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第2話❀

 小学校から馴染みのある、授業の区切りを告げるベルが校内に響く。  教師が出て行くと、途端に教室は生徒たちの話し声で溢れ返った。喧々囂々(けんけんごうごう)とは正にこのことだろう。  何をそんなに話すことがあるのか。どうせ会話の内容はどれも中身のないものばかりなのに。  次の授業は三階だ。さっさとこの求愛行動中のセミの如くけたたましい教室から移動しよう。  誰とも言葉を交わすことなく、相良雪(さがらゆき)は次の授業の準備の為に机に出ていた筆記用具を鞄にしまっていく。  季節は十一月の初旬。秋の木枯らしが地面を覆いつくし、もう少しでこの街にも不香(ふきょう)の花が舞い降りてくるだろう。  雪は手を止め、端正な顔を窓に向けた。二週間ほど前から一気に気温が下がり天気の悪い日が続いていたが、今日はそれを忘れさせる程の晴天だ。  こんな日は授業も単位も何もかもを無視して、カメラを持って出かけたい気分になる。  しかし、意識はすぐに現実に戻され、雪は諦めて席を立つ。  早くこの空間から脱出したくて、逃げるように教室を出た。  行き交う同年代の男女とすれ違うが、視線すらも合わせることはない。長めの前髪から少し先を覗いていれば転んだりぶつかったりする心配もないから顔を上げる必要はないのだ。  一匹狼という言葉は自分の為に作られたものではないかというくらいに、その言葉は己の人生によく馴染む。  名前通りの冷たい奴だとか、表情筋が死んでるだとか、散々言われてきたが無視して生きてきた。  どうせその人間は、翌日には他人なのだ。  丹丘(におか)大学に入って七ヶ月が経ったが、友達なんて出来ていないし、これからも作るつもりはない。  次の授業の教室に辿り着くと、一番後ろの窓側の席に座る。  三限目は、写真光学の授業だ。筆記用具とノートを机に並べ外をぼんやり眺めていれば教室はまたセミの鳴き声であふれ返った。  早く授業が始まって欲しいと願っている間に、教室の扉が開いて五十代前半くらいの男性教師が入ってくる。  郡司仁司(ぐんじひとし)教授だ。温厚な性格をしていて、怒ることはまずなさそうな人だ。その上、声も心地よく、彼の授業は子守歌のようで眠ってしまいそうになるから危険なのだ。  けれどカメラの腕は確かで、写真撮影のために外国を渡り歩いたり、各地のイベントに自身の撮影したものを出展するなど、多くの経験を積んでいる。  自分が今、写真学科を選んで良かったことを聞かれれば、真っ先に郡司の名前を出すだろう。  郡司は授業を始める前に、なぜかいつもこちらを見て微笑んでくる。  必ず定位置に座っている雪が目に付くのだろうか。  いや、もしかしたら同情なのかもしれない。独りぼっちだから気にかけてあげないとという教師魂みたいなものにスイッチが入るのだろうか。  そんなに優しい性格をしていると損ばかりしそうだなと感じるが、ああいう人はそもそも損得を考えないのかもしれない。  いずれにせよ、今一番尊敬している人間から温情を寄せられることは嫌なことではない。  微かに笑いかけると、彼は授業を始めた。  教室に響く郡司の声で窮屈な空間が今だけ解放されている気分だった。

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