135 / 136

第135話「幸せ」第2部終わり

また泊まっていけばいいと言われたのだが、義人と藤崎は自分達のマンションに帰る事にした。 最後までアルコールを飲まなかった前田は飲み過ぎてふにゃふにゃになった恭次をおぶって店の裏手にある駐車場まで歩いて行った。 今日も車で来ていたらしい。 「じゃあ、俺たちはここで。お招きいただいてありがとうございました」 「こっちこそプレゼントありがとう。気をつけて帰れよ」 「恭次飲ませ過ぎてごめんね。運転気を付けて」 「はい。ありがとうございます」 助手席でシートベルトをつけられゴチャッとした体勢で上を向いてぐーぐーと寝ている恭次は心配なさそうだが、これから運転する前田にだけは見送りに出て来た全員で声を掛けておいた。 前田は恭次の身が安全と分かると普通の好青年に戻るようで、初めて会ったときとは違い、今は義人達にもだいぶ慣れ、実際の年齢寄りも落ち着いた歳上に見える。 それからすると、慣れて来た恭次は素がで始めたのか、真面目なのはそのままだが何処かゆるゆるのキャラクターのようになってしまっていた。 「おやすみ、また今度」 「はい、おやすみなさい。皆さんも気を付けて」 「はーい」 全員で手を振ると、運転席に乗り込んだ前田は頭を下げてから開けていた窓を閉めて大通りへと車を走らせて行った。 残されたメンバーの内、帰るのが面倒だからと里音は実家に泊まる事になり、義人、藤崎、入山、遠藤、滝野、光緒、和久井が駅へと歩き出した。 午後23時前だ。 「入山は英治の家行くの?」 「うん。そっちの方が近いから」 そうなると、1番早くいなくなるのは入山と和久井だ。 次に滝野、光緒が乗り換えでいなくなり、遠藤もその後すぐに最寄駅に着いてしまった。 「都会から戻ってくると田舎だなって思うよな、ここって」 「分かる。街灯少な過ぎるよね」 それから20分程して、義人と藤崎のマンションがある最寄駅に着いた。 相変わらず住宅街の近くでもポツン、ポツン、としか街灯がなく、確かに都会と比べるとだいぶ道が暗い。 「、、久遠」 「ん?」 コンビニに寄ろうかな、と考えていた藤崎は隣からの呼び声に5センチ下を向いた。 「手、繋ご」 「、、うん」 急にはまだ無理だ。 けれどあの騒動があってから、義人はドシッと構えるようになったな、と藤崎は思った。 戸惑う事なく、手を繋ぎたいと言ってくれるようになったのだ。 「電車、冷房効いてたから冷たいね」 「んあ?そう?ごめん」 「謝らなくて良いよ。暑いからちょうどいい」 「ふうん」 お互いに利き手ではない右手と左手の指を絡めて、歩くリズムに合わせてユラユラと腕を揺らす。 義人の左手の包帯は、悪い意味で街中でも目立っていたが、2人ともそれはもう気にしなかった。 他人の視線や干渉なんて要らなかったからだ。 これがどう言う傷で、どうしてついてしまったのかは2人が1番よく分かっている。 自分達が何者で、どうして一緒にいるのかは、2人が1番よく分かっている。 そしてこの傷をどうしようかは、もう話し合っていた。 それを分かっていると何故だか傷は気にならなかったし、義人はもう何も隠さず、誰の目も気にせず堂々と藤崎の隣にいようと思えるようになっていたのだ。 「ゼミ始まったらさ、日曜は絶対セックスしようね」 「はあー??何で」 真っ暗な道を歩きながら、藤崎がそんな事を言い出した。 どこか遠くで犬が吠えている。 「忙しくなって一緒にいる時間減るだろ。そしたらほら、すれ違いとか起きそうじゃん。そういうことがないように」 「何だそりゃ。話せば良いだろそういうときは」 「いやぁ、身体で対話をね?どれだけ俺が義人のこと好きかって言うのをほら、一番分かりやすくさ」 「ヤりてーだけだろ」 「まあそれはそうなんですけど、、いだッ!」 むふふ、と怪しく笑ってテキトーに理由をつけてセックスをねだってくる藤崎の右手に思い切り爪を立てた。 「あのなあ。セックスが全部じゃないんだからな?」 「分かってるよ、痛かったあ。俺でリハビリすんのやめて」 「はははっ」 爪が当たったところを見ようと藤崎が右手を持ち上げて、何故かふーっふーっと手の甲に息を吹きかけている。 義人は腕を引っ張られて脚をもつれさせそうになりながら、「何してんの」と更に隣で笑っていた。 「バカだなあ」 「痛い、、ちゅーして治して」 「はいはい、そんなんしなくても治ってるよ」 「痛いんだってばあ」 腕を戻すと、また生暖かい空気の中でユラユラと揺らして歩いた。 5分程で家に辿り着くと、マンションの外階段を上がって部屋にたどり着き、藤崎が鍵を開けてドアを引いた。 