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幕・117 禁忌の魔法

ヒューゴの紹介のために、フィオナが口を開く寸前、とうとうヒューゴは口を挟んだ。 「―――――ここで、魔法が使われています。しかも、つい今しがた」 ぴたり、フィオナが動きを止める。 魔法と聞いたディランがきょろきょろと周囲を見渡した。 振り向いたフィオナが鋭く尋ねる。 「どのような魔法です」 戸惑いに、店主がフィオナとヒューゴを交互に見遣った。 フィオナは、来客用にソファに座ろうとしたのを止める。ディランを庇うように立った。 息子の肩に手を添える。 店主が慌てて身を乗り出した。 「お待ちください、我が店に、魔法使いは出入りしておりません」 きっぱりと断言。そこに、嘘はなさそうだ。 だからこそ、違和感が増した。 店内に残る魔法の痕跡と、店主の言葉が一致しないからだ。 「魔道具を取り扱うこともありません。ゆえに、魔法の使用の痕跡などあるわけがない」 素早くヒューゴは質問。 「なら、魔法使いとの取引は」 「あるわ」 フィオナが即答。店主が口を挟めないでいるうちに、さらにヒューゴの問いかけ。 「魔塔ですか」 「そのように報告は受けています」 それぞれの店の内情なら、フィオナほど詳しい者はいないだろう。 ともすれば、店主本人よりも。 「皇妃殿下」 調べればわかることとはいえ、情報を勝手に口にされるのは不快だったのだろう。 店主が、フィオナを咎める声を出す。 大人が子供を叱る態度に、 「―――――無礼者!」 突如飛んだ叱責に声に、店主が驚いたように口を閉ざした。 第二騎士団長の声だ。 「それが、皇妃殿下に対する態度か!」 彼の言うとおり、皇妃に対し、先ほどの対応はない。 素が出たのだろうが、内心でフィオナをどう思っているかが丸わかりで、利口な大人の対応とは言えなかった。 フィオナは無表情のまま、片手を挙げる。 今は店主の態度を言及している場合ではないという意思表示だろう。 ヒューゴとしては、言及したいところだ。 しかし、店内に漂う魔法の名残を追求する方が、確かに先だった。 第二騎士団長もそこは理解しているのだろう。 即座に口を閉ざし、寸前に怒鳴ったなど微塵も感じさせない態度でその場に不動で立つ。 不快そうな店主も含め、場の全員を視界に収めながら、ヒューゴ。 「魔法の痕跡を辿るに、使った相手はまともとは思えません」 店に入るなり、気付きはしたものの。 何も言わず、奥の部屋まで告げるのを待ったのは、人の噂を配慮したからだ。 悪い噂など少しでも立とうものなら、客商売には致命的な打撃になる。 なんにしても、こんな魔法の痕跡を感じる場所へは、フィオナにもディランにも長居してほしくない。 「残っている痕跡とやらは、まともな魔法の痕跡ではないということかしら」 言い換えたフィオナに、はい、とヒューゴは強く頷いた。 重い声で告げる。 「人間の脳…精神、はっきり言えば、―――――記憶の領域に干渉しています」 そうった魔法は、禁忌とされる。 人間存在、その尊厳を踏みにじるものだからだ。 …その上。 一瞬、店主の胸の真ん中を見遣り、ヒューゴは鼻を鳴らす。 そこからは、奇妙な気配がした。 人体の中にあるが、彼自身のものではない。 (まさかと思うが、…魔獣の卵?) だが、魔竜の時ならともかく、人間の姿をしているヒューゴでは、はっきりと正体がつかめなかった。 告げたところで、言いがかりとしか思われないだろう。 分かることと言えばそこに、 (何か仕掛けが施されているな) それは、正体が知れない分、何がきっかけで弾けるか分からなかった。 しかもこの仕掛けは、店主だけではない。 店を回った感じからして、他の幾人かの従業員にも施されているようだ。 誰が仕掛けたか分からないが、外道もいいところだ。 そんな相手のそばにフィオナとディランを近づけたくなかった。 「まさか、魔塔の魔法使いがそのようなことをするはずが」 店主の言葉をわざと遮る形で、ヒューゴは口を開く。 「では」 ヒューゴの脳裏を、先日の、貴族令息たちの会話が過った。曰く、 「<はぐれ>は、いかがですか」 店主が虚を突かれたように言葉に詰まる。 それは、心当たりがあると言うより、 「今、皇都には、<はぐれ>がいると聞き及んでおりますが」 「当商会を愚弄するおつもりか!」 店主が怒鳴った。ただし本気で怒ったと言うより、脅しの意味合いが強い。 だが、怯みもしないヒューゴの態度に、彼は舌打ち。 「いくらなんでも、<はぐれ>と取引するような外道は致しません」 悪党にも悪党の筋がある。 とはいえ、ヒューゴの目には、はっきりと魔法の痕跡が見えるのだ。 「魔法を使った者は、ディラン殿下を意識した可能性もありますね。神聖力は魔力を打ち消しますから」 実際、ディランが歩いたところは、痕跡がきれいさっぱり消えている。 神聖力によって消えると判断したからこそ、無防備に魔法を使ったとも考えられた。 自覚なしに悪いことをした態度で、ディランが小さくなるのに、 「ああ、誤解しないでくださいね、殿下」 ヒューゴは微笑む。 「今回は、皇妃殿下の公務にディラン殿下が同行なさったことは僥倖でした。なにせ」 ヒューゴは窓の外を見遣った。 「今日回った至る所に、魔法の痕跡が残っていましたので」 「…なんですって?」 共にフィオナの護衛についてきていた騎士団長が、口を挟む。 そう言えば、彼は何も知らなかったわけだ。 「つまりは、皇都の至る場所に、ですか。ちなみに、どのような?」 本当は責めたい気持ちがあるのだろうが、彼は淡々と尋ねてくる。 「あれは、呪詛の類でした。ご心配なく、ディラン殿下のおかげで、術式は崩れましたので」 今日、外に出ることでヒューゴは正直、呆気にとられた。 物自体は小さいが、数が多く、しかも規則的に配置されていたのだ。 触れた者は、数日、原因不明の体調不良になるだろうが、言ってみればそれだけで、あまり気にも留めないだろう。 フィオナにもディランにも、術式の存在は話したが、詳細については特に説明していないし、するつもりもなかったが、これは厄介だ。 (皇宮に戻れば、魔塔の魔法使いが定期的に巡回するよう手配してもらわないと) なんにせよ、それらは、太陽光にさらされた霜のように、ディランが通るだけで溶けて消えた。 ディランには、そうした自覚すらないだろうが。

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