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第3話

私は程なくして退院した。入院中なにもやる事がなく天井のシミを数えて時間を潰していた。だが、退院してもやる事がなければやる気もない。これからどうしようか。いっそこのまま海に行き、入水でもしようか。4月の下旬、桜のピークはとうに過ぎ去り、もう葉桜になっている。頬を撫でる風はまだどこか冷たく、一層憂鬱になる。帰りのバスをベンチで待っているとそいつが来た。手にはスーパーの袋を携えている。そいつは何も言わずこちらにもう片方の手を差し伸べ、微笑を浮かべた。 (もう終わっているのにな) そう思うも身体は勝手にそいつの手のぬくもりを求める。国道沿いをしばらく歩き、タバコ屋の脇道を通り抜け、昼間でも静かな住宅街の一角に俺の家がある。親が遺してくれたもので数年前から住み始めた。リフォームは済んでいて、来た当初は綺麗だったのだが今となってはゴミがあちこちに散らばり、見るに堪えない。 そいつは溜息をつく間も惜しいかのように買ってきた食材を手際よく冷蔵庫に入れると掃除を始めた。掃除を任せるのは忍びないと私も散らばったチラシや空き缶を集めようとする。でも思いの外身体が言うことを聞かない。 「いいよ、やらなくて。病み上がりなんだからゆっくりしていなよ」 「そうもいかない。誰かが俺のために何かをやっていると気持ち悪くなる。」 「それは...うん。わかった。」 そいつはまた笑みを浮かべる。 小一時間ほどであらかた綺麗になった。(まだリビングと寝室しか掃除していないけど) そいつは息をつくこともせずキッチンに向かうと料理をし始めた。また私は気持ち悪くなってキッチンへと向かう。だが、料理なんて高校の家庭科以来なものだからろくすっぽ手伝うことが出来なかった。そいつはそんな俺を気にかけ人参とピーラーをこちらによこした。うん。これなら出来る。人参の皮むきを終えると私はまた何か出来ることはないかと目で訴えたがそいつは 「風呂に入ってさっぱりしてきなよ。洗濯ものはカゴに入れといてね。」 「うん。分かった。...というかお前はいつまでここにいるつもりなんだ?それになんでお前は俺が倒れているとき家にいたんだ?」 今までなぜか気付かなかった疑問を投げかける。 「退院早々質問攻めかい?大分元気になったみたいだね。取り敢えず二週間はここに居ようかと思ってる。仕事は先月辞めちゃったんだよね...あぁでも貯金はそれなりにあるから心配しないでいいよ。」 「心配はしてないけど...だから!なんであの時俺の家にいたんだって訊いてんの!」 「まぁいいじゃない。ほら退いた退いた」 シンクの前にいる俺を手に持っていた炊飯器のうち鍋で強引に退かした。その後もしつこく迫ったが一向に応えてくれる気配はなかった。深い溜め息をその場に残し仕方なく私は脱衣所に向かう。よれによれたTシャツを脱ぐと言われた通りにカゴに入れ、ズボンを脱ぎ、パンツを脱ごうとした時脱衣所の扉がいきなり開きだした。それに気づいた俺は自分でも驚くほどのスピードで扉を閉めた。 「ケイ、タオルと新しい下着ここに置いとくから。...ケイの裸なんてもう何回も見てるから気にすることないのに...」 「うるせぇな!裸なんてどれだけ見られようが恥ずかしいものだろ!さっさと戻れ!」 「はいはい、俺が悪かったよ。」 ソイツの足音が遠ざかるのを確認すると私は安堵した。小さく扉を開け、タオルと下着を素早く取ると私はパンツを洗濯機の上に置き浴室へ入った。  自分ちの風呂を使うのはいつぶりだったろう。全身をよく洗ってさっぱりすると浴室の扉を開け、新しいパンツを履いた。ここで肝心なことに気付いた。ズボンもシャツもない... さっきまで着ていたものは洗濯機の中で回っている。服がある部屋に行くには一回リビングに行かなければならない。裸を見られたくない。だが服がない。考えるのが面倒になり、私はその場にへたり込んだ。しばらくして脱衣所の外からソイツの声が響いた。 「何時間風呂に入ってるんだ!ご飯できたからさっさとあがってくれ!」 「お、おい!俺の服持ってきてくれ!リビングの横に和室があるだろ?そこにジャージなりスウェットなりあるから持ってきてくれ!」 「そんなことでずっと出てこなかったのか?...呆れる...ん?という事は今パンイチなのか?」 「そうだよ!すっかり湯冷めしてしまったから早く!」 その刹那脱衣所の扉は思いっきり開けられた。私は声にならない叫び声をあげたがソイツは構わずこちらに歩み寄ってくる。ソイツは息を荒げ目は完全にイッている。私は狭い脱衣所の隅に後退りし、やがてくる恐怖に身構えた。ソイツは生唾をごくりと飲むと私の足に触れた。その瞬間私はもう片方の足でソイツの顔面を蹴った。 「何をするんだ!酷いじゃないか!命の恩人になんてことを!」 「うっせぇぇ!気持ち悪いんだよ!」 「気持ち悪い?それが命の恩人であると同時にお前の元セフレに対する態度か?」 「命の恩人だったら何しても許されるわけじゃねぇよ!元セフレに対する態度なんて...これが妥当だっ!」 自分の口からセフレと出たとき心が痛んだ。セフレなんかじゃない。俺は、お前の事が本当に好きだったんだ。 「そこ、退けよ...」 私は脱衣所を後にした。後ろから何か喚いている声が聞こえるが今は応えてやる気力がない。忘れよう。あの楽しかった思い出も苦しかったことも全て、忘れよう。  ジャージに着替えると私は食卓に座り、ご飯が出てくるのを待った。ソイツはさっき蹴ったところに大きな絆創膏を貼っていた。(大袈裟な...) 作ってくれたのは大好物のカレーだった。しかも牛肉じゃなくて豚肉のカレー。一口食べるとスプーンが止まらなかった。そいつは俺が食べているのをニヤニヤと見ている。 あっという間に私はカレーを平らげた。 「美味しかった。ご馳走様」 「うん。お粗末さまでした。」 私は食器をシンクに持っていき水に漬ける。そいつは冷蔵庫からミカンゼリーを出してこちらによこした。スプーンを探していると頭に固い衝撃があった。どうやらそいつがスプーンで私の頭を叩いたらしい。(なんで俺よりスプーンの場所知ってんだよ...) 気に食わないが礼を言い、席に戻った。ミカンゼリーはいい塩梅に冷えており、とても美味しい。そいつは桃のゼリーを美味しそうに食べている。 「それで、なんであの時俺の家にいたんだ?」 そう言った途端そいつは食べる手を止め、ゆっくりこちらを見る。 「どうしても言わなきゃダメかな」 「当たり前だろ。不法侵入者め。」 「酷い言われようだ...でも、うん。そうだね、話そう。」 そいつはテーブルに肩肘をつきこちらをジッと見つめる。 「君を殺そうと思っていたんだ。」

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