41 / 41
第41話
「もう、大変だった!」
迎えに来た桜二に抱き付くと、彼の胸に顔を埋めてグリグリと顔を擦り付けて言った。
「今日は大荒れだ!依冬がいなかったらオレは生きて帰れなかったんだよ?」
「ぶふっ!この時代に…仕事で死にそうになるなんて…一体、何があったって言うの?」
桜二は吹き出して笑うと、オレのおでこにチュッとキスをした。
笑い事じゃない!本気で今日はデンジャラスだった!
「依冬?今日はありがとう…またね。」
「またね…シロ。愛してるよ…」
一緒に暮らしたら…こんな風に胸を痛めて離れる必要もなくなる。
彼と繋いだ手を、離す勇気も…必要なくなる。
「連れて帰っちゃうよ?」
そう言って笑う彼と、ずっと一緒に居られるんだ。
「早く一緒に…住みたいね?」
彼を見上げてそう言うと、依冬はオレを振り返って言った。
「すぐだよ。」
うん。すぐだ…
依冬の車を見送ると…桜二の車に乗り込んで今日の報告をする。
「まずは…そうさね、どこから話そうかのう…」
そう言って勿体ぶるオレの膝を、彼はクスクス笑いながら叩くと、ウインカーをあげて車を出した。
12月26日…勇吾の公演が始まる。
現地の時間だと午後の6:00に公演のあいさつをして…7:00に開演…9:00に終演予定だ。
ドキドキする…
ベッドに横になっても、桜二の寝顔を見ても、胸がドキドキして寝られなかった。
「シロ…朝だよ、起きて…!」
そう言ってオレのお尻をひっぱたく桜二を無視して、枕に顔を埋める。
「26日だよ!」
桜二にそう言われて、一気に目を覚ますと体を起して携帯電話を見つめる。
向こうは夜の11:00か…
携帯電話を耳にあてて、ボサボサ頭のまま廊下を歩いてリビングへ向かうとソファに腰かけて彼の声を聞く。
「勇吾…おはよう。」
オレがそう言うと、電話口の彼はクスクス笑った言った。
「シロ、おはよう。」
さすがの彼は公演前日だというのに緊張もしていないみたいに自然体だった。
代わりにオレの胸がドキドキと鳴りやまないくらいに緊張して仕方が無いんだ。
「ドキドキする…」
オレがそう言うと、彼はクスクス笑うばかりだ。
「今日は早く寝て、明日早起きして朝ご飯をしっかり食べるんだよ?目的地には1時間前に到着して、身だしなみを整えてね?あっ!ハンカチとティッシュもちゃんと持って行くんだよ?」
オレがそう言うと、キッチンで卵焼きを焼きながら桜二が言った。
「遠足じゃないんだからさ…」
はぁ~!分かってない!
思わず涙が溢れるかもしれないだろ?
それを袖口で拭いて良いのは20歳までだ。
電話口の勇吾は桜二の声が聞こえたみたいで、彼に反応して言った。
「シロの言った通りにちゃんと持って行くよ?」
「ふふ…そうだよね?だって、鼻水が出ちゃうかもしれないもんね~?」
クスクス笑ってそう言うと、電話口の勇吾は優しく声を色付けて言った。
「シロ…愛してるよ。」
「ふふ…オレも勇吾を愛してるよ。」
彼に会えなくなって1か月も経たないのに…彼に会いたくて仕方がない。
彼のおかげで、オレは沢山の勇気を貰った。
トラウマに向き合う勇気も…過去の自分を認める勇気も。
スランプなんて、煩わしくて、もどかしい時期も…今までの自分を信じて行動を起こす勇気を貰った。
勇吾の“勇”の字から…勇気を貰って、強くなれた。
「じゃあ…早く寝てね?お休み…愛してるよ。勇吾。」
そう言って電話を切ると、桜二を見て言った。
「ドキドキする…緊張しちゃうんだ…」
「ふふ…お前が緊張してどうするのさ…」
まるで1人息子の晴れ舞台を迎える親の様な心境だ…
今日は大塚さんのアトリエに行って完成した作品を見せてもらう。
だからかな?桜二は朝からご機嫌だ。
彼は意外にも”絵“に興味があるようだ。
「桜二の卵焼きは美味しい…これってどうしてだと思う?」
手に持った箸を彼に向けて尋ねると、お行儀が悪いと注意するような彼の視線を無視して続けて言った。
「この卵焼きは、何層もミルフィーユ状に巻かれてるだろ?その一つ一つがしっかり焼かれていて歯ごたえを残してる。それをこうやってかじると…サクサクサクサクって…ね?歯ごたえがあるんだ。これが…美味しさの秘密だと思うんだよ。」
オレがそう言うと、桜二は肩を震わせて笑って言った。
「も、も、もう1回…サクサクの所…ふふっ!もう、1回言って?」
どうやら彼はオレが早口でサクサクサクサクって言った所が気に入ったみたいだ。
「んふ、良いよ?サクサクサクサク!」
「ふふっ!あはは…!」
「サクサクサクサクサクサクサクサク!」
「あ~はははは!!」
ふふ、おっかしい。やっぱりこの人は変なんだ!
