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第115話「同じ」
「俺が、苦しめて、くっ、くっ、苦しめてッ、み、ん、、み、、ふっ、皆んな、俺の、」
「違う」
「違くないッ!!ちっがっ、ち、違くないいッ!!」
布団の布を潰す様に握るが、左手は動かなかった。
いや、動かし方がよく分からなかった。
ピクッ、カタッ、とか微々たる動きはするのだが、シーツを握る程はチカラが入らず、そのまま放置した。
大粒の涙を溢して泣き出した義人の肩を掴み、藤崎は容赦なく自分の方を向かせる。
本当なら休ませたいし、甘ったるい事を言って抱きしめて、ふにゃふにゃになるまで甘やかしたいけれど、今はそれをしてはいけないと自分を制御する。
今、きちんとこの重たい現実に義人を向き合わせないとダメなのだ。
「その程度の苦しさなら耐える」
「その程度、なんかじゃないッ!!皆んな壊れそうで、みんなッ!!」
「だからって義人が死んで解決できるッ!?」
「ッ、」
できない。
「だって、」
できる訳がない。
分かってる。
誰のせいで死んだ、藤崎のせいで死んだ、義昭のせいで死んだ、咲恵のせいで死んだ、昭一郎のせいで死んだ。
誰もが誰かを責めて、誰もが自分を責める。
一生終わらない後悔と憎悪の連鎖で、今よりも悪い状態になっていたかもしれない。
「じゃあ、どうしたら良かったの、、どうしたら皆んな、」
「俺の言ったこと何も聞いてないんだね。1人で考えないで、2人で決めようって言ったのに。自分のこと傷付けないでって言ったのに」
「、、、」
言われた。
昨日の話しだ、ちゃんと覚えている。
肩を掴んでいる手が震えているのに気が付いて、義人は藤崎を見上げた。
「っ、」
同じように、藤崎も泣き出していた。
静かに涙を流して、それは頬を伝って顎にいき、ぽた、ぽた、とシーツの上に落ちている。
「久遠、、ごめん」
泣かせなくなかったのに。
幸せにしたいのに。
義人の瞳からもぼたぼたと涙が溢れた。
「次、死のうとしたら、義人の目の前で先に俺が死んでやる」
「ッ、だ、だめ、絶対にダメ、嫌だ、、」
「義人は死んで良くて、俺はダメなの?」
「だって、」
「不公平じゃない?」
確かにそうだが、絶対に嫌だと思った。
藤崎が目の前で死のうとしたら、何が何でも止める。
そんな悲しい光景見たくもないし、そんな悲しいセリフを聞きたくもなかった。
「何で、そんなこと言うの」
「どの口が言ってんの」
「ぁ、、そっか」
「、、、」
動かない左手をチラリと見つめて、義人は手首の包帯に視線を落とした。
「死のうとしたの、俺だ」
馬鹿だ。
何度も何度も教え込まれて、分かっていた筈なのに、と眉間に皺を寄せる。
藤崎と義人は同じなのだ。
義人が今、藤崎が自分の自殺を語って悲しんだように、彼もまた、義人が実際に自殺を企てて、失敗に終わったが実行した事を深く悲しんでいる。
義人が自分を自分で殺そうとした事が、何より悲しいのは藤崎だ。
(馬鹿過ぎる、)
どうして分からなかったのだろう。
こんなに愛してくれているのだから、自分が死のうとすれば藤崎が深く悲しむのは分かる筈なのに。
いや、分かっていた筈だ。
分かっていたのに、分かっていなかった。
もう何も考えたくなくて、何もかもから逃げ過ぎていた。
一番大切な事から目を背けてしまっていたのだ。
「、、ごめん。これ以上、どうしたらいいか、分かんなくて」
「当たり前だよ。苦しいところにいるのに、良い考えなんか浮かばないに決まってる。だから今日もう一回行くからって言ったの」
「、、ん」
やっと厳しい表情を藤崎がやめた。
ただ悲しそうな、疲れた顔だった。
義人は自分がどれだけ馬鹿な事をしたのかをよくよく理解し始めている。
死んでも結局どうにもならなかったし、下手すれば義昭の事だ。
藤崎を訴えるとか、自分がいない間に義人が死んだからと全部を咲恵のせいにしたりだとか、そんな事態になっていたかもしれない。
何を思って、何を考えて自殺したのかなんて、した本人にしか分からないのに、誰にも何も言わずにさっさと楽になろうだなんて、馬鹿な話しだった。
義人の場合のこれは、何を隠しても、ただの逃げでしかないのだ。
「ごめんね、限界だったよね。昨日、俺が無理矢理泊まっちゃえば良かった」
「え、いや、ううん。俺が、もっと、しっかりしてれば良かった」
「しっかりし過ぎなくらいだよ。ここまで1人で抱え込ませてごめん」
「ん、」
すり、と頬を撫でられると、目の前にいるのはもういつもの藤崎だった。
愛しそうな視線も、優しい手のひらも全部が全部自分のもので、義人は心底ホッとする。
(生きてて、、良かった)
触れてもらえる喜びを他の誰かに渡したくはないと、やはり思ってしまった。
「もっと2人でお互いのこと見て、分け合って行こ。義人が辛いなって思うものは半分持つから、だから自分のこと大事にして」
「うん」
「義人が分かってくれるまで何回でも言うよ。自分のこと、ちゃんと大事にして。傷付けないで。俺の大切な人なんだから」
「、、うん、ごめん」
最後にぽた、と涙を溢しながら、ふわ、と優しく藤崎が笑う。
それを見て、ああ、そうだ、そう言う笑顔だったな、と夢の中の黒い靄の向こうを、彼はやっと思い出した。
「ごめんね、久遠」
