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第1話

東京 新宿 歌舞伎町 何もない殺風景な部屋で目覚める。 窓から入る日差しは既に傾いてる。 時計を見ると14:00、これがいつもの起きる時間だ。 体を起こして、ぼんやりと手のひらを眺める。 握って…開いて…確認する… 外を歩く町の人の足音を聴きながら、今日も大丈夫だと安心すると、ベッドから起き上がって、フラフラとシャワーを浴びに向かう。 ふと、足元に転がった衣服に足を取られて、派手に転びそうになる。 「もう!脱ぎっぱなしにするからだ!」 そう言って、洗濯物を足で持ち上げると、洗濯カゴに入れる。 既にキャパシティーオーバーのカゴからは服が垂れて落ちる… オレ一人しか住んでいない、新宿歌舞伎町にある、ボロアパートの1R。 洗濯機の無いこの部屋は、定期的にコインランドリーに行かないと…あっという間に着る物が無くなる、生活習慣が良くなる部屋なんだ。 せっせとマメにコインランドリーに行くなんて…甲斐甲斐しいだろ? 面倒くさそうに服を脱ぐと、浴室に入ってドアを閉める。 「洗濯機…欲しいな…」 ポツリと呟きながら、蛇口を開いて冷水を頭から浴びる。 お湯になるまで…待てないんだ… 「ちべたい…」 毎日同じことを繰り返して、その度に後悔してるのに…また今日も同じように冷たいシャワーを浴びてしまった…アホなんだな。きっと。 シャワーから上がって、曇った洗面の鏡を拭うと、鏡の中の切れ長の瞳のオレに挨拶をする。 「今日も赤い髪が素敵だ~。」 そう言って、歯ブラシを咥えると部屋に行って窓から外を眺めた。 毎日違う人が歩いてる筈なのに…いつもと同じ風景に見えるのは…どうしてだろう。 日が沈んで、辺りが薄暗くなる頃。 家路に着く普通の人とは逆に、ネオンが光り始める歌舞伎町へ向かう。 フラフラと道を歩く人を見て、近づかない様に遠くを歩いて行く。 こんな時間から酔っぱらってるなんて、きっと重度のアル中だ… 肝硬変になって死ぬんだ。 いつもの時間、いつもの道を歩いて、いつも通う店へと向かう。 三叉路に立つ、今では珍しくなった古いビル。 和洋折衷の歴史を感じさせる、石造りの味のあるビルだ。 正面の入り口をくぐってエントランスに立つ支配人に挨拶をする。 「シロ、おはよう。今日もよろしく~。」 「ん~」 片手を上げて返事をすると、エントランス脇にある階段を地下へと降りていく。 もう何年通ったかな… ここはオレが働くストリップバー。 俺はここのダンサーで、一晩に3回のショーを行ってる。 1人じゃ無理だ。 意外と体力を消耗するからね。 この店では2人のストリッパーで交互にショーをしてる。 20:00、22:00、24:00の3回を2人で回してるんだ。 男のストリップは珍しいから、意外と…需要があるんだよ。 やってる所が少ないからね、自然と、それ目的のお客が集まってくるんだ。 ニッチな商売は、固定客が着くと息が長いって言うだろ? だから店は、毎日、繁盛してる。 割合で言うと、男女ピッタリ半々くらいで、年齢的には若者よりも少し落ち着いた年齢のお客が多い。 遊び慣れた人が通う様な、そんな…お客を選ぶ店だ。 階段を降りると鉄の扉を開いて控室に入る。 ここはダンサーだけの控え室なんだ。 中には鏡と、衣装…少し横になれる程度のソファが置いてあって、ステージに抜けられる出入り口が赤いカーテンで仕切られてるんだ。 後は物置の様に段ボールがあちこちに置かれてる。 これが邪魔なんだ…少し暴れると、足をぶつけるから… 鏡の前にメイク道具を出して椅子に腰かける。 「さぁ、オレの質素な顔に色を付けないと…」 オレがここで働くようになったのは2年とちょっと前。 17歳で上京してきて、働く場所なんてまともに考えてもいなかった。 世の中の“就職活動”なんて、学歴も資格もないオレには、違う世界の事の様に感じた。 何の目標も目的も無いオレにとったら…日々を生きていければ、それで十分だったんだ。 だから、近所のコンビニのバイトをしてその日暮らしな生活をしていた。 無計画に上京したけど、それなりに生きていけるんだって…そう思った。 そんな中、支配人がお客でやってきて、レジ打ちするオレに声を掛けたんだ。 ストリッパーにならないか?ってね… 不思議だろ? 踊ってもいないし、脱いでもいないオレを見て、そう言ったんだ… 変だよな? けど、支配人の予想は当たって、20歳になった今ではこの店の花形ストリッパーになった。 「シロ、アイライナー貸して?」 そう言って手を出すと、オレの顔を覗き込んで来るこの子は智(さとし)。17歳の訳アリ家出少年だ。 鏡の前でメイクをする様はオレよりも板についてる。 美への探求心が強いんだ。 「ちゃんと返してね~?」 そう言って席を立って、後ろに掛けられた衣装の中から本日の衣装を選ぶ。 「今日は何を着ようかな~?」 ショーの合間は思った以上に暇なんだ。 だから顔を覚えてもらう為に、店に立ってる。 指名されたら接客の1つもこなすんだ。 この店の他とは違う、面白い点をご紹介しよう。 ホステス、ホストを半々に揃えて、ビアンのお客、ゲイのお客、のんけのお客、全てをカバー出来るんだ。 派手で無節操がモットーな変な店だ。 でも、粗相をする遊び方の下手くそなお客は、容赦なく追い出される。 言っただろ?お客を選ぶ店だって…これは支配人の拘りなんだ。 衣装に着替えて控室を出ると、階段を上ってエントランスへ向かう。 「今日も頑張って~行ってらっしゃ~い!」 そんな支配人の声援を受けて、お客さんと同じ出入り口から店内へと入る。 本当は控え室のカーテンからステージに抜けちゃう方が早く移動できるんだ。 でも、それをやると下品だって支配人が怒るんだ。 だから、オレはお利口に面倒くさい方法を使って店まで移動してる。 