大倉山にある大塚さんのアトリエにやって来た。
メールで教えてもらった住所に着いたけど…雑木林しかなくて途方に暮れる。
「童貞を笑ったから…嫌がらせされたかな?」
助手席からオレがそう言うと、車から降りて桜二が言った。
「シロ?この雑木林の中に…家が見えるよ。」
「ほんと?」
敷地内に車を止めて歩いて雑木林をぐるりと回ると、出入り口の様な…けもの道を発見した。
「桜二!けもの道だ!」
首を傾げて近づいて来る桜二に発見した”けもの道”を指さして教えて、彼の後ろを付いて進んでいく。
「あ…玄関だ。」
そう言った桜二の背中にくっついて、ぐるりと見渡す。
まるで包囲する様に家を囲んだ雑木林は…まるで彼の心みたいだ。
誰にも見られたくない。見つかりたくない。そっとしておいて欲しい…
そんな気がしてならないよ?
「シロ…良く来たね。おいで、こっちだよ?」
どこからともなく現れた大塚さんは、無精ひげを整えて、髪も綺麗にセットされて、良い男に変身を遂げていた。
「ふふっ!久しぶりだね?どうしたの?そんな風に綺麗に身だしなみを整えて…良いの?」
彼に近づいて顔を覗き込みながらそう尋ねると、大塚さんはオレを見下ろして言った。
「シロは…汚い男は嫌いだろ?」
ふふっ!
「今日のあなたはとっても素敵だよ?」
オレがそう言うと、大塚さんはにっこりとほほ笑んで笑った。
可愛い…
彼のアトリエは都会とはまるで別世界の様に、ワイルドな自然が我が物顔であちこちを侵略していた。
「すごい蔦だね?もっと綺麗なお庭にしてよ…」
先を歩く大塚さんにそう言うと、彼は笑いながら言った。
「あんまり気にした事が無かったよ…」
嫌でも目に付くだろ?
