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幕・151 規格外
(まあそれが真っ当だけど)
思いながらも、リュクスは拍子抜けした。
リュクスの中には、リヒトの反応に、意外な心地になった自分もいたのだ。
少し恥ずかしくなって、咳払いをこぼす。
リュクスとしては、先ほどのサイファの言葉に、笑い飛ばせない何かを感じた。
ともすると、リヒトなら。
神の末裔たる血筋の、歴代最高の力を持った皇帝ならば―――――可能性があるのではないか。
(まあ、人間が神になるなんて、聞いたこともないしな)
ただし、それを言うなら。
リュクスはサイファを盗み見る。
―――――堕天した御使いという存在も、前例がない。
「そうですか」
素知らぬ態度で、頷くサイファ。食い下がることもない。あっさりした態度だ。
逆に、リュクスから見れば、どういうつもりで先ほどの発言をしたのか気になってしまう。
サイファは、自身が何を言ったのかすら忘れた態度で、隣の塔主同様、恭しく頭を下げた。
このような場で、皇帝を直視するのは、無礼にあたる。というマナーがあるにはあるが。
それ以前に、リヒトを直視するのは、厳しい。
神聖力が強すぎるのだ。
(さっきのは、冗談だったのかな)
リュクスは改めてサイファを見遣った。
そんなタイプには見えないし、冗談を言っていい場面でもないからこそ、サイファの真意がつかめない。
隣にいる塔主になら分かるだろうか、とリュクスはサイファの隣の魔法使いに目を向けた。
この塔主も、純朴そうな顔をして、食えないのは間違いない。
表情からは何を考えているのか、読めなかった。
皇帝の神聖力に圧倒されているようだが―――――魔法使いが、リヒトの力を前に、あれほど動じないのも珍しい。
リュクスは、リヒトのそばに行くなり、発狂した魔法使いを何人か知っている。
知れば、きっとダリルは脱兎のごとく逃げ出しただろうが、何も知らない彼はそこでじっと耐えていた。
魔塔を出発するとき、魔法使いたちがくれぐれも皇帝には近寄らないように、と念を押した意味がそれだが、幸か不幸か、ダリルはそれを知らなかった。
そして今。
ダリルは、塔主としての責任から、そこで踏みとどまっている。
逃げない。投げ出さない。あの若さで、これはすごい。
リュクスは内心、感心しきりだ。
魔塔の魔法使いでなければ、引き抜きたいところである。
さすがは、ヒューゴが任命した責任者と言ったところか。
調べたところによると、魔塔の実力者の中でも高位の若手は、全員、彼の門下に下っているという。
逆らっているのは、頭の固い年寄り連中で、それも、前任者を容赦なく処断したことから、あまり長く反発は続かないだろう。その上。
リュクスはサイファを一瞥。
元ではあるが、御使いが、彼の側についているのだ。
やり手なのは間違いない。
とはいえ。
リュクスの目が、ヒューゴに戻った。
肝心の悪魔が、目覚める様子はない。結局、方法も見つかりそうになかった。
(…藁にも縋る思いで呼んだけど、無駄骨ってこと、)
リュクスがそう判断しかけたところで。
「私を人間にとどめているのは、ヒューゴだ」
(―――――ん?)
不意に、リヒトが、妙なことを言った。
(え、まさか、それって、さっきの続き?)
リュクスはつい、幼馴染を凝視してしまう。
視界の端で、塔主と元御使いが揃って顔を上げた。
唯一、不動なのは、扉のそばで控えたリカルドのみである。ただし彼の場合、状況がよく理解できていない節があった。
「ヒューゴが生きている以上、私は一線を越えない」
その言葉に一瞬遅れて、リュクスはめまいを覚える。
(いや待て、リヒト、お前今なんて言った?)
突っ込みたいところをぐっと堪えた。理解が遅れてやってくる。
(それって…一線を越える方法があるって言ってるように聞こえるぞ?)
思わず、まじまじとリュクスはリヒトを凝視した。
幼馴染の黄金の瞳は冷静だ。リュクスの血の気が引く。
(できるって、…言うの?)
「―――――ただし」
いきなり、リヒトの声から、元から少ない感情がすとんと抜け落ちた。
「ヒューゴが死ねば何が起こるか、私にもわからないぞ?」
その声に、リュクスは背骨が凍り付いたような心地になって、ぞっとなる。
それはなにも、リュクスだけではない。
塔主たちもだ。
リカルドに至っては、反射のように腰の剣に手をかけていた。
何か。
今。
想像以上に、最悪のことが起ころうとしていないだろうか。
そう言えば、とリュクスは先日のことを思い出す。
―――――ヒューゴが聖女に刺されたときのことだ。
彼が姿を消した時、皇帝の様子がおかしかった、と騎士たちから報告があがっている。
その時も、リヒトは静かなようで、―――――尋常ではなかった、と。
素早くリュクスがリヒトの目を盗み見れば。
…黄金の目が、どこか、遠くを見ていた。
ヒューゴを見ているようで、見ていない。咄嗟に、
「陛下」
それでも平静な声で、リュクスは声をかけた。
もちろん、いくら長い付き合いで気安い関係とはいえ、彼の声に、言葉に、リヒトに対する力など何もないとリュクスは知っている。
リヒトにきちんと作用する力を持つ相手は、この世でヒューゴただ一人。ゆえに。
―――――リヒトの意識を今ここへ戻すには、これしかない。
ヒューゴを覗き込み、少し急いた口調で、リュクスは一言。
「ヒューゴの様子が」
もちろん、正直、リュクスから見て、ヒューゴの様子には、何の変化もない。
ひたすら苦しそうだ。
悪くもなっていないが、よくもなっていない。
それでも、リヒトの意識をこちらへ戻すには十分だったはずだ。
リュクスの言葉は、しかし、塔主や元御使いも動かした。
全員が揃って、ヒューゴを注視する。
…冗談、とか言える雰囲気ではなかった。
引くに引けなくなったリュクスは、
(とっとと目ぇ覚ませ、寝坊助が!)
心配から生じた腹立ちまぎれに、呻くヒューゴに向かって、心の中で怒鳴りつけた。
刹那。
―――――ヒューゴの肌の下を蛇のように這いまわっていた白く輝く何かが。
バチリッ。
小さな火花を上げ、胡散霧消。
しん、と不自然な沈黙が室内に満ちる。
今いったい、何が起こったの?
全員が、子供のような表情になり、しかし、ヒューゴから下手に目を離すことができない。
「…?」
正直、リュクスが一番驚いた。
ただしこれが、いいことか悪いことかが分からない。
呆然としたまま、全員が、ヒューゴの顔を注視する中。
―――――苦し気だった表情が、穏やかになっていく。呼吸も瞬く間に落ち着いてきた。
見守る中。
「…はは…は」
力ない笑いをこぼしたのは、サイファだ。
「魔竜は数多の奇跡を起こしてきましたが」
しかし、表情はまだ、信じられない、と言いたげな様子で、
「これは飛び抜けたことです」
呻くように続けた。
「―――――悪魔は膨大な業を背負って生まれ、生きる過程でそれを増幅させ、死に至るものですが、魔竜は」
気持ちを落ち着かせるように一度息を吐き、力が抜けたようにサイファは告げる。
「生きることでその業を、昇華している―――――規格外もいいところだ」
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