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第1話
レトロなカフェの片隅で、僕はノートパソコンを開いていた。
マスターはロマンスグレーの髭を蓄えた物静かな人だ。
コーヒーをテーブルに置くと、マスターは僕に穏やかな微笑みを見せた。
静かなクラシック音楽が流れコーヒーの香りがたゆたうこの空間は、ゆったりと時が流れているようだ。
この穏やかな時間が、僕は好きだ。
店の開き戸がかすかな音を立てて開いた。
「いらっしゃい」
マスターの落ち着いた低い声が響く。
木製の床を歩く音がゆっくりとこちらへ近づいてきて止まった。
パソコンから目を上げると、そこには背の高いスーツ姿の男が立っていた。
ここまで走ってきたのか、男は必死に息を整えている。しかも、この空間の雰囲気を壊してはいけないと思っているのか、音を立てないように呼吸をするものだからなかなか息が整わないようだ。
「ここ、いいですか?」
丸みを帯びた優しい声がする。
あまり広いとは言えない店だが、他にテーブルは空いている。
「あ~、怪しい者じゃありませんから」
「自分で怪しい人だと言う人もいないと思いますけど」
「あはははは……そうですよね」
つっけんどんな僕の言葉に、男は人好きのする笑顔を浮かべて首筋をかいた。
ベストセラーこそないが僕も、少しは名の売れた小説家だ。
なるべく目立たないように生きてきたが、ネットで調べれば僕の顔もすぐにわかる。そうして情報を得たファンが時々こうやって声をかけてくる。
たまに同性愛者がファンを装って近づいてくるのが非常に迷惑だ。
長いまつ毛に二重のどんぐりまなこ、嬉しくないことに二十六にもなって基本顔は小学時代とあまり変わっていない。
そんな僕はどうやら同性に好かれる容姿らしい。そんなふうにネットでつぶやかれていた。
いつもなら、こんな胡散臭い男は無視するのだが……。
僕の返事を聞くより先に、男は前の席に腰を下ろした。
まるでタイミングを計ったように、マスターが男の前にコーヒーを置く。
「ありがとうございます」
笑顔で男がマスターに礼を言うとマスターも笑顔で返した。
店内に入ってから男は注文をしていない。それでもコーヒーが出て来たのはきっとここの常連だからだろう。
長年様々な人間を見てきたマスターが、常連と認めているのなら悪い男ではなさそうだ。
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