こんな荒れ果てた庭…
「いつもこっちしか使って無いんだ…」
そう言って案内されたのは、家の周りをぐるっと回った庭に面したテラス。
大きく開けられた窓からテラスと一体感のあるアトリエが見えた。
大きなテーブルがいくつも並んで、その上にはキャンバスが重ねて置かれていた。
イーゼルに立てかけられたままの絵が、見ただけでも4つほど放置されたままになってる。
「わぁ!絵描きさんの家みたい!」
隣を歩く桜二にそう言うと、彼は目を輝かせて頷いた。
「ここからどうぞ?」
大塚さんに促されて、靴を脱いでアトリエの中に上がると鼻をつく油の匂いがした。
明るい所から暗い所に入ったせいか、目が眩んでぼやける。
「こっちだよ。」
そう言ってオレの手を掴むと大塚さんがどんどん先を進んでいく。
「はい。これが…僕の描いた。シロだよ。」
「あぁ…!」
大塚さんの声と共に、後ろを付いて来た桜二が今まで聞いた事も無い様な感嘆の声をあげた。
オレは眩んだ目を慣らしながらゆっくりと顔を上げて正面に置かれた絵を見た。
扉、2枚分の大きさのキャンバス…
そこに描かれていたのは、足を抱えて椅子に腰かける裸のオレの姿だった。
視線を外した目元が印象的で、どことなく物憂げで…悲しそうな瞳に見えた。
口元は笑っているのか、下がっているのか…分からない。…どちらともとれる表情だ。
左から光が当たって…右に影を落としてる。
絵の中のオレはそんな影を横目に見てる…
「この子は、シロだ…正真正銘のお前だ。」
桜二の声が感嘆を通り越して、裏返ってる。
「ふふ!おちんちんが隠れていて良かった!」
オレの手を握ったままの大塚さんにそう言うと、彼はクスクス笑いながら言った。
「どうかな…?僕は、とっても気に入ってる。」
どうかな…?なんて聞かれたって、オレには絵なんて分からない。
でも…
「…うぅん…正直、あんまり見ていたくないよ。」
オレがそう言って彼の顔を見つめると、大塚さんは嬉しそうに瞳を細めて言った。
「そう…良かった。」
自分の絵を”見ていたくない”なんて言われて喜ぶなんて…彼はどМの資質があるのかもしれない。
「はぁ~…凄い…シロが絵になった…」
桜二は大塚さんの絵に夢中になって前のめりになって見続けてる。
そんな彼を横目に、オレは早々に絵の前から立ち退いた。
大きな机の上に雑然と置かれたキャンバスを手に取って、眺める。
綺麗な花が掛かれた絵…静物画を描いた絵…動物や、夕陽を描いた絵…どれもこれも美しく描かれているのに、扱いは超、雑なんだ。
また別の机の上にはオレの顔が何枚も描かれたキャンバスが置かれていた。
怒った顔…悲しい顔…笑ってる顔…泣いてる顔…悔しがってる顔…
「すごい情報量だね?」
桜二とおしゃべりする大塚さんにそう言うと、彼は嬉しそうにオレの傍に来て言った。
「シロ?君に会って、分かった事が沢山あるんだよ。それは僕の人生を豊かにしてくれた。例えば…セックス。僕は死ぬまでしなくても良いと思っていたんだ。でもね、桜二さんとシロのセックスを見たら…やってみたくなったんだ。」
はぁ…左様でございますか…
オレは目を輝かせてそう話す大塚さんに、一歩踏み込んで聞いてみた。
「で…エッチしてみたの?」
彼はオレを見つめたままにっこり微笑むと、チュッとキスをして言った。
「…秘密。」
したな…
こんな事する人じゃなかったもん。
誰かとそういう関係になって、リア充って奴になったんだ。
「そう…良かったじゃん。」
口を尖らせてそう言うと、大塚さんはクスクス笑ってオレの口に再びキスをした。
年を取ってから童貞を捨てたから…この人はリミッターが外れているんだ。
誰彼構わずエッチしたくなるような…そんな抗えない性欲を持て余してるんだ。
