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幕・101 ぐうたらしてて ほしい
どう宥めようか、とほとほと悩みつつ思考を巡らせようとするが、
「何って…痛い、痛いから止めろって!」
再度肩にとまってキツツキの勢いで頭をつつき始めたカラスに、ヒューゴはたまりかねて声を上げた。その状態で宮殿の中へ入る。
「皆、不満が爆発寸前なんだぞ! チビはのほほんとして『お父さんなら大丈夫♡』とか言うけどなあ、だったらちゃんと説得力ある証拠持ってこいってんだ!」
「ソラは嘘言わないぞ。なんだ、みんなソラの言うこと信じないのか?」
つつかれる頭がぐらぐらする。
我慢しながら、ヒューゴは廊下を進んだ。
すれ違う侍従や侍女たちがぎょっと振り向いていくのが、今日はことさら目につくが、いつもの話だ。
おとなしく、くちばし攻撃を受けながら、気になったことを深刻な声で尋ねる。
「ところで、皆、爆発寸前って…何があったんだ?」
その程度も分からないのか、と言った口調で、カラス。
「お前が長年巣をあけてるからだよ!」
言われた言葉に、ますますわからなくなる。
百年ならともかく、ヒューゴが巣を空けているのはまだたった十数年だ。
悪魔の感覚で、それは長年とは言わない。
カラスの言葉はまだ続く。
「一族の長なんざ、オレでも怖くなるくらいの重い空気出してるぜっ?」
「なんでそんなことに?」
ヒューゴは本気で理解できない。
「俺が簡単に死なないって皆知ってるだろ」
「ぐうたらなお前が、こき使われてるってだけでもうアイツらいやなんだよ。ぐうたらしててほしいんだよ、わかってやれよ」
「そんなに俺、地獄でぐうたらしてた!?」
「自覚なかったのかよ!」
あんまりな言いぐさである。
ショックで黙り込んだヒューゴをつつくのを止め、カラスは周囲を見渡した。
「にしたって、皇帝と共同制作って言ったか? どうやったら魔力と神聖力が打ち消し合わずに作用するんだよ…うわマジでしてるわ信じられん」
きょときょと動いていたカラスの首が竦み、とうとう、翼と足をたたんで丸くなる。
大人しく蹲っていると、輪郭がもちもちとして丸い…見た目はまっくろな餅だ。
「正直なところ、俺も最初はこの神聖力の鎖だってキツかったんだよ。身体は焼けるし、ほとんど魔力使えなかったし」
「常識で言えば、神聖力がこんな鎖として作用するってのもおかしいぞ? 絡みつく前に、触れただけで悪魔なら死んでる。つまり、死ななかったらこうなるのか」
あんまり知りたくなかったな、と呟いた混沌の口調は深刻だ。
「俺も最初は死ぬかと思ったし、今でも下手したら死ぬと思う。鎖が増えると気が遠くなるし血を吐くし。オリエス皇帝…契約者がじかに放った神聖力に触れたら、骨まで溶ける」
気楽に言えば、賑やかだった混沌が、一瞬言葉を止める。
「混沌?」
「…溶かされたのか?」
声からいっさいの感情が消えていた。危険な兆候だ。ヒューゴはうろうろ視線をさまよわせ、
「でもまあ長年付き合ってると、逆に神聖力の扱い方のコツも分かってきたっていうか」
誤魔化す気分で話の流れを変える。
どうやらカラスにとっては、その言葉の方が衝撃だったらしい。
「ねえわ」
愕然と叫ぶ混沌。
「そりゃいくらなんでも悪魔だったなら、絶対できん話だぞ。お前悪魔だと思ってたけど、いつから悪魔を止めたんだ?」
カラスは本気で尋ねる。ヒューゴは冗談と解釈、けらけら笑って応じた。
「俺は生まれも育ちも地獄の悪魔だよ、知ってるだろ」
「だよなあ? なら、なんで悪魔が神聖力を扱えるとか阿呆なことに」
「もちろん、直には扱えないぞ。体液とか、気に混じってるから操れるんだ」
「だとしても前例がない」
「だったら、俺が作ったな」
ヒューゴはふんぞり返ったが、カラスは呆れ果てている。
「昔っから、変な遊びを始めるやつだったが、今回のは群を抜いてる」
首を傾げながら、
「…ってか今気づいたが、この神聖力、すげえ猥褻な絡み方してんな」
肩からヒューゴの身体を覗き込んだカラスが、つい、と言ったように呟いた。
「ソラにも言われたけど、そんなにか」
モラルなどないどころかマイナスの、地獄の悪魔さえ引くとはどれだけだ。
「悪魔なら他がどんな格好してようが知ったことじゃないけどな、人間の、しかもここは上流階級の連中がうろうろしてんだろ? 言われねえ?」
「神聖力が視認できる人間とできない人間がいるからな」
「で、見える人間は?」
「目を逸らす」
カラスは何かを諦めた様子で沈黙。
ようやく肩のカラスがおとなしく寛ぎ始めたところで―――――疲れただけかもしれないが―――――ヒューゴは執務室の前に立つ。
ここは宰相の執務室だ。扉の左右に控える騎士たちが、もの言いたげにヒューゴの肩を見遣った。
視線の先には、薄汚いカラスが一羽。
しかもやけに大きい。
目つきも悪い。
だが誰も何も言わない。漂う微妙な沈黙。
その隙を突いて、ヒューゴは扉を叩いた。
「入って」
中から許可の声。
こうなれば、声をかけるタイミングは消える。
ヒューゴは騎士たちに一礼し、堂々と扉を開けた。
真正面に見えたのは、書類が山と積み上げられた机がひとつ。
書類の森林のせいで、向こうに座る人間の姿は見えない。
左右に配置された机も似た様相を呈していた。だが、座っている人間の姿は見える。
―――――皆、屍のようだ。
(早朝なのにね!)
もはやこの一週間で見慣れた光景だが、夕刻ともなれば、ここは地獄以上に地獄の様相を呈する。
「…なんだ、ここは?」
傍若無人の混沌が、声をひそめたほど、室内には異様な空気が立ち込めていた。
「地獄でもこんな殺伐とした空気が漂っている場所なんざないぞ…」
だろうなあ、とヒューゴは他人事のように思う。
基本的に快楽主義の悪魔は、激務により自身を追い詰めることなどない。
ここには人間らしい情など、どこにもない。
あるのはただ、目の前の仕事。それだけだ。
「大丈夫、ここは中間界で間違いない」
さらなる異界にでも迷い込んだ雰囲気を、真剣に漂わせる混沌を宥めるようにヒューゴは言って、
「来たよ、リュクス。また泊まり込んだのか?」
奥の机へ声をかけた。
ここは顔なじみばかりだから、いちいち騎士としての儀礼にこだわる必要はない。
敬語も作法もすっ飛ばして、気軽に口を開くヒューゴ。
「んあ、…あぁ、ヒューゴか。もうそんな時間?」
「しかも徹夜? もう癖になってない? 休まないとできる仕事も捗らないよ」
当たり前の台詞だが、悪魔が口にしたとすれば違和感がある。
カラスはちらと呆れた目をヒューゴに向けた。
「んー…」
寝ぼけた声と共に、書類の山の向こうで、誰かが立ち上がる。
だが、頭のてっぺんすら見えない。のそのそと回り込んで現れて、ようやく姿を認識した。
幼い人間…いや、童顔なだけで、れっきとした成人男性のこの国の宰相である。
「時間が足りないよ。魔法でどうにかならないかな、ヒューゴ」
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