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幕・124 ぎりぎりの連携
無理をして、ヒューゴを肯定する必要はない。所詮、彼は悪魔だ。
店舗の中へ裏口から踏み込めば、派手な破壊音と悲鳴の狂想曲が耳を貫いた。
ただ、一方的な蹂躙の気配ばかりではない。
戦いの音もその合間を縫って聴こえる。
「なんにしたって」
どうやら、先に去った騎士は上手に動いてくれたようだ。
「何も知らない人間が犠牲になるのだけは避けないとね!」
店のフロアに飛び込めば、もう、客の姿はなかった。
ただ、従業員たちが頭を抱えて蹲っている。
床の上に点在するのは、問題の従業員たちの成れの果て。
店内で、現れた魔獣に、対峙する騎士たち。そして。
割れた窓。
引きちぎられた扉。
一瞬でそれらを流し見て、ヒューゴは舌打ち。
床を蹴る足に、いっそう、力を込めた。
放たれた矢の勢いで、扉があった場所から表通りに飛び出す。
予測はしていたが、
「―――――外に出たか!」
一度振り向いたヒューゴの視界の端で、一緒にいたクレトと騎士が、店内の騎士たちに合流――――成獣と比べればまだ小さいが、翼や四肢を備えた魔獣と対峙。
中は騎士たちで問題はない。
それらを尻目に、表通りの光の下へ躍り出たヒューゴの目に映ったのは。
馬車の数歩前で、身を小さくするフィオナの姿。
その腕の中奥深くには、ディラン。
二人に、今にも襲い掛かろうとしているのは、中型の魔獣―――――鵺。周囲には、他の魔獣を相手取る騎士たちの姿。
要するに、手が足りない。
予想より、魔獣の数が多かった。
だが、後悔している暇はない。
鉤爪が振り上げられた。
ヒューゴの手が、剣に伸びる。だめだ、届かない。
では、魔法―――――考えるなり、すぐさま却下。
対象とフィオナたちが近すぎた。力加減を間違えれば、彼女たちが巻き添えになる。
…それ、なら!
ヒューゴは疾走の最中、身を低くして、足元の小石を取り上げた。
その姿勢のまま、鋭く、指で弾く。指弾。
それは刹那に、魔獣の急所を貫いた。一瞬、魔獣はよろめく。
だが、足止めにはならない。
―――――ヒューゴの視界の中。
落ちる。フィオナの上に。魔獣の鋭い鉤爪が。
容赦ない光景に、ヒューゴは歯噛みした。
人間の四肢がもどかしい。
なんと、脆く、未熟で、中途半端なシロモノだろう!
悪魔の肉体で、あったなら。
思うなり、ヒューゴの身を縛る、神聖力の鎖が、刹那。
みしり、音を立てた。
それと、ほぼ同時に。
「―――――御前、失礼」
涼やかだが、重い声が降った。直後。
―――――一刀両断。
頭上から、フィオナと魔獣の間に割り込む形で舞い降りた影が、魔獣の頭のてっぺんから股座まで、魚でも捌くように軽々と剣で割り開いた。
相応の膂力、緻密さがなければ、それは不可能だ。
しかも、『彼』は建物の屋根の上から飛び降りてきたように見えた。
その上で、この正確さ。
もちろん、路上にぶちまけられるのは、それなりに凄惨な光景となるわけだが。
フィオナとディランが無事なら、ヒューゴにとって、その程度はなんということはない。
目の前で繰り広げられた圧倒的な技術に、束の間、ヒューゴは舌を巻いた。
その男は、突如降ってわいたように見えたが…おそらく、彼は。
(皇宮から、馬車を追って来た連中のうちの一人…なんだけど)
それなりに力があるはずの魔獣をあっさり一太刀で倒してのけたその青年は、フィオナたちからすっと距離を取り、跪いて畏まっている。
地味ななりだが、立ち居振る舞いはきちんとしていた。