「ねえ、良い事を教えてあげる。そんな事はね、恋人以外にしちゃダメなんだ。」
そう言って彼の頬を片手で掴むとブンブン振り回してやった。
「これは…何色?」
「ん…これはいろんな色…」
「じゃあ…これは何色?」
「ん…これも…いろんな色。」
トランプの神経衰弱の様に裏返された彼の描いた絵を見ながら、ひとつひとつ綺麗だと思う色を指さしてそう聞くと、彼はどの色もいろんな色と答えた…
椅子に座ったオレの絵に夢中な桜二の背中に抱き付くと、オレの後を付いて来る大塚さんに、自分の目を指さして聞いた。
「これは…?」
「ん…?」
「これは…何色?」
オレの問いかけにキョトンと目を丸めると、一気にフニャっと笑って言った。
「それも…いろんな色。」
ふふ…!おっかしい。
「大塚さんはすごい画家さんだ。だって、オレを大好きな桜二が、すっかり絵の中の彼に夢中になってしまったんだもの。」
桜二の背中を撫でながらそう言うと、大塚さんは椅子に腰かけて絵を眺めて言った。
「きっと、君のこういう所に惹かれたんだ。シロはいつも違う所を見てる。どれだけ充実しても、どれだけ満たされても、大事な何かが、足りないんだ。それを光源で表現した。こんなに神々しい光が当たっているけど、彼の視線は暗い闇を見つめて…何とも言えない表情をしてるでしょ?僕も、シロのこういう所がたまらなく好きなんだよ。」
「まったくもって、その通りだ!」
突然、桜二がそう言って、画家の商法にまんまと嵌っていく。
「見て?シロ…お前のほっぺがこんなに繊細に色付いて…綺麗だと思わない?それにお前の目を見て?たまに見せる表情によく似てる。しかも瞳の醸し出す雰囲気が…本物のそれよりも、もっと、ずっと、要約した瞳をしてるんだ。」
桜二が熱を込めて話し始めると、大塚さんが嬉しそうに頷いて言った。
「彼の瞳を再現するのにとっても苦労したんです。この人は瞳の奥に沢山の意味を込めるから、本当に複雑で参りました。母のようであり、子のようでもある。善のようであったり、悪のようでもあって、複雑なんだ…」
「まったくもって、その通りだ!」
エッチな時以外、こんなに興奮する桜二は見た事が無いよ…
「大塚さん?桜二は絵に興味があるんだって。まず、何をしたらいいのか、彼に教授してあげてよ。オレはテラスのハンモックで寝てる。」
オレはそう言うと、大塚さんのアトリエを出てテラスに張られたハンモックにごろんと寝転がった。
空が青い…
あれも…彼が描くといろんな色になるのかな…
両手を上に上げてヒラヒラと動かすと、自分の顔に落とした。
こぶしの花が春を知らせる様に咲くまで…もうすぐだ。
大塚さんの描いたオレの絵…影に視線を送るオレの視線の先に、兄ちゃんがいる。
彼はそんな物、絵に描いてない。
なのに、オレには影の中に兄ちゃんが見えた。
…それは大塚さんが“オレ”という人を完全に絵の中に再現した事を証明する。
凄い画家さんだ。
童貞も卒業したし…彼には一足早く春が来たみたいだ。
ぷぷ…上手いこと言ったな。
「ふふ…」
「シロ!」
ハンモックの上でクスクスひとりで笑っていると、オレの足元に満面の笑顔で桜二が現れた。
彼の手にはスケッチブックと、キャンバスが持たれている。
「どうしたの?一緒に寝転がってみる?」
そう言って彼に手を伸ばすと、桜二はニコニコしながら手に持ったキャンバスを裏返して見せた。
「見て…?」
そう言って彼が見せてくれたのは、勇吾にあげたデッサンの色が付いたもの…
つまらなそうに頬杖を付いたオレがあっちの方向を向いてる…そんな絵。
「色が付くと、また雰囲気が違うね。」
ありきたりなコメントを言って桜二を見ると、彼は嬉しそうに笑って言った。
「タダで、貰った!」
はっは~!
桜二はやっぱりケチくそだ。“タダ”という個所を強調したからね?