他のダンサーの子たちはこの移動が面倒で、店に立ちたがらない。 だって、夏は暑いし、冬は寒いんだもん。 エントランスから店内へ入ると、踊り場の様に開けた空間があって右手に下へと続く階段がある。 この店は地下と一階をぶち抜いてでっかい空間を作ってる。 何の為かって?それは下に降りたら分かるよ? 階段を降りると、左手にDJブースがあって一癖あるDJが常駐してる。 その奥には、小上がりの様に中二階になったカウンター席がある。カウンターの中には、支配人と同級生のマスターが常駐してる。 そして、右手正面には黒い床のステージが広がってる。 ステージの上には鉄のポールが一階の天井まで立ち上ってる。 これの為に、支配人は天井をぶち抜いたんだ。 そして、オレはこれに登って、脱ぐのがお仕事だ。 ステージ前には背の高いテーブルが5セット。 店の奥に進むとソファ席が4セット置いてある。こちらはホスト、ホステス目的のお客が使ってる。 強面のウェイターに挨拶してカウンター席へ向かう。 「マスター、ビールちょうだい!」 元気にそう言って、ビールを受け取る。これは後から天引きされるんだ。 「シロ~ご指名だよ?」 一口ビールを飲むと、そう言ったウェイターの後をついて行く。 奥のソファ席でオレを手招きする女性に、ニッコリと笑ってご挨拶する。 「元気だった?」 「シロ!今日はいつ上がるの?」 席に着いたばかりなのに、もう帰りの話をしてる。 この人は常連さんで、お金持ちの奥様らしい。ホストを食う事で有名なんだ。 「さぁ、分かんないよ。」 オレはそう言って、奥さんにお酒を作ってあげる。 「何で~!一緒に帰ろう?良い所に連れて行ってあげる。」 そう言って胸を押し付けて体を揺らしてくるんだもん。 やんなっちゃうよ… オレはね、こんなふしだらな店に出入りするような強い女は嫌なんだ。図書館に居る眼鏡をかけた巨乳の女が良いんだ! 「シロの事、好きだよ?可愛いし…大事にしてあげるよ?」 こう言うのが一番困るんだよ…大事にして要らないよ。 その腕に付いてる腕時計も…身に着けてる高級ブランドの洋服も、一体誰のお金で買ったんだよ… そして、何の為にそんなに綺麗にしてこんな店に来てるの…? 分からないよ。 奥さんはオレの体にしなだれかかってうっとりとする… 彼女の高そうな香水の匂いが体に纏わりついて、途方に暮れる。 「…もう、行くね?」 オレはそう言って席を立つと、彼女が指名したホストと入れ替わった。 「武~会いたかった!大好きだよ?」 そう言ってる奥さんの声を背中に聞いて、クスクスと笑う。 あの人は誰でも好きなんだ。自分に笑いかけてくれる男なら…誰でも好きになるんだ。心が寛大なんだ… 「シロ、そろそろ準備して?」 支配人に声を掛けられる。 オレは客の相手をするよりも、ステージに立った方が楽だ。 ストリップと言っても、ただダラダラと脱げば良いってもんじゃない。 踊りながら自然に、美しく脱ぐんだ。しかも、一番エロく見える様に効果的にね。 ポールなんてのは特に特殊技術がいる。 体幹を鍛えていないと上手くあの上で踊れない。まず体勢をキープ出来ないんだ。 太ももで挟んだり、脇の下と背中…太ももの3点で挟んだり…意外と体力を消費するものなんだよ? お客がくれるチップもエロく、美しく、そそる様に取りに行くんだ。 だって、それもショーの1つだからね。 一曲15分の間に踊りとストリップ、チップを華麗に取りに行く。これらを上手く構成して、毎回踊ってる。 こんな事考えながら踊ってるなんて…普通の人が聞いたら笑っちゃうよね? でも、ショーはショーだろ? やるからには一番素敵にしたいじゃないか…だから、オレはめちゃめちゃエロく激しく演出するんだ。男女ともに興奮するような踊りをしてね…! 「今日は何の曲にするの?」 「そうだな…男の客が多いから…マリリンマンソンが良いな…」 DJブースに寄って、本日の一回目のステージの曲を渡す。 オレの編集済みの曲が入ったUSBを手渡して、ハンドシェイクをする。 握手して、持ち換えてグッと握って、手のひらをヒラヒラして、鼻から何かをぼわっと出して、お互いを指さす…。 これもずっと変わらない…毎日同じ動きをしてるからもう自然に出来るようになった。 さぁ…今日もやるか… 階段を上ってエントランスへ向かう。 今日も支配人はご機嫌にお客にチップを買わせてる。 そんなエントランスを抜けて階段を降りると、メイクに夢中な智の後ろを通り過ぎて、ステージの袖…カーテンの裏にスタンバイする。 手首と足首をストレッチして、首をゆっくりと回す。 息を大きく吸って、吐ききる。 カーテンの向こうで、オレの編集した曲が大音量で流れ始める。 良いね…最高だ。 目の前のカーテンが開いて、ステージへ向かう。 暗い店内に、今だけ、ひと際輝くステージの上。 まるでここだけ…違う世界みたいだ。 ショーケースの中のおもちゃみたいに、触りたくても触れない別世界なんだ。 ステージの中央に行って、客を見下ろす。 最高に気分が良いよ? 腰を深く下げていやらしく動かすと、目の前のお客は恥ずかしそうに顔をそむけるか、身を乗り出すか…どちらかだ。 いつの間にか満員になった店内に、すっかりご機嫌だよ。 服の裾を掴んで、ゆっくり上げると口に咥えて腹を出す。 四つん這いになりながらファックしてるみたいに腰を緩く動かす。そして、上に纏った服をゆっくりと体から脱がせて行く。 上半身を露わにして膝立ちすると、体を仰け反らせながら両手で撫で下ろして行く。 どう?エロく見える?まだ?もっと? 仕方ないな… ハードな曲に合わせる様に、ポールに飛び乗って激しく体とポールを揺らすと、真下を見下ろしてにっこりと微笑みを贈る。 ここからが、醍醐味です。 膝の裏で絡まりついたポールにもっとしっかり固定させると、体を仰け反らせてポールを回る。 