―――――親、ねえ？ 成り立たない。残るのは猛烈な違和感だけだ。そのくせ、確信があった。 ここに触れてはいけない。 「さっき、相手が無意識に縛ったっつったが、今はどうなんだ、今は」 気を取り直し、カラスはくちばしを突き出す。 「聞いた話じゃ、お前、中間界で三度ほど魔竜の姿に戻ったそうじゃねえか」 「うーん…うん、まあ、―――――外せるみたいだね、コレ」 神聖力の鎖を指さすヒューゴ。根気良く、カラス。 「じゃ外してもらえよ。なんでしないんだよ。それともあれか、人間にとって悪魔なんか奴隷以下だからどうでもいいってか」 「俺が奴隷やってたのは、そっちのがこっちじゃ一番自由だったからだよ」 「？　人間の中で、一番偉いのは皇帝とか王様じゃねえの？」 「俺から見たら、身分高いと皆窮屈そうなんだよな」 「いいけどよ、縛られてたら結局自由がないんじゃねえ？」 「もう慣れた」 実は、そこが一番の問題かもしれない。 「今となっちゃ縛られてる方が安心できるし」 ヒューゴの言いざまに、とうとう、カラスはくちばしをクワッと広げて叫んだ。 「安心だと！？　能天気は顔だけにしろ！」 翼を広げ、威嚇するように激しく羽ばたく。 「今のお前の状態だと、悪魔なら普通死んでるからな！　この変態！！」 「ひどくないっ！？」 変態なら生き残れるのだろうか。 いや違う、最後の一言は絶対余計だ。ヒューゴはへそを曲げた。 「俺、急ぎの仕事があるから行くけど、ほどほどにして帰れよ」 なんだか刺々しい悪友の上を跨ぎ越し、ヒューゴはとっとと先へ進む。カラスなど置き去りだ。その後ろを、 「あ、おい、こら」 慌てたようにカラスがぴょんぴょん跳んで追いかけてきた。 「薄情者、置いていくな、それが久しぶりに会った相手に取る態度か」 ―――――ヒューゴは久しぶりに会った相手から、いきなり、なんで生きているんだと言われたんだが？ このイラっと来る自分勝手さは間違いない、魔竜の悪友・混沌である。 「なら肩辺りにでもとまってろよ。神聖力の鎖は避けてさ」 追い払っても無意味だ。やると決めたらこの悪魔はとことんやる。 追ってきているということは、いくら無視しても踏んづけても追ってくるだろう。 「冷たいやつ」 恨み言は無視して、足も止めずに、ヒューゴ。 「そういやお前、どこから来たんだ。結界が反応しなかったから、…まさか、中か」 このカラス、果たしてどこからやってきたのか。 悪魔の侵入を感知したなら、結界が反応しないわけがない。では中から現れたということになるが。 心当たりと言えば。 「もしかして」 ヒューゴは顔をしかめた。 「混沌は湖から来たのか？　この間、ソラが現れた場所」 この間、ソラが現れた湖から現れたのなら、結界が無反応であることにも納得がいく。 もとより内部にいた相手となるからだ。 「ちょっとソラに頼んでな」 カラスはちょっとふんぞり返った。 「びっくりしたか」 「わーびっくりしたー」 棒読みで応じ、ヒューゴは真剣に一言。 「知ってるよな？　俺の娘をいじめたらただじゃ置かないからな」 つまり混沌はソラに会ったということだ。 ソラはこの悪魔に苦手意識がある。 それに、地獄から中間界への移動は、空間が歪むからあまり好ましくないとも言っていた。 にもかかわらず、彼女は混沌をこちらへ送ったわけだ。 自然と、二人がモメたことは想像がついた。 とはいえ、ソラが結界から出なければ、混沌と会うことはないはずだ。 （何があったんだ？） つい眉をひそめる。 だが、この悪友が素直に答えるわけがない。 代わりに、なんだか遠くから、ソラが謝罪する声が聴こえた気がした。 ―――――気にすんな、むしろ俺がこんなのと友達やっててごめん。 「格下に頼みこんでまで会いに来た相手に何て言い草だ」 ぶつくさ言いつつ、バサッと羽音があがる。 直後、右肩に、小さな何かが食い込む微かな痛みが走った。カラスの爪だ。 「にしたって、いっつも悩んでんなぁ、お前はよ。飽きねえの？」 まっくろな目玉がヒューゴの顔を覗き込んでくる。 その顔が、意地悪そうに笑った。 「ひでえ顔してんな、しかもなんだ、そのカッコ。魔竜が人の服着てお勤めなんてよぉ、笑えるぜ」 ゲッゲッゲ！ 混沌らしい悪態だ。 懐かしさ半分、聞き流し、宮殿の上を駆け抜けながら、ヒューゴは無視。 とたん、聞いているのかとばかりに、くちばしでどすどすこめかみをつつかれる。 「あぁ、悪い悪い」 ちっとも悪いと思っていない態度でヒューゴ。 「あとちょっとしたら階下へ降りるから待ってくれ。…痛い、痛いから突っつくな」 「オレの攻撃を『痛い』だけでスルーするのなんざ、お前と灼熱くらいだぜ…しかもなんだ、ここは」 胡乱な声を上げ、何かを企んでいそうな悪い目つきで周囲を見渡した。 「普通に中間界なんだろ？　どこの異界かと…」 肩の上の鳥の身体が、なぜかボンッと膨らんだ。 その姿は、寒い季節に鳥の毛が生え変わってふわふわまん丸になっているような、あの感じに似ている。 急にどうしたのか。 「皇宮周辺には結界張ってるからそう感じるのかもな。寒いのか？」 「違うけどな、落ち着かねえんだよ。…お前の結界だって？」 カラスはきょろきょろと首を巡らせた。 「…でもこの感じ、お前の力だけじゃねえな。なんかと混じってる。厭な感じだけどまさか」 「ああ、オリエス皇帝と共同制作だ」 皇宮を取り囲む結界は、ヒューゴの自信作で、自慢である。 完璧ではなく、まだまだ進化する部分を残しているのが、なお楽しい。 気に入りのおもちゃを見つけた子供のようなヒューゴの横顔を呆然と見遣り、 「皇帝？　…オリエス皇帝？　さっきお前が『あの子』呼ばわりしたヤツ」 「そうそう、俺の契約者」 ヒューゴが軽く応じ、一際立派な宮殿の、上階のテラスへ降りると同時に、 「―――――んの野郎！」 怒り心頭の声を上げたカラスが、その肩から舞い上がる。 なんでいきなり怒ってんの、と見上げれば、 「契約者に奴隷扱いされてるとか聞いてたのに、めちゃくちゃ楽しんでんじゃねえか！」 姿を視認する前に、急降下したカラスからくちばしの一撃。 しかもまた頭。 「せっかく中間界にいるんだから楽しむに決まってるじゃないか！」 ヒューゴは反論。 なぜこんなに怒られるのか理解できない。 「やめろって、ハゲたらどうすんだよ」 ただ、続いた言葉に、なんとなく混沌の内心を察した。 「帝国滅ぼしてでも地獄に連れ戻そうと思ってたのに、何だこの状況！！」 態度は乱暴だが、カラスの様子と台詞からして、ヒューゴを心配してくれていたようだ。 さもありなん、神聖力が高いと言われるオリエス皇帝のそばにいる悪魔など、とうの昔に消滅してしまっていて不思議はない。