「ふふ…良かったね。」
オレはそう言うと、オレのハンモックをユラユラと揺らす大塚さんに言った。
「あなたの絵は魔性だよ。こんなに喜んだ桜二を見た事が無い。」
彼は嬉しそうに頬を上げて笑うと、オレの顔を覗き込んで言った。
「本物のシロは…魔性どころじゃない。」
どういうことだよ…
「ねえ?スランプを無理やり克服した時の話を聞かせてあげる。」
オレはそう言って彼の手の上に頭を乗せると、ユラユラと揺らされるハンモックの中でじっと瞳を閉じた。
「桜二?良かったね?素敵な絵をタダでもらえて…」
「ふふ…うん。早速、額装して新しい家に飾るんだ…」
嬉しそうに笑う彼を見ると、こちらまで笑顔になっていく。
この人が絵が好きだなんて知らなかった…
きっと、まだまだ知らない彼に出会って行くんだ。
「そうだ、シロ?この前、依冬と話していたでしょ?部屋割りの話し。俺も考えたんだよ。シロは俺が隣にいないと寝られないから…部屋をぶち抜いて…大きな部屋にしようと思ってさ。」
そんなの、依冬が許す訳ないよ。
オレは呆れた顔をすると、鼻歌を歌いながら運転する上機嫌な彼に教えてあげる。
「そんな、わざわざ揉める事を思い付くんじゃないよ?仲良く暮らそうよ。」
家って言うのは落ち着く場所でしょ?
家の中が戦々恐々としていたら、どこで休めって言うんだよ。
「そう?もう発注して…ぶち抜いてもらったんだ。完成したのを確認したけど…とっても広くなったんだよ?」
へ…?
そんな勝手な事をした癖に、悪びれる様子もない桜二の肩をひっぱたくと、怒って言った。
「だぁめだよ!依冬が怒るよ?!」
「怒らないよ…シロの事が大好きだから。依冬~、桜二が枕じゃないと寝られないの~って言えば…怒らないよ。」
この野郎…!
「ばかやろ!オレに責任を押し付けるんじゃないよ?」
ケラケラ笑う彼の頭をグシャグシャにかき混ぜると、新たな難題に頭を抱える。
「シロがスタジオに使う部屋と、依冬がトレーニングマシンを置く部屋に窓を付けただろ?工務店の人に、ついでにここもぶち抜いて下さいって言って、ぶち抜いてもらったんだ。でもね、シロもプライベートな空間が欲しいと思って…真ん中にパーテーションを立てようと思ってるんだよ…ね?これならオタ部屋としても使えるでしょ?」
最低だ…
桜二が勝手に、オレの部屋と自分の部屋をぶち抜いてひとつにした。
「請求書が依冬に行くから…そろそろバレる。」
は?!
テヘペロして笑う桜二をジト目で見つめると、深いため息を吐いて言った。
「勝手にこんな事をしたらダメだよ?依冬には…パーテーションを立てるって言って…納得してもらうしかない…」
はあ…
一難去ってまた一難とはよく言ったものだ。
桜二がぶち抜いた壁を確認しに、南青山の新居へひとりでやって来た…
玄関を開いて中に入ると、桜二が選んだであろう家具が既に配置され始めている。
あいつ…いつの間に…
上品な革張りのソファに大きな窓にかけられたウッドブラインド…
トイレには猫柄のマットと可愛いカバーまで付いている。
いつの間に…こんなに準備を進めていたんだ。
「あぁ…!本当に壁がなくなってる…」
3つ続きの部屋の一番奥に入ってみると、隣の部屋との壁が丸々無くなって、20畳の大きな空間が広がっていた…
これは…さすがにまずいよ…
「あれ…?シロ~?来てるの~?」
壁があったであろう場所に立って唖然としていると、玄関からオレを呼ぶ依冬の声が聞こえて、身震いした。
本当に、彼とはタイミングが良く合うんだ…
キッチンのカウンターにコートを置く依冬を見つけて、歩いて近付くと、彼の胸に顔を埋めて言った。
「依冬…」
「シロも来てたんだね。実はさ、工務店から届いた請求書に不明な箇所があって…確認しに来たんだよ。壁を壊したって書いてあるんだけど…そんなの頼んで無いんだよね…」
そう言ってオレの髪を撫でてチュッチュっとキスする彼に…なんて話したら良いのか…