流れる音楽に合わせて、サビの部分が来る頃…頭を振ってヘドバンしながらポールを掴む手のポジションを変えた。 両足を高く上げて足首で固定すると、手の位置をずらして体を起こして行く。 ポールの高い位置まで体を上げると、しっかりとポールを両手で掴んで、体と足をポールから離して、クルクルと回って降りる。 この時のポイントは、回転に緩急を付ける事だよ? ただ回ってても楽しくないだろ? だからオレは凄いスピードで回した後、急にゆっくりと減速して、次のポジションに体を移行していくんだ。 膝裏でポールを固定すると、足で反動を付けて高速スピンをしていく… 体を仰け反らせたり、手の位置を変えて姿勢を変えて…変化を付ける。 「わぁ…頭がクラクラするんだ…」 でも、それが好きなんだ。 派手な技を決めると、お客から大きな歓声が上がる… いやらしい動きで興奮すると、お客のうっとりとしため息が聞こえる… レスポンスが早くて、オレみたいに待てない奴には丁度良いんだ。 ポールから降りると、ズボンのチャックを下げながらチップを受け取りに向かう。 ステージの縁には、チップを咥えて寝転がったお客が並ぶ。 口移しが恥ずかしい人は、手で渡したり、パンツに挟んでくれる。 だからオレはその前に、パンツ姿にならないといけないんだよ。 両手をズボンに突っ込んで、体をくねらせてズボンをゆっくりと下げて行くと、お尻が出た瞬間、お姉さんが嬉しそうに笑った。 オレの桃尻、可愛いだろ?ふふ… 仰向けてチップを咥えるお客の頭の上に立つと、ゆっくりと前屈しながら脱ぎかけのズボンを下に下げていく。 体に触れない様に体を覆い被せると、膝を着いてゆっくりと腰を引いて行く。 「こんばんは?」 顔を見て、目が合って、オレがそう話しかけると…お客は、恥ずかしそうに顔を赤くして、視線を逸らすんだ。 ゆっくりと顔を落として、口に挟まれたチップを咥えると、わざと焦らすようにじっと見つめてあげる。そして、頬を撫でながら体をゆっくりと起こして行く。 「シローーー!俺にもしてーーー!」 待っているチップ待ちのお客さんが興奮して沸くと、もっと高いチップが出るんだ。 みんなオレに取って貰いたいから、気を引くために高いチップを咥えるんだ。ふふっ! ズボンを足から外してステージの袖に蹴飛ばすと、次から次へと高いチップのお客から口移しでチップを受け取っていく。 これがオレの生活の糧だからね? 「わぁ…ありがとう…」 そう言ってパンツにチップを挟んでもらう。 ゲイのお客には吐息を付けて…それ以外のお客にはにっこりと笑顔を添えて、お利口さんにチップを頂戴して行く。 お触りするような行儀の悪いお客は、早々に出禁にされるよ? 支配人の美学に基づいたルールだ。 上手に遊べない奴は半人前認定を受けて、とっとと放り出されるんだ。 だからオレは安心して、ステージでお客を興奮させられる。 思う存分、エロく踊って、煽る事が出来るんだ。 ここが一番、この店の中で安全なんだ。 「シロ…アフターとか行ける?」 出番を終えて家に帰るオレに、支配人がそう言って声を掛けた。 アフター?何言ってんの? オレは彼を一瞥すると、ため息をついて言った。 「ねえ?オレ…そう言うのやらないよ?知ってるでしょ?」 仕事が終わったのにお客と会うとか…無いね。 同伴出勤もない。 仕事以外で、お客に会うなんて…絶対にしたくない。 自分の生活に入って来て欲しくないもんね? ステージが終わればさっさと家に帰って…明日、また同じように仕事をする。 毎日それの繰り返しで…それで、十分なんだ。 オレはアフターの誘いを断ると、さっさと出口へ向かった。 「まっ、ちょっちょっちょ、待てよ…!」 変な物真似をしながら支配人がオレを引き留めると…潤んだ瞳で見上げて来た… 「なぁんだよ!もう!」 そんな目で見たって…可愛い子猫じゃ無いんだから、無駄なんだ。 ただのムカつくジジイの顔にしか見えない。 支配人は両手を合わせると、オレに縋りつき始めた… 「お願い!」 「やだ!」 「お、お、お願い!」 「や~だ!」 そんな攻防を繰り返していると、支配人はスッと姿勢を伸ばして偉そうにふんぞり返った。そして、さっきまでとは違う、いつもの声色で言い放った。 「…これはな、業務命令だ。」 …もう!全く! 鼻息荒く肩を落とすと、頬を膨らませて支配人を睨みつけて言った。 「変な事されたら、辞めるからな?!」 とんでもない銭ゲバジジイだけど、ここまでする支配人の頼み事なら、断れない。 正直言って、この人には頭が上がらない。 だって、オレにこんな楽しい仕事をくれて、守ってくれるんだもん… ため息をひとつ吐くと、ムスくれた顔で言った。 「相手はどこに居るの?ご飯食べれば良いの?掘られたりしないよね?」 オレの言葉に支配人はニヤリと笑って、外を指さして言った。 「…外のリムジンに居る。」 は? 「…リムジン?何それ?」 マジかよ。 銀座の高級クラブじゃあるまいし、こんな歓楽街にリムジンで乗り付けるなんて…一体どこの何様だよ… 悶々と疑問を抱えて首を傾げていると、支配人は問答無用にオレの体を回れ右させて、エントランスから外へと放り出して言った。 「シロ!よろしくね!」 どういう事だよ…全く! 放り出された道路の路肩に、この場に似つかわしくない黒いリムジンを発見する。 あれか… 車の脇に立った運転手が、オレを見付けると後部座席のドアを開いた。 そこに乗れってか… トボトボと歩いて近付いて行くと、開いたドアから中の様子を伺った。 長い足と高そうな革靴。丈の丁度いいズボンの裾。張りのあるスーツの生地… 正真正銘の金持ちが中にいる。 オレに一体何の用だろう…? 運転手の顔を見つめて首を傾げると、ぶりっ子しながら体をクネクネして、最後の抵抗をする。 分かんな~い!怖~い!と、体と目で言ってみた… でも、運転手はオレを見ても表情も態度も変えずに、首を振って車内に促す… あぁ…彼はのんけだね?ふん! 