おそらく貴族らしいことは推測できる。が、何者かは皆目見当がつかなかった。
自慢ではないが、ヒューゴの人間関係は恐ろしく狭いのだ。
「フィオナ殿下、ディラン殿下」
通り過ぎざまに、魔獣の名残を正確にヒューゴは燃やす。二人の視界に、不浄なものを映したくなかった。
まだ助かったことを自覚しきれていない母子ふたりを抱えるように立ち上がらせ、ヒューゴは馬車の扉を開ける。
彼らを身体で庇うようにして、中へ入らせ、ようやく、ホッと息をついた。
ヒューゴは周囲を見渡す。
と、護衛をしてくれていた第二騎士団以外の、私服姿の騎士が幾人か、魔獣の掃討に力を貸してくれているのが見えた。
周囲の住民の誘導も速やかに行われたらしく、邪魔な野次馬の姿もない。
跪く騎士と、他の加勢に加わった騎士の剣の柄を見た時。
その紋章に、ヒューゴはなんとなく得心がいった。
「―――――…ハウエル家?」
あれは、ハウエル家の紋章だ。
ディランを抱きしめたまま、驚いたフィオナが顔を上げる。
先日の宴での、責任のいっさいを被せられる格好で殺されたクライヴ・ハウエル。
ハウエル家の当主は、責任を取る形で投獄され、不自然なほど早く死刑になっている。
それを聞いた時のリュクスの無表情から、その結末は彼の本意ではなかっただろうことは容易に想像がついた。
(何かを切り捨てると決めた時の貴族の行動は、驚くほど速い)
そして今、ハウエル家の当主として踏ん張っているのは、確か、クライヴの兄―――――、
「君はイーサン・ハウエル卿か」
ハウエル家は帝国が誇る武の家門の一つ。
中でもイーサンは、優れた実力の持ち主だと聞いている。
戦争にもほとんど参加していたはずだ。ただ。
次男のクライヴは国に残り、跡継ぎで長男のイーサンはほとんどの戦争に出た、というところから、何らかの事情を勘ぐってしまうが。
「はい」
イーサンは実直な態度で応じ、顔を上げた。
真っ直ぐに、ヒューゴを見る。
(あれ)
顔を見れば、ヒューゴにも分かった。知った顔だ。
彼には、会ったことがある。戦場で。
(そうだ、この顔は、常に戦場にあった)
彼が、フィオナとディランの方を見ないのは、皇室の人間を凝視するのは不敬にあたるという気持ちからだろう。
「皇宮から馬車をつけてきたな」
久しぶり、元気だった? と普段のヒューゴなら言っているところだが、ここは人目が多い。それに。
彼の行動の理由が気になった。
どんなに追い詰められた状況でも、自殺に走ったり、皇室に弓引くような人物とは思えなかったからだ。
どこまでも冷静沈着で、誠実な男。
これが、イーサンに対するヒューゴのイメージだ。ゆえに。
黙って馬車をつけてくるのは、印象にそぐわない。
(…待てよ、皇宮から離れた場所っていう舞台が必要だったのか?)
皇宮を意識したヒューゴの前で、イーサンは、真っ直ぐに応じる。
「処罰ならいかようにも」
何にしたって、結果的に、彼は皇妃と皇子を助けたのだ。問答無用で処罰などできるわけがない。
今、フィオナとディランが無傷でいられる理由は。
ヒューゴの指弾でわずかなりとも時間稼ぎをし、そこへイーサンが間に合った。
どちらか一方だけでは間に合わない、ぎりぎりの連携があったからだ。
「その前に答えろ」
ゆえにこうやって、ヒューゴとしては、会話を振る外なかった。
「皇妃殿下の予定を知っての行動だろうが、殿下に何か訴えたいことがあるのか?」
イーサンは、何を言いさしたか、口を開いた。
だが、唇からこぼれたのは、言葉になる前の息だけだ。
(聞き方を間違えたか?)
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