黙ってる訳にもいかないし、桜二のした事をかばう事もしない。
意を決して依冬の手を掴むと、キョトンとする彼を連れて問題の部屋へ入った。
「…なに、これ…」
驚いて愕然とした…さっきのオレと同じ反応をする依冬に、はっきりと言った。
「…桜二が、勝手にやった。」
「はぁ~?」
「オレがひとりじゃ寝られないからって…勝手にやった。」
オレはそう言うと、続けて彼に言った。
「この…壁のあった場所に…こういうパーテーションを立てて、部屋をもう一回分けようと思ってる!」
「うん…」
しょんぼりと肩を落とした依冬に寄り添うと、深いため息をついて桜二の暴挙に項垂れた…
「こっちです。こっちに運んでください。」
オレと依冬が途方に暮れていると、元気な桜二の声が聞こえて、ガタガタと物が運ばれる音が聞こえて来た。
「あ…桜二だ。」
オレと依冬が呆然とする中、桜二は大きな家具を搬入する業者と一緒に部屋に入って来て、先ほどまで途方にくれていただだっ広い空間に棚の形をした間仕切りを付けていく。
「ほらぁ…ちゃんと部屋を分けた。ね?これで良いでしょ?」
ホクホクと笑いながらそう言うと、依冬を見て首を傾げて言った。
「俺が端っこの部屋で…真ん中がシロの部屋だよ?依冬の部屋のお隣にシロが寝るんだ。良いだろ?」
間を区切られていく様子を見て、依冬は留飲が下がった様子で、ため息をひとつ吐くと言った。
「今度から勝手にしないでよね…全く、そういう所、良く分からないよ。俺は窓の確認をしてくるから…」
そう言って部屋を出ていく依冬は、もう怒っていないみたいだ…
オレは桜二の背中を叩くと怒った顔をして言った。
「こら!もう…!」
「ふふ…見て?シロ。ここと…ここに…通れる隙間を作った。これで俺とシロの部屋は繋がったね?」
あぁ…彼はこれがしたかったのか…
オレと桜二の部屋は、棚の形をした間仕切りによって再び分割された。しかし棚の間仕切りの所々に行き来できる隙間を作ったんだ…
満足そうに何度も行ったり来たりする桜二をジト目で見つめると、首を横に振りながら言った。
「カーテンを付けて?用が無いときは閉じておいてね?」
「どぉうして?」
…全く!
絵を飾る場所を探し始める桜二を無視して、リビングにおいてあるソファに腰かけると、窓を確認した依冬が戻って来てオレの隣に座って言った。
「桜二って、最低だね…」
「うん…」
始まる前から波乱の予感しかしない、桜二とオレと依冬の3人の同棲は…どんな生活になるんだろう…?
でも、オレは楽しみでもあるんだよ?
オレが沢山の事を彼らと一緒に乗り越えて来た様に…彼らも変化して、成長して沢山の事を乗り越えて来てるって…分かってるから。
これからオレ達の形がどんな風に変わって行くのか、楽しみなんだ。
ウキウキした桜二と入れ替わるように彼の部屋と繋がった自分の部屋に入ると、窓から外を眺めてうっとりと瞳を細めた。
こんな静かな場所で…こんな快適に暮らすなんて…夢にも思ってなかったよ。
ここで暮らすのが、楽しみだな…
「シロ?兄ちゃんの”宝箱“はどこに置くの?」
オレの背中に兄ちゃんがそう話しかけてくるから、窓に映った兄ちゃんににっこりと笑って答えてあげる。
「兄ちゃんの“宝箱”は…桜二のベッドの下って決まってるんだ。だから、引っ越してきても、桜二のベッドの下に置くよ?」
オレがそう言うと、兄ちゃんはクスクス笑って言った。
「本当に、桜二さんが大好きなんだね。」
オレは振り返って兄ちゃんを見ると、にっこりと笑って言った。
「うん。兄ちゃんの次に好きだよ。」
「…シロ?…誰かいるの?」
部屋の入り口から顔を覗かせると、桜二が怪訝な顔をしてオレを見た。
「いいや?オレしかいないよ?」
彼を見つめてそう言うと、首を傾げてほほ笑む。
たまに話しかけてくる兄ちゃんの存在は、桜二にも依冬にも、土田先生にも話さない。
オレの…唯一残した、拠り所だもの。
勇吾編…おしまい
ともだちにシェアしよう!