意を決して、体を屈めて車に乗り込むと、目の前でオレを見つめる男の人と目が合った… 誰だろう…? テレビで見た事がある…車内の様子と、フカフカの革張りのシートに腰かけて、目の前の女郎の男性を見つめる。 彼はオレを見つめたまま、優しく口端を上げて微笑みかけて来た。 白髪交じりの髪を緩くオールバックにして、オーダーメイドのスーツを着こなす金持ちの男…どことなく冷たい雰囲気を纏ったこの人を、オレは見た事が無いよ? 「…どこかでお会いしましたか?」 だって、こんな濃いキャラクター…一度会ったら忘れたりしないよ。 体全体から高級感が漂ってるんだ。…ただ者じゃないよ。 首を傾げたまま相手の返答を待ってるけど…目の前のこの人は、オレの顔をじっと見つめたまま動きを止めてしまった。 まるで、答える気が無い。というか…放心した様に心ここにあらずなんだ… 「あの…」 オレがそう言って顔を覗き込むと、我に返った様に体を動かして小さく笑って言った。 「ごめんね。私は結城(ゆうき)と言います。今日は、君にお願いがあって…お呼びしたんだよ。」 やっと話し始めた初老の男性は、オレを見てにっこりと微笑むと、胸ポケットから一枚の写真を取り出して手渡して来た。 「はぁ…」 何気なく受け取った写真をじっと見つめると、そこに写って居たのは爽やかそうな可愛らしい青年… 何だろう…息子自慢か何かかな…? 写真を結城さんに返しながら、首を傾げて尋ねた。 「この人が…何か?」 「今のは私の息子だよ。」 やっぱり、息子自慢だ…! きっと金持ち過ぎて、誰にも息子を褒めて貰えないんだ… なんて言ったら、この空間から解放してもらえるんだろう? 可愛い…?格好良い…?若い…?優しそう…?ガッツがありそう…? オレが考えあぐねていると、結城さんは話を続けた。 「シロ君には息子を誘惑して、付き合っている女性と別れさせて欲しいんだ。報酬は用意してある。どうかな?…やってくれるかな?」 ん? 結城さんの唐突の言葉に、首を傾げたまま眉間にしわが寄っていく… どういう事…?オレが彼を誘惑するの? 「…えっと、息子さんはゲイか何かですか?」 何かって…なんだよ…と自分の言葉に突っ込みを入れて、目の前の結城さんを見つめる。 「いや…。息子はゲイじゃないよ。」 そう言って身を屈めると、瞳を細めてにっこりと笑いかけて来る。 何だろう…この人から、そこはかとない冷たさを感じるんだ。 目の奥が笑って無い…まるで、真顔の瞳。 オレを見つめて離さないような…妙な執着心を目の奥に感じるんだ。 冷たくて、執着心が強いって…矛盾した感じだ… オレは咄嗟にシートに深くお尻を滑らせると、結城さんから物理的に体を離した。 何だか…危険な匂いがする。 「ゲイじゃない人を別れさせるなんて、どうしたら良いのか分からない。もっと専門的な知識を持った探偵に頼まれた方が良いと思いますよ?」 オレは肩をすくめてそう言うと、眉毛を下げて彼を見た。 だってそうじゃないか…こんなの無理ゲーだ。 やる前から結果が分かってる。幾ら俺がストリッパーだからって、男に興味が無い男をどうやって別れさせるというのか…。 脱ぐの?脱いだら良いの? 店の外でそんな事したら…公然猥褻だ。 こんなの無理だ。 「息子はゲイじゃない。でも、君が息子の想いを寄せていた人に良く似てるんだ。とても…よく似ている。」 結城さんはそう言うと、オレの顔を伺う様に首を傾げて見せた。 「似てるって…その人は女性ですか?だったら…」 「男性だよ?依冬の想いを寄せていた人は…男性だ。」 それをゲイって言うんだよ。馬鹿タレ! 「でも、今付き合ってる人は女性だ…だから、きっと息子はゲイじゃない。」 それをバイセクシャルって言うんだよ!馬鹿タレ! オレは目の前でずっとニコニコし続ける結城さんを見つめて言った。 「この話、引き受けたら何があるんですか?オレに得になるような事…あるんでしょうか?本来、プロでも無いオレがこんな事しても上手く行くと思えない。だって、そうでしょ?ノウハウなんて無いんだ。もし本気で別れさせたいのなら、オレではなくプロを雇うべきだ。」 オレだって馬鹿じゃない。それくらい分かる。 オレがそう言って断る方向で話をまとめると、結城さんが突然言った。 「初めに200万。成功したら更に500万出そう。」 え…? 何それ…そんな大金、実生活の中で、聞いた事無いよ…? いとも簡単にオレのような相手に大金を提示してくる事に、そこはかとなく怪しさを感じて、警戒する。 普通じゃない…何かおかしいよ。 「…オレ…仕事でストリップしてますけど、実生活で男が好きとか…そんなんじゃ無いんです。だから、どうやって別れさせたら良いかなんて全く分からないんです。すみません。他をあたって下さい。」 こんな怪しい話に乗るべきじゃない。 そもそもお金なんて必要ない。目の前にちらつかされたって…よだれを垂らす程、生活に困ってる訳でも無いんだ。 他をあたってくれよ… 触らぬ神に祟りなし、知らぬが仏、君子危うきに近寄らずだ。 そう言ってペコリと頭を下げると、車の外へ出ようと腰を上げた。 「一目見ただけで…依冬は君に恋に落ちる。…それは、確実なんだ。」 ポツリとそう言うと、結城さんは自分のジャケットに手を入れて財布を取り出した。そして、中から一枚の写真を抜き取ると、オレの目の前に差し出した… そこに写っていたのは…まぎれもなく、オレだった。 目が点になって…開いた口が塞がらない。 「…!!何これ…これ…オレ…?」 「違うよ…これは湊(そう)だ…」 そう言って自分の財布に写真をしまうと、オレを見つめて言った。 「…ね?そっくりだろ?」 そっくりどころじゃない…まんまオレだった…髪の色と服装を変えればオレになる。 つまり、オレも彼になれる。…そういう事だ。 こんなに似てる人がいるなんて…。 言い知れぬショックに言葉を失うと、大人しくシートに座り直して呆然とする。 