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幕・110 飲み干してしまいたい
ひとしきり吸った後。
リヒトは、ヒューゴの胸の輪郭を唇で何度か往復し、やがて。
ヒューゴの手を取った。
―――――…?
不思議そうに見つめるヒューゴの目の前で、その手を口元まで持ち上げる。
のんびり眺めていたら。
(あ)
リヒトは、ヒューゴの手の甲に恭しく口づけた。まるで、高貴な姫君にでもするように。得難い宝物でも扱う態度で。
びっくりしたヒューゴの前で。
伏せていたリヒトの黄金の目が、上げられる。上目遣いに、ヒューゴを見遣った。
だがそこに、媚びや頼りなさはなく。
真っ直ぐで、男性的な強さを帯びていて。
ヒューゴは怯んだ。
うっかりすれば、すべてを奪われそうな心地に、わずかに身を引く。
そのくせ、目が離せなくなった。
とはいえ、こういう時は、何となく寂しくもなる。
大人になったこの子には、もう、ヒューゴは必要ないのだ。
早く大人になってほしいと思っていたのに、勝手なものだ。それに。
(基本的にリヒトは女の子が好きだよなぁ)
受け容れる快楽に慣れさせ、溺れさせたが、こういう姿を見るとやはり雄なのだと思う。
罪悪感に似た痛みをちくりと感じながら、ヒューゴは譫言のような声で尋ねた。
―――――一か所だけでいいの? それに、見えない場所だけど。
ヒューゴの言葉に、リヒトが満足そうに吐き出した、吐息、そのすべて。
飲み干してしまいたいな、と、浅ましくも喉を鳴らしてしまう。
対するリヒトは。
なぜか、苛立たしげな表情を浮かべた。何を言うかと思えば、
―――――煽るな。見える場所につければ、ヒューゴは数日部屋の外へ出られなくなるぞ。
―――――? ? ?
見える場所につけるとなると、どうするつもりだったのか。
興味があるような、ないような。ただ、聞くと危険な気がした。
ヒューゴは無言で、服の前を合わせた。
隠されていく肌を名残惜し気に見ながら、リヒト。
―――――ディランが外へ出るという話が出なければ、僕が皇都の視察に出向く手筈になっていた。
ヒューゴは目を瞠る。聞いていない。
―――――初耳だけど、いつそんな話に?
―――――先日、<はぐれ>の話を聞いた後、皇都の巡回を厳しくしたのだが、…ふむ。
リヒトは言葉を切って、じっとヒューゴを見遣った。
―――――僕が説明するより、実際に見た方が、話が早い。リュクスたちは、皇帝陛下を外に出すより、まだ年端もいかない皇子を外へ出向かせる選択をしたわけだ。
引っかかる物言いだ。ともすれば、リヒトはディランを外へ出すことについても不満があるのかもしれない。
―――――ヒューゴならば、正しく動いてくれるだろう。
信用されているのか、いないのか。
皇都の状況とやらが気にはなるが、まあ、リヒトの言うとおり、実際、見てくればすむ話だ。
―――――じゃ、出発までまだ時間はありそうだから。
言いながら、ヒューゴはリヒトへさらに身を寄せた。ごく自然に、手を下へ下ろす。
止められるより早く、リヒトの足の間をやんわり撫で上げた。
とたん、リヒトの背中が震える。
ソコはいつからか、布を下から押し上げ、すっかりその気になっていた。
それを知られたことにか、いっきに、リヒトは耳まで赤くなった。
―――――だめだろ、リヒト。
甘えるようにリヒトにくっついたまま、ヒューゴは床へ跪く。
―――――下着を汚しそうなら、脱がなきゃ。
ズボンの前を寛げてやりながら、ヒューゴは上機嫌に囁いた。
リヒトは抵抗しない。
だが、戸惑いの強い声で尋ねてきた。
―――――…今、するの、か?
―――――お腹すかないようにしてくれるんでしょ?
さあ、楽しい楽しい罰のはじまりだ。
処女のように戸惑い、やり方を一つも知らないような表情で、頬を上気させ、リヒトは何かを耐えるような顔になる。
そのくせ、黄金の目は、期待に揺れていた。
下着から取り出したリヒトのそれは、案の定、既に先走りで濡れている。
そこへ唇を近づけながら、ヒューゴは囁いた。
―――――時間が来るまで、お腹いっぱい、飲ませて。
リヒトが達せなくなっても、ヒューゴは口を離さないつもりだ。
出発の時間が来るまでは。
それが、今回の罰。
結論から言えば―――――馬車の中で、ヒューゴは今、ご満悦だった。
甘い蜜で腹を満たしたちょうちょの気分だ。
きっと、どこへでも飛んでいけるだろう。
つい先ほどまで皇帝陛下のイチモツをうっとり頬張っていたこの口で、何が言えた義理もないだろうが。
年端もいかない童女のように唇をへの字にして黙り込んだフィオナを前に、ディランの頭を撫でながらヒューゴは言う。
「無理に話せとは言わないよ。女性の世界には女性だけの決まりごとがあるだろうし。ただ命に関わること、しかも皇帝の子の命が危険にさらされたなら、話は別だ」
はらはらした眼差しをフィオナに向けていたディランの背中が、突如、びくっと跳ねた。
蒼白になった子供の様子に、ヒューゴは彼から手を離す。
今、ヒューゴの態度も声も、氷のように冷たくなっているのだろう。怯えさせるのは本意ではない。と思ったのだが。
おや、とヒューゴはディランの様子にわずかに目を瞠る。
彼はただ怯えているわけではない。
ともすれば、ヒューゴから母を守ろうとしている。そういう表情だ。
「大丈夫よ、ディラン。ヒューゴは敵じゃないの」
宥めるように、フィオナが、言う。
「かあっこいい息子だね、フィオナ」
思ったままへらッと笑えば、フィオナは気が抜けた態度でため息をついた。
「…毒よ」
諦めたように一言、彼女は告げる。
「うん?」
聞き返せば、
「――――…食事に毒を混ぜられたの」
きっぱり、フィオナは答える。
ディランは唇を強く引き結んだきり、何も言わない。
たちまち、ヒューゴは嫌な気分になった。
昔のことを思い出したからだ。
「昔、リヒトも日常的に盛られてたよ…って、待った。ディランの食事に混入してたってことはフィオナも?」
やっぱり気付いたわね、と言いたげなバツが悪そうな表情で、フィオナ。
「あたしの食事に入ってたからディランの食事に入ってることに気付けたのよ」
聞いたことがある。
ハディスの王族として、フィオナは幼い頃から毒に慣らされていた。
故に気付けたのだろう。
「癒しが必要かな?」
その手の治癒なら、ヒューゴにも可能だ。
フィオナは首を横に振った。
「平気よ。味はなかったんだけど、症状から何の毒かは分かったから、すぐ、解毒剤を飲んだの」
「即効性? 遅効性? それとも」
「少量。死なない程度の、でも毎回」
蛇のように粘着質な悪意だ。
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