「うん」
『俺は、佐藤くんが好きだよ。だから俺の好きな佐藤くんを、あんまりいじめないで』
そうだ、付き合う前からそう言われていたんだ。
義人は藤崎と違って泣き止む事ができずに、やっと目の前にいてくれる藤崎に右手を伸ばして「抱き締めて」としながら、ぐちゃぐちゃに泣き出していた。
「ど、したら良いか分からなくなると、とにかく自分を責めたくなるんだ」
胸の中にずっとあったものをやっと吐き出し始めた義人に求められるまま、藤崎は椅子から立ち上がってベッドの端に座ると、もたれかかってくる義人の細い身体を抱きしめる。
(また痩せた)
先日抱きしめたときも、風呂場で抱き上げたときも思ったが、ここ数日、まともに食べていないんじゃないかと推測する。
背中に回された手が着てきたシャツを引っ張りながら掴んでいるところだけは力強くて、ああ、これなら死なないでいてくれるだろう、と何処かで安堵した。
「自分がッ、痛いって思うと、満たされるんだ。罰が下った、なら自分を許そうって、そうやってきたから、もう、そう言う仕組みになっちゃってる」
やたらと謝る癖も、ビクビクした態度も、義人が言うそこから全て来ているのだろうと思うと藤崎も辛かった。
彼では干渉できなかった、義人の過去が、その悲しい仕組みを作り上げて、なかなか壊せない硬いものになってしまっているのだ。
「でも、な、直すから、」
「、、、」
どうやって、なんて言えなくても、義人はそれだけはハッキリと口にした。
「久遠がそばにいてくれるなら、絶対、絶対、直すから、だから、俺のそばにいて。久遠がいてくれるなら、何でもできるから、だから、」
「うん」
「もう離さないから、一生、俺といて」
「っ、」
藤崎は、本当は義人がいずれはどこかで自分に「別れよう」と言ってくる気かもしれないと心のどこかで疑うときがあった。
同性愛や自分と付き合っている事を口外しないのは、いずれは藤崎の為にと身を引く気だからではないかと、何となく思っていたのだ。
「本当に、離さないでいてくれる?」
けれど今、「一生」と言ってくれたのは嘘ではないと信じられた。
本気で一生自分を求めてくれるんだと思えて、藤崎は心底嬉しくて、もたれかかってくる義人の身体を抱きしめる腕に、グッと力を込めた。
「離さない、!」
「俺のこと嫌になっても付き纏うよ?」
「嫌にならない」
「嫌いって言われても一緒の墓に入れるよ?」
「き、嫌いにならない」
「何でどもるの」
「ごめん、ちょっと、面白くて、」
「ふはっ、ひど。本気なのに」
お互いの肩に顎を乗せ合うと、何だかそう言う作りの置き物のようだった。
藤崎からすれば少し低く、義人からすれば少し高いお互いの体温が、お互いの肌に移り合う。
それが心地よくて、2人とも少し眠くなった。
「義人」
「ん?」
「心臓の音、聞いていい?」
「、、うん」
義人が広げた腕に入りながら、胸元に耳を押し付ける。
ドクン ドクン
服の上からでは微かだったが、鼓動は確かに聞こえた。
(生きてる)
ホッとした。
彼の陶器のように白くなってしまった肌や、色の悪い唇、ぱっくり割れた手首から滴る血を見た瞬間の藤崎は、本当に地獄に突き落とされたと思った。
けれど今、義人は確かに生きていて、目の前にいて、心臓の音もする。
死んでいない。
それがどれだけ幸福かを、1人で噛み締めた。
「、、久遠」
「ん?」
「泣かせてごめん」
「んん、もうごめんは終わり。もういいから、あとは自分に謝って」
「ん、、うん」
確かに、義人が今回1番反省して謝るべきは自分から自分にだった。
切った手首の事も、手元に携帯電話があったときに藤崎に連絡しなかった事も、優しすぎて馬鹿な事をしたのも、何もかも、自分に対して謝罪すべきな下らない意地や自虐だった。
(ごめんね)
左手の手首を見つめながら、そう思った。
「ん、よし。義人のお母さんと、昭一郎くん、来てるんだ。起きたって伝えてくる」
「ん、あ、あの、」
「ん?」
「まだ、離れないで」
「、、分かった」
藤崎は照れたような嬉しそうにふわっと笑って返事をした。
とりあえず連絡だけは、と畳んで置いておいたジャケットのポケットから携帯電話を取り出すと、昭一郎宛にメッセージを送っておく。
それが終わると再びベッドの端に座り、義人の右手に指を絡めて落ち着いた。
「義人」
「ん?」
彼は嬉しそうに、藤崎が絡めてくれた指を見つめている。
子供のようにふくふくと笑っていた。
「好きだよ」
「っ、、ん」
「お互い、人生を全うしようよ」
「、、、」
「それで、その人生の終わりまで、俺と一緒に歩こうよ」
やはり、手首を切るべきじゃなかった、と思った。
この人を悲しませるべきじゃなかった、と後悔した。
「俺は、義人といられるなら、どこにいても幸せだよ」
この人の愛を、裏切るべきじゃなかった。
「、、結婚できないけど、」
「うん」
「俺も、久遠といれるなら、それだけで幸せ」
そっか、これが幸せなんだ。
義人はへにゃ、と柔らかく笑って返した。
義人が藤崎といられるだけで良かったように、彼もまた、全く同じ幸せを待っていたのだと、今更ながらに理解した。
しばらく、手は繋いだままにしておいた。
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