「どうだい?興味を持ってくれたかい?」 結城さんは目を細めて冷たい笑顔を向けると、オレの顔を覗き込んだ。 「…ええ。初めに200万。女性と別れさせたら500万。…これで、良いですか?」 オレはそう言って目の前の冷たい瞳を見つめ返した。 「あぁ…嬉しいよ。ありがとう。」 そう言ってペロリと舌なめずりをする結城さんはまるで蛇みたいに見えた。 どうして乗ったんだろう…。 こんな話に、どうして乗ってしまったんだろう。 怪しさが満ちたこんな話。 警戒心の強いオレがどうして乗ってしまったんだろう。 「詳しい資料はすべてこの中にある。息子に会う前に必ず読んでおいてね?」 …200万もらえるんだ…今だけ、調子を合わせておけば良いんだ。 開き直るような考えに従って、結城さんの話に頷いて答えた。 手渡された袋はズシリと重くて、手から滑り落ちた。 「ふふ…ちゃんと持って?」 結城さんはそう言ってオレの手に袋を持たせ直すと、指先を動かして、オレの手の甲をそっと撫でた。 顔を覗き込む結城さんの目がギラついて見える。 …それは、まるでオレに欲情してるみたいに見えた。 コンコン 結城さんが窓をノックすると、運転手が乗り込んで車のエンジンをかけた。 動き始めた車の中…触れられた手が気持ち悪いくらいに小刻みに震える。 蛇に睨まれたネズミの様に…怖くて震えた。 何かとんでもない事に巻き込まれてしまった… こんなに居心地の悪い状況なのに、リムジンの乗り心地は最高だった。 これだったら車酔いもしないだろうな…それくらい、全く、揺れないんだ。 でも、この車の乗り心地が良かろうと…オレが結城さんに視姦されてる事に、変わりは無いんだ… 膝に置いた袋の重さ…膝にあたる硬い質感。何が入ってるかなんて確かめる余裕なんて無い。 動いたら飛び掛かられそうな気迫を感じて、ただじっと窓の外を眺めた。 どうして知っているのか…車はオレのボロアパートの前に停まった。 道を教えた訳でも、住所を伝えた訳でも無いのに…既に彼はオレの自宅を把握している様だった。 「また…会えるよね?この事、誰にも言ったらダメだよ?」 車から降りるオレの手を掴んで、結城さんがそう言った。 怖いんだよ… この人の…目つきが、怖い。 オレは彼を一瞥すると、軽く会釈して、車から降りた。 走り去るリムジンを見送って、手に持った紙袋の重さに体がふらつく。 世界中には自分に似た人が3人いる…常連さんが言っていたそんな都市伝説を思い出す。 …まるで双子の様に似ているオレと彼…他人に無関心なオレが興味を持った彼。 どんな環境で育ったの?どんな暮らしをしてるの?今、どこに居るの? まるで、自分を探す様に…彼に興味を持ったんだ。 ボロアパートに戻って袋の中身を確認してみると、A4のファイルが2つに、帯が付いたままの現金が入っていた。 「わぁ…初めて見た…」 そう呟いて現金の束を指で撫でる。 これが欲しい人が沢山居るのに…オレが貰っても良いのかな…だって、オレはこんなに沢山要らない。 A4のファイルを手に取って中を開いてみると、びっしりと書かれた細かい文字に目が酔った。 そっと手から離してテーブルに置くと、服を脱ぎ捨ててベッドに横になった。 疲れた… うっすら開いた瞳からテーブルに置いた現金とファイルを眺めながらオレは眠りに落ちた。 14:00 アラームの音で目が覚める。 窓の外からいつもの様に道を歩く人の足音を聴いて、カーテンを貫いて入って来る傾きかけた日を眺める。 ベッドから体を起こして昨日置いたままの状態で静かに佇む現金とファイルを見る。夢じゃなかったんだ。 やるって言っちゃったんだ… ベッドから立ち上がると、それらを素通りしてシャワーを浴びる。 脱ぎっぱなしの服に足を取られてつま先で洗濯カゴに放り込む。 もう入りません!もう乗りません!そう言ってる様に、放り込んだ洋服がタラリと落ちて来る… 限界だな…後でコインランドリーに行こう。 シャワーをさっさと浴びると、髪も乾かないうちに、洗濯カゴを抱えて家を出た。 思い立ったが吉日なんだ。すぐにやらないとまた次の日になっちゃうんだ。 今は9月…夏が終わったとはいえ、まだまだ日中は半そでで良い位だ。日差しだって十分強い。 肌が白くて弱いオレは、日に焼けるとすぐに赤くなってしまうから、こんな時もUVカットの長袖を着る…。まるで美白至上主義のおばちゃんみたいだ… 平日のコインランドリーはガラガラに空いていて、待たずに洗えるから気に入ってる。 洗濯物を大型の洗濯乾燥機にぶち込んでいく。 小銭を入れて回り始める洗濯乾燥機の前に座ると、洗濯が終わるまで…80分。耳にイヤホンを付けて音楽を流し始める。 コインランドリーの前を通る人をぼんやりと眺めながら、耳に届く音楽を聴いてる。 平和だ… 目の前でグルグル回って洗われる洗濯物を眺めて足でリズムを取る。目を閉じて音楽に合わせて頭の中で振り付けを考える。 この曲を聴いた時、派手な振りをやりたかったけど…今、聴いたらまた違う気がするな…もっとしっとり踊った方が良さそうだ。だって、少しだけ悲しそうな歌詞なんだ。 ふと、写真の中の自分にそっくりな人を思い出す。 彼も、少しだけ悲しそうな顔をしていた…惹きつけられる様な不思議な魅力を持った目をしていた。 オレは持ち合わせていない魅力だ。 それは性別を凌駕するのも頷けるような、そこはかとない儚さを持った目。 惹かれるのも…分かる気がする。 このオレだって彼に惹かれてこの依頼を受けてしまったんだからな… 両手を頭の上に上げてヒラヒラと動かしてみる。まるで落ち葉が落ちていくように手のひらをしきりに返して、ヒラヒラと落としてみる。 綺麗だ…裏と表が行ったり来たりして…綺麗だな。 おもむろに立ち上がって、誰も居ない事を良い事に、暇な時間で体幹を鍛える。 アラベスクのポーズを取って首を伸ばしたままキープし続けるんだ。 