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幕・192 ガードナー家

× × × 歓待のための夕食は、宴の形式ではなく、こじんまりとした、ガードナー家の接待の場だった。 ガードナー家側は、辺境伯を中心に、レオンたち数人の孫が出席。 柔らかな絨毯を敷き、クッションを配置した室内で、円形になり、椅子ではなく直に足元に座っての夕食会となった。 下手に椅子があれば席順に迷うが、これならそこは無難にやり過ごせる。 (にしたって、これはヴァレシュ神国の様式だよな…) ともすれば、この形式を提案したのは、ミランダかもしれない。 だとすれば随分と、北部になじんだようだ。 ヒューゴからすれば、つい、口元が綻ぶような状況だが。 つい、ヒューゴはリヒトをちらと見遣った。 なにかにつけヴァレシュ嫌いのリヒトにとって、これは気に入らないかもしれないと思ったからだ。 だがヒューゴの心配とは裏腹に、リヒトがまとう空気は静かだ。 内心安堵しながら、ヒューゴは足元の絨毯に触れる。 この絨毯には、覚えがあった。 (ポカポだ…こんなに大きいのがあるなんて、改良したんだな) ヒューゴは心の中で感心しながら、手触りがいい絨毯を撫でる。 ポカポ、とは。 三年前、北部辺境の寒さに、皇都の騎士たちが耐えているのを見て、せめてプライベートの時間くらいは寒さと闘わなくていいように、何か方法はないだろうかとヒューゴが考えた結果、開発した魔道具だ。 魔道具、とは言っても、まあ前世の知識から言葉を引っ張ってくるなら、電気毛布、ともいえるものである。 そして、その名称も。 ぽかぽか、からきていた。 単純すぎて、それが普通に広がっているのが、ちょっと恥ずかしい。なんにしろ。 余計な体力を騎士たちが消耗せずに済むように、ヒューゴが開発したそれは、地元でも案外と好評で、そのまま北部に根付いたようだ。 そんな道具であるため、床に座っていても、お尻はとても暖かかった。 これだけで、ヒューゴはもう満足である。 リヒトの背後にウォルターと共に控えたヒューゴは、ちらと皇帝のそばに座るガードナー辺境伯を見やった。 彼の表情は思ったより明るい。 「こうして食事を皆で囲むのは、久しぶりだ」 髪と髭こそ、真っ白になったが。 頑健な体躯、筋骨隆々とした肉体。余裕ある笑顔。 病気や怪我に負けるとは想像もつかない。 年齢に応じて小さくなったかと思ったが、まるで昔と印象が変わらなかった。 だが用意された場所に座っていたのは、短い時間だ。 すぐ、自室に退室の向きに代わる。立ち上がった辺境伯に、 「辺境伯」 リヒトが冷静に呼びかけた。 「はい、陛下」 強面を、孫を見るような好々爺然とした表情に緩め、辺境伯は頭を下げる。 「一度、グラムス卿に診てもらえ。彼は私の健康管理も担当している」 あらかじめ打ち合わせていた通りの流れだ。 ヒューゴはリヒトの隣に座るジョシュアがちらと視線を向けてくるのに、目礼。 リヒトの警護はウォルターに任せ、立ち上がろうとする、なり。 「おそれながら」 柔和な口調で、ガードナー側から異を唱える声。 「祖父の健康管理なら、担当している侍医がおります」 視線が集中した先にいたのは、男は強面が集うガードナー家には珍しい、優男。 体格から、それなりに鍛えているだろう事は窺えたが、訓練ならともかく実践は覚束なそうといったところか。 だが皇都の坊ちゃんとは違い、人間や魔獣を殺した経験はあるだろう。 「何も知らぬ者に横から口を挟まれても困るでしょう」 至極真っ当そうな表情で、実に温和に微笑んでいる。言いたくはないが、と言外に告げている困り顔。 ガードナー家特有の、青灰の瞳。白金の髪。座っているから身長はわからないが、足は長そうだ。さぞかし女にもてるだろう。 「ルーク」 窘めるように口を開いたのは、レオンだ。 「黙っていろ」 確か、この二人は従兄弟同士だ。 ガードナー辺境伯には、かつて、息子が二人、娘が一人いた。 全員が、熾烈な自然と戦争が相次ぐ環境の中で、陰謀に巻き込まれ、命を落とした。 辺境伯長男の一人息子が、レオンであり、ルークは次男の長男だったはず。 辺境伯の息子たちがどうだったかは詳しくないが、従兄弟同士は似なかったようだ。辺境伯の孫たちは、あとは皆女性である。 「だけどね、兄さん」 ルークは穏やかそうな表情で、ヒューゴを見た。 「北には北の流儀がある。それを」 青灰の瞳を笑みの形に細め、ルークははっきり告げる。 「奴隷上がり、しかも悪魔に、迂闊にガードナー家の主に触れてほしくないと思わないかい」 正論だ。 ヒューゴに対し、不安を抱く者は多いだろう。 そういった異論が上がるのは、承知の上だったが。 「ばかもの」 レオンは前を向いたまま、その大きな掌で、隣にいたルークの後頭部を鷲掴んだ。 え、とルークが目を丸くする。 「問題はそこではない」 言いながら、力づくで、その額を絨毯に押し付けた。 さすがに、ガツンッ、と大きな音が上がる。優男が這いつくばった格好だ。 「なにを…っ」 こういった、突然の暴力には慣れているのか、悲鳴が上がったりはしない。 代わりに、抗議の声を上げるルークの隣で、レオンも深く頭を下げた。 「お許しください、皇帝陛下。よく言い聞かせますので、―――――ご容赦を」 (…そうだよなあ?) ヒューゴは無表情のまま、内心、あきれる。 馬鹿でもわかる話だが、ヒューゴが辺境伯の容態を診る、という話をたった今口にしたのは、誰か。 ―――――オリエス皇帝だ。 つまり、辺境伯はたった今、皇帝から、ヒューゴに容態を診せろと命令されたわけだ。 それに異を唱える、ということは。 皇帝命令に逆らうということで。 (この場で処刑されても文句言えないこと、よくできるな…) ルークとてガードナー家の血筋だ。 それがわからないほど馬鹿ではないはず。 にもかかわらず行動が軽率なのはいったい。 リヒトは応じない。興味がないかのように。 同じく辺境伯もだ。 二人が醸し出す空気が痛かった。状況が読めない愚か者にかける言葉は、彼らにはないのだ。 レオンが悪いわけではない。彼は正しい。だが、ルーク本人の謝罪がなければ意味がなかった。 黙り込んだ彼らの代わりに。 「…どうやら、アカデミーでよくないご友人と付き合いがあったようで」 眼鏡に触れながら、ジョシュアが冷静なまなざしをレオンへ――――いや、ルークへ向けた。 淡々と、ジョシュアが数を数えるように挙げていく名に、ああ、とヒューゴとウォルターは目を見合わせる。 今つらつらと並べられているのは、苦労知らずのボンボンたちの名だ。 長男に生まれず、家門を継げる可能性もない、だからといって自身で未来のために努力するほどの気概もなく兄を恨むことでしか憂さを晴らせないような。 戦中、リヒトの暗殺を身の程知らずにも企んでいた類の。 今は皇帝とはいえ、母を亡くし、高い神聖力以外は注目もされていない、捨てられたような皇族だったリヒトは、当時を知る貴族から、今もまだ軽視されている。 それはリヒトの周囲にいる者のせいでもあるだろう。 宰相リュクス・ノディエ。 将軍リカルド・パジェス。 そして―――――魔竜。

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