き留めるように声を上げる。
「黒曜の刃を、どうするつもりだ」
「あの頃」
とたんに、濃紺の瞳が、優しい感情に満ち、宝物のように魔竜は刀身を胸に抱いた。
「俺たちは奇跡を願った。その、奇跡が」
竜の顔が、ある方向へ向く。
そちらに何があるのか。思うなり、答えはすぐに出た。
皇城だ。
「今なら、起こるかもしれない」
「まさか、…皇帝か? 彼に、黒曜の刃を任せるのか」
意外だった。
その気持ちを隠さず、サイファは鉄色の目を瞠る。
オリエス皇帝が持つ神聖力は神の力。悪魔を殺すものだ。
その皇帝に黒曜の刃を任せると言うことは。
「消滅させるつもりか」
大切そうに抱いている刀身を、妙に人懐こいこの魔竜が、非情に消し去ろうとするとは思えずサイファはつい、責めるような声を放つ。だが。
「違う。…そうだな、なんと言えばいいのか。神聖力は悪魔を殺すもの、とされるが、…おかしいと思わないか?」
魔竜はサイファの考えを否定した。ならば、ますますわからない。
魔竜の狙いは何なのか。
「おかしい?」
「俺は生きている。神聖力の鎖に縛られてたのに、生きてるぞ」
「それは、君の力がそれほど強いという証…だろう?」
探るようにサイファが言えば、
「そこだ」
得たり、と声を上げた魔竜の尻尾が、くるんと背後で撓る。
「問題は、力の強弱に過ぎない」
大体、一番肝心でおかしなことが一つある。
神聖力は悪魔を殺す、それならば―――――神を、御使いを殺すモノもあるはずだ。
なのにどんな話も、それについては何も語らない。その上。
(命を奪うものであるはずなのに、食べれば悪魔の力が増すというのもおかしな話だ)
虚実入り混じって、真実が巧妙に隠されてしまった、そんな感がぬぐえない。
確かに悪魔にとって、神聖力は脅威だ。
うっかりすれば、命を落とすだろう。
だがそれは、神聖力を使う側の気持ちの問題も関わってくる気がする。
そもそも。
(俺がリヒトと再会した時、リヒトは俺の求めに応じて癒しの力を使った…あれはあとから思えば、神聖力だったはずなんだよな)
その時は何も思わなかったのだが、リヒトの力は、ヒューゴを癒しただけだ。
ただ、確かに―――――魔力がごそっと抜けていく感じはした。
(つまり神聖力って根っこは、魔力に作用するものなんじゃないのかな)
ならばほとんど存在が魔力でできている悪魔にとって、危険なのは正しい。
だが、神聖力を使う側の気持ちが殺意でさえなければ、命を落とすことはないのではないか。
そこまで考えれば。
―――――神聖力の鎖が増えるたび、死にそうになる理由をヒューゴは考える。
リヒトに、ヒューゴに対する殺意があるとは思えない。
ならばなぜ、死にそうになるのか?
しかしそれには少し、思い当たるところがあった。
リヒトはおそらく。
―――――…ヒューゴが自分で何もできなくなる状態を、望んでいる。喜んでいる。
一度、リヒトの手を借りなければ何もできない状態になったとき、彼は本当にしあわせそうだった。ご機嫌だった。
(…よく分からないが、瀕死状態を望んでいるけど、だからこそ、殺すつもりはない)
おそらくこれが、リヒトの本音だ。
これだよこれ、と内心ドヤ顔で結論するなり、ひゅっと肝が冷えた。
…なにそれ怖い。
ちょっと泣きたくなる。
サイファは次第に理解を表情に浮かべ、緩く首を横に振った。
「前提が間違いだと言いたいのか? 神聖力がただ悪魔を滅するものだと言う考え自体が」
「悪魔にとって危険なものであることには違いないさ。だけど」
魔竜は確信をもって告げる。
「相反するものだからこそ、逆に手を取り合えば、きっと、もっといい結果が生まれる」
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