自分の体幹にブレが無いのを感じて、安心する。 横から押されてもこの状態をキープできる自信がある。鍛えられた体幹だ。 目を閉じたって揺れたりしない…確固たる体幹。 後ろに上げて伸ばした足をゆっくりと前に伸ばす。両手を上げてつま先を膝に付けてパッセする。 洗濯乾燥機の窓に映る…自分のシルエットを確認しながら、美しい姿勢を保つ。 昔一緒に働いていたダンサーの子がバレリーナだった。 彼女は妖艶に手先まで美しく踊ったんだ。オレはすっかり夢中になって彼女の様に踊れるようになりたがった。そこで教えてもらったのがこれらの動作だ。 バレエの基本動作、これらは簡単に見えて、結構しんどいんだ。 足をまっすぐに伸ばすのさえ筋肉を必要とするんだから。 インナーマッスルを鍛えるならバレエをお勧めしたい。これは美しくなれる筋肉を鍛えてくれる。お尻だって小さくなるしうち太ももが鍛えられる。 何よりも柔軟な体は美しい! ピーピーピーピー 「お!」 洗濯乾燥が無事に終了したようだ! 洗濯カゴに乾燥したてのフワフワな洗濯物を入れていくと、タオルが生き返ったようにフワフワして手触りが気持ち良くなった。 やった~! 家に戻ると手際よく綺麗に畳んでタンスにしまっていく。 着る服がしわだらけなのは嫌だもんね… 床に座って開脚すると、体をストレッチさせながら、テーブルに置いたA4のファイルを手に取って開いた。 そこには昨日写真で見せてもらった…結城さんの息子の情報が載っていた。 結城依冬(ゆうきよりと)19歳。オレより学年が一つ下みたいだ。 身長185cm…高いね?羨ましいよ。 体重は…書いて無いんだ。…デリケートな問題だからね。 血液型…星座…そんな乙女の必要な情報は書いてない…か。 有名進学校を卒業した後、大学へは進学しないで親の家業を手伝っている様だ。 父親はあの有名企業の社長…結城財閥の1人。 そりゃ…オーダーメイドのスーツを着るだろうね… お金持ちのボンボンなのに依冬くんは大学で遊ばないんだ…意外だよ。金持ちの息子って…やリサーってやつに入ってキメセクしてる奴ばかりだと思ってた… アヘンを吸って自滅する昔の貴族みたいに…腐った奴しかいないって思ってた。 今は営業のお仕事をしているみたいだ。何だか、堅実で笑えて来る。だって、お父さんは社長さんなんだよ?それなのに下っ端みたいに働いてるんだもん。好感度が上がっちゃうよ。偉いじゃないか。 ページをめくっていくと、昨日ショックを受ける程驚いたオレにそっくりの彼を見つける。結城さんに見せてもらった写真よりも、こっちの写真の方が楽しそうに笑って見える。 「本当に…そっくりだ。」 そう言って写真の彼を指先でそっと撫でる…。 今、どこに居るの?何をしてるの?会ってみたいよ… まるでオレが無くしてしまった何かを持ってるような笑顔に、他人とは思えない気持ちが芽生えて、無性に会って、話をしてみたくなった。 どんな人なのか知りたくて…彼の資料をじっくりと読んでみる。 でも、そんな思いはすぐに打ち砕かれてしまった… だって、彼はすでに亡くなっていたんだ。 「…亡くなった人の…代わりをするの?」 一気に血の気が引いて行く。 回らない頭のまま目だけ動かして資料を読み進めていく。 湊(そう)くんは、依冬くんの幼馴染。高校2年生の時に不慮の事故で無くなっている。死因は出血多量による失血死。事故だから…血が止まらなくなったのかな。 亡くなった人の代わりをするの? このオレが…? そんな事をしても大丈夫なの? 目の前に、亡くなったはずの愛する人が現れたら…結城さんが言った通り恋に落ちるだろう。それは愛していたならなおさら強く思うだろう。 別人だと分かったとしても…抗えない気持ちに苦しめられるんじゃないのか… どうして…そんな趣味の悪い事をするんだよ…理解できない。 自分の息子なのに…まるで、いたぶるみたいじゃないか。 その時、オレの携帯電話がテーブルの上を振動して着信を知らせた。 「もしもし…」 非通知の着信を受けて、電話口の相手が話すのを待った。 「…もしもし、シロ君。おはよう…昨日のファイル、見てくれたかな?」 今、丁度見ていたんだよ?タイミングが宜しい様だ。 「明日の18:00に渋谷にあるホテルまで来てくれるかな?依冬が商談相手とディナーを取ることが決まったんだ。だから、そこに向かって欲しい。詳しくは当日、手配した部下に聞いてくれ。良いね…?」 良いね?もへったくれも無いだろ?選択の余地なんて無いんだ。 「…分かりました。」 オレが短くそう言うと、電話は一方的に切られた。 「良いね?じゃねんだよ…やれって事じゃん。なぁ~にが良いね?だよ。ふぇっ!」 鼻に付くスカした話し方に一人で抗議していると、携帯にメールが届く。 うすら寒いね… オレは彼に携帯のメールを教えた覚えなんて無いんだよ? 全く教えた覚えなんて無いんだ… それなのに、細かく注文する様に湊くんの服装のブランドから、着こなし方まで書かれたメールが届いた。 結城さん…あんた一体どうやってオレの事調べたんだよ。家の住所から、メールアドレス、携帯の番号…どうやって調べたんだよ… 他に…オレの、何を知ってるんだ… この依頼をする前から、結城さんはオレを調べていたの…? いつから?何を?どこまで知ってるんだ…? 「気に入らねぇ…」 そう呟いてテーブルの上の現金を手で薙ぎ払った。 彼の冷たい目を思い出す。 まさか… 過去までさかのぼって調べたりはしないだろう…? せいぜい現在の住所と連絡先くらいだろう? さかのぼれる筈が無いんだ…だって、オレには戸籍が無いんだから。 住民票だってない。 オレはここに…日本にいない人なんだ。 いや、世界に…地球上に…オレはいない人なんだから… 知られる訳が無いんだ。 険しくなった顔を戻す様に両手で解して携帯電話に目を落とす。 「どれどれ…何から揃えようか…?」 そう言って出かける準備をする。 明日までに洋服を揃えて、髪を黒く染めなくちゃいけない。 黒髪なんて…ステージで映えないじゃないか… 床に転がった札束の中から10枚ほど抜いて、お財布にしまうと、薄いパーカーを羽織って、家を出た。 日が傾きかけた午後…美容室へ行って、赤髪を黒髪へと染めてもらう。 「今、黒髪も流行が来てるんですよ?」 そんな風に話すピンクの頭の美容師の言葉を聞きながら、隣で緑に髪を染める中学生に目をやる。 混沌だ。髪の毛の色が混沌時代を迎えてる… 無事に黒く染まり上がったオレは、すっかり中学生の様に幼くなった… うえっ!だせぇ… 携帯に送られてきたリストを見ながら今度はショップをめぐる。 きっとスタイリストさんはこんなお仕事してるんだ…。 リストの中から一つずつ洋服を購入していく。 お金持ちのお友達なのに、湊くんは意外とチープにそして、シンプルにまとめている。 もっと、高い時計とか…プレゼントされてないの? 買い物を終えて家に戻ると、自分のリュックを手に持って再び家を出た。 もう出勤の時間だ…慌ただしいね。ほんと…やんなるよ。 18:00 いつもの三叉路の店に来る。 「あはははは!!」 オレを見て指を差して大笑いする支配人に、中指を立てて階段を降りる。 「あははは!!」 オレを見て大笑いする智の頬に、たっぷりとオレンジのチークを乗せてあげる。 19:00 衣装に着替えて店に出る。 「あはははは!!」 オレを見て笑うカウンターの向こうのマスターにピーナッツを飛ばしてぶつける。 黒髪だ…この黒髪のせいで…ガキに見えるんだ… 「あはははは!!」 オレを見て笑うDJに中指を立てて控室に戻る。 これを人は逃げ帰るというんだ。 「シロ…ごめんね?もう笑わないよ?」 そう言ってオレの顔を覗き込んで来る智にあっかんべする。 控え室に置かれた二人掛けのソファにふて寝して時間を潰していると、珍しく、支配人が控え室に入って来て、オレの顔を覗き込んだ。 プリプリしたオレのご機嫌を取りに来たんだ…! 「…シロ、怒ってんの?」 怒ってないもん! そう言ってオレの背中を撫でる、その、触り方がいやらしいんだ! 「やめろ!ジジイ!一体誰のせいでオレが黒髪なんてなったと思ってるんだ!」 オレが怒ってそう言うと、支配人は楽しそうに見下ろして言ってくる。 「…誰の、せいだ?」 「ぐぬぬ…」 リムジンから降りる時、結城さんに言われた言葉を思い出して、言いかけた言葉を飲み込んだ。 だって…誰にも言っちゃダメだって…言ってた… 「ほら、誰のせいか言ってみろよ~!や~い、や~い!」 「ぐぬぬぬぬ…!」 面白がって煽って来る支配人を見つめて、オレは悔しそうにぐぬぐぬ言った。 「もう!放っといて!」 オレはそう言ってふて寝の姿勢に戻ると目を瞑った。 全くやな感じだよ。黒髪なんて…大っ嫌いだ! 「悪戯しちゃおっかな~?」 …最低なんだ。 支配人はジジイだけどバイセクシャルだ。そしてきっとオレのファンなんだ。 ステージの上でオレがストリップする時、必ずと言って良いほどエントランスを抜け出してオレのショーを階段の上から見てる。たまに目が合うから知ってるんだ。いつも楽しそうに見てるから、多分オレのファンなんだ。 「そんな事したら、もう辞めてやる!」 オレがそう言って支配人の体を叩くと、ひ~!と言って逃げて行った。 とんでもねぇジジイだ。 ふてくされても、時間は過ぎて行くんだ。 智がステージに上がって行く背中を見送る… 歓声が聞こえて、大音量の音楽が部屋中に響くと、無造作に置かれた段ボールが小さく震えて振動してる。 「シロ…機嫌直ったか?」 「…直った。あと、明日はお休みする。」 支配人がオレのご機嫌を取りに再びやって来た。 一応、オレはここの花形ダンサーだからね。ジジイなりにケアしてんだよ。 「お…辞めるのか?」 「辞めないよ?辞める訳がない。好きなんだ。ただ、明日は用事があるんだ。」 隣に腰かける支配人にそう言って教えてあげる。 「オレはね、ストリップが好きなんだ。だから、辞めたりしないよ?」 「そうなの?…なら、良かった。」 そうだ。オレはお客の前でいやらしく脱ぐのが好きなんだ。 ポールの上で踊るのも好きなんだ。 機嫌の直った様子に安心したのか、支配人はオレの頭を優しく撫でた。 …でもね、このスケベジジイは…油断も、隙も、無いんだ。 自然な勢いでオレの体に覆い被さると、首に顔を埋めてペロリと舐めて来た。 「この、馬鹿タレ!」 オレはそう言って支配人の頭を引っ叩いた! とんでもないジジイだ! 「ひ~!」 智や他のダンサーたちがあのジジイのセクハラにあっていない事を祈るよ。 ステージを終えて智が戻ってきた。 チラッとカーテン越しに見えた客席は大盛り上がりだ! 「智~!お疲れ~!」 オレはそう言って智にハイタッチする。 若いからかな…?ハイタッチも元気で、手のひらがジンジンと痺れる。 「シロの黒髪…可愛いって思って笑ったんだよ?」 嘘だ!絶対馬鹿にして笑ったのに! オレの隣に座って智は困った顔をして肩を下げて体を揺らす。 「…本当に?」 オレはそう言って智に付き合って上目遣いで彼の顔を覗いて見る。 「本当だよ!すっごい可愛いって思ったんだよ?」 「…じゃあ、良いよ。」 そう言って智と両手を繋いで抱きしめ合う。 馬鹿みたいだろ? ふふ…でも、これが意外と楽しいんだ… こうやって多少演技がかって話すと…不思議とイライラした気持ちが薄れてくる。 だから好き。 自分が優しくなったみたいに感じて…好きなんだ。 「シロは20:00のショーが終わったら帰るの?」 「そうだよ。そして明日はお休みする事になりました。」 そう言うと、智を、抱きしめた腕の中から解放してあげる。 「なぁんで?」 「用事が出来たんだよ?オレだって用事の一つや二つあるんだよ?」 「ふぅん…彼氏?彼女?どっち?」 全く!そんな事ばかり興味を持って! オレは智にジト目を向けると、怒って言った。 「どっちでも無いの!ただの用事なの!」 「またまた~!」 智はすっかり目を輝かせると、オレの肩を掴んでグラグラと揺すった。 智はこういう…所謂“コイバナ”系の話が大好きなんだ…。 それはお客さんも周知の事実だ。 一番面白かったのは、失恋したばかりの常連のお姉さんに言った話だ。 「ボクもね…失恋した事あるよ…?でも、お姉さんは美人さんだから大丈夫。また良い人が現れるよ…?人ってさ…面白い物で、寂しいとどうでも良い人と付き合ってしまうんだよね…ふふ。そんなの、傷つく必要無いよ。だって、それはお姉さんの運命の人じゃなかっただけだから…ね?元気だしなよ…」 そう言ったんだ。28歳のお姉さんに…17歳のお尻の青い少年が… 周りが大爆笑する中、1人キョトン顔して首を傾げて言ったんだ。 「ボクは愛の伝道師だよ?」 どこからそんな言葉を覚えたんだろう…ほんと、腹が捩れるくらいに大笑いした… 智は実家の御両親と上手く行かなくて、上京してきたんだ。 彼がゲイであることが、田舎の土地柄、受け入れて貰えなかった様だ。 男らしさを求められたり、美しくいようとする事を咎められたり、彼にとってそれは自分を否定する様に感じたそうだ。 鏡に向かって化粧をし直す智の背中を見つめる。 こんなに小さい背中で、愛の伝道師なんだもん…凄いよ、智。 お前は立派にやってるよ…それを、誇りに思うべきだ。 「シロ…そろそろ」 支配人から声がかかって、ソファからやっと降りると、両手を上げて伸びをして、前屈して背中を伸ばす。 チラッと智がオレを横目で見てる… 知ってんだよ? オレがステージに出た瞬間、爆笑が起こるって…思ってんだろ? それ程までに、オレの黒髪は違和感しかなく、赤髪の姿を見慣れた人からしたら笑っちゃう様な印象を与えるんだろうね。 …良いもん!明日が終わったらすぐに赤に戻すもん!フン! 涼しい顔をしながら、カーテンの前にスタンバイすると、手首と足首を回して首をぐるっと回す。 幼い見た目でも笑われない様にするには、どうしたら良いのか…知ってる。 めっちゃエロくして、そんな隙を与えなければ良いんだ。 音楽が大音量で流れ始めて、目の前のカーテンが開くと、いつもの様に颯爽とステージへと向かった。 オレを見た瞬間、常連のお客さん達の口元が一斉に緩み始めるのを感じて、オレは先手を打つ様にひとりの常連さんをロックオンして、その人の目の前で膝をついた。 じっと目を見つめて体をくねらせると、誘う様に腰をゆるゆると動かして、喘ぐように口を開く。 ごめんね…見つめた目を離さないよ? この常連さんには、オレのスケープゴートになってもらう。 常連さんを見つめながら…興奮した様に瞳を潤ませて、シャツのボタンを開いて行くと…オレのあまりの熱視線に、見つめられ続ける常連さんが…戸惑い始める。 そうだ…もっと戸惑って…その方が興奮する。 体を仰け反らせてシャツを肩から落とすと、うっとりと潤んだ瞳で、常連さんを見つめて、四つん這いになって…迫って行く。 目の前の常連さんしか目に入らないみたいに…彼しか見つめない。 それは、まるで、常連さんとふたりきりの様な…いやらしく艶めかしい空間を作って、見る人を興奮させる。 ゴロンと仰向けに寝転がると、体を反らせながら乳首を見せつけて…指先で撫でてあげる。 「あぁ!ダメだよ…シロ。そんな目で見るなよ…」 顔を真っ赤にして動揺する常連さんを、舐める様な視線で見つめながら…オナニーするみたいに、自分の股間に手をあてた。 触ってよ…舐めてよ…抱いてよ… そんな思いを込めた視線を常連さんにあて続けると…徐々に店内のお客の雰囲気が整い始める。 「…良いじゃないか。上出来だ…」 すっかり出来上がった艶っぽい雰囲気に満足してそう呟くと、踵を返して、常連さんを視線から解放してあげる。 髪をかき上げながらポールに体を添わせると、いやらしく腰を擦り付ける様に動かして、体を仰け反らせていく… ねっとりと糸を引く様に歩いてポールへ近づくと、片足だけポールに沿わせて高く上げた。 ゆっくりと、舐める様に、足先を添わせたまま…膝を曲げてポールを挟んでいくと、一気にジャンプしてポールに飛びついた。 そのままゆったりと回ってみせると、よいしょッと両足を上に持ち上げて逆立ちする。太ももでポールを掴んで体を起こすと、足で反動を付けながら、派手にスピンをした。 「シローーー!いいぞーーー!」 …ね?ファーストインパクトが大事なんだ。 オレは笑われる前に強引に雰囲気を作って、強引に妖艶に魅せた。 だから、もう黒髪の事で笑われる事は無いんだ。 オレの黒髪は妖艶って…イメージが付いたからね? 支配人がエントランスから顔を覗かせてオレの踊りを見ている。 だから、オレはうんとエロくて、うんと綺麗に魅せてあげる。 そう、死にかけのジジイが勃起するぐらい、エロくしてあげる。 「ふふ…」 口元が緩んで、笑いが込み上げてくる。 「お疲れさ~ん!おっ先~!」 自分の出番を終えたオレは智より先に上がった。 明日は初めての病欠以外のお休みだ…! そして、よりにもよって、いけない事をするんだ。 あぁ…気が咎めるな。 階段を上がると、エントランスに居る支配人にチップを換金してもらう。 「おじいちゃん、シロにお金ちょうだい!」 オレがそう言って両手を出して待っていると、支配人がチップ分の現金を手の中に入れてくれる。 今日はプラスアルファ、支配人からのお小遣いを貰った。 「…上手だったよ。」 「サンキュ~!」 オレはそう言ってエントランスから出口へ向かう。 お客さんの反応は意外と良かったな…。 黒髪も…なかなか悪くないじゃないか… 荒れ狂う酔っ払いをよけながら、真っ盛りの歌舞伎町を家路に着いた。

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