義人が部屋の中に入ってから自分もスルリと玄関に入ると、いつもの我が家の匂いがした。 「ただーいま」 「おかえり」 「風呂入れよ、疲れた〜」 ググッと伸びをしてソファの近くに荷物を置いて行く。 お土産に持って行けとレオンから渡された惣菜入りのタッパーを冷蔵庫に入れなければならないのだが、風呂も入れてしまいたい。 「ただいまのちゅーして」 なのに藤崎はブスくれた顔をして両腕を広げたまま義人の目の前に立ちはだかった。 「何なのさっきから」 その姿に苦笑しながら、広げられた腕に確保されに行く。 腰に回された手が落ち着くと、少し背伸びをして口元を寄せてやった。 「おかえり、久遠」 「ん」 ちゅ、と軽くキスをする。 ぐちゃぐちゃになるような激しいキスも好きだが、この軽く触れるだけのキスも2人は好きだった。 「ん、こら、んぅ」 ただ、藤崎が今求めていたのは軽めのそれではなく、ゆっくりとお互いを味わうようなねちっこいキスの方だ。 今度は藤崎の方から義人に唇を落とすと、角度を変えて唇を甘噛みして、そのまま舌をねじ込んでくる。 「ブレスレット、すごい嬉しかった。ありがとう」 「んん、」 しつこいなあ、なんて思いながらも、義人もべろ、と舌を絡め返した。 生暖かいお互いの体温が混ざる。 腰に回された手がゆっくりとそこを撫でているのが、穏やかで、けれどいやらしくて、藤崎が自分をセックスに誘っているのがよく分かる。 「毎日つけるね」 「分かった、からっ、んっ、ほら、風呂入れるから」 あまりにもしつこいので、ドン、と強く藤崎の胸を叩いたが、彼はびくともせずにまた義人の腰を撫でて、Tシャツの裾を焦らすように捲り、直接肌を触り始めた。 「っ、おい!」 「もう少し」 「んっ」 「任せて」と言うような視線に目を瞑り、仕方なく彼の舌の動きに応える。 ぐちゅ、といやらしい水音が鼓膜を揺らして肌をざわつかせた。 「ぁ、んっ」 「義人」 「んっ、久遠、んふ、んっ」 堪らなく腰の奥が疼く。 切なくなった義人が藤崎の首に腕を回し、彼の頸を撫でようと左手を背中にかけ、右手を頸に這わせた瞬間だった。 「いたっ、!」 「ッ、え?」 ビリッと痺れるような強い痛みが左腕の手首から肘の下まで一気に駆け抜ける。 「え、腕?どこ?どこ痛い?」 「いてて、待ってごめん、」 思わず顔をしかめ、藤崎から身体を離して左の手首を右手で握った。 ドクッドクッと腕の血管が激しく波打って、耳の後ろでも同じ間隔で嫌な音がしている。 物凄い痛みだ。 そして、摩っても、握っても、誤魔化しようがない。 腕の奥にある何か重要な部品がギリギリと音を立てているようで、それが気持ちが悪く、息が詰まる。 (痛い) グッと下唇を噛んだ。 「義人」 「あー、もう、嫌だな。こう言うことがあんのか」 未だにジンジンと傷むそこを押さえたまま、義人は藤崎を見上げて誤魔化すように弱った顔をして笑った。 「義人、どこ痛いの?触ると痛い?」 そんな顔を見ていてもたってもいられず、藤崎は眉間に皺を寄せて眉毛をハの字に垂らしながら、義人の背中に手を伸ばして摩り始める。 「大丈夫大丈夫、ちょっと変な方向に曲げ過ぎた、、待ってね、ごめん」 「謝らないで。冷やす?痛み止め飲む?」 「大丈夫だって、心配性だな」 何を言っても藤崎の表情は晴れなかった。 背中を摩る手が、ガラス細工の何かに触れるように優しく慎重で、彼が戸惑い、焦り、どうしたらいいのか分からなくなっているのが伝わってくる。 (大丈夫なのに) 本当に一瞬だけ大きな痛みの波が来ただけだ。 脈打つような焦ったい小さな痛みももう消えて来ている。 「ん、治って来た。騒いでごめん」 義人は右手を離す事はなかったが、かがめていた身体を伸ばして藤崎と向き合う。 「謝るんじゃなくて、痛いときはちゃんと教えて」 「ん、ありがと、大丈夫だよ。一瞬ビリッてして、少し痺れてただけ。もう良くなった」 そう言うと左の手首を掴んでいた右手を離してまた弱ったように笑ったのだが、離した筈の左腕を今度は優しく藤崎が掴んできた。 「待って義人」 「ん?」 「震えてる」 「、、え」 バッと掴まれた左手を見下ろすと、確かにカタカタと小刻みに震えている。 左手だけ、いや、身体ごとカタカタと震えていた。 「ああ、ホントだ」 「摩ったりはしない方がいい?」 「、、うん。ほっとくのが1番いい」 藤崎は義人の左手を痛まないようなるべく力を抜いて掴んだままそこには何もせず、空いている手を義人の右の頬に伸ばして触れると、すりすりと撫でた。 「早く良くなろうね」 茶色の目は切なげで、それでいてぎゅるりと優しく揺れる。 「うん」 藤崎の手に頬を押し付けながら、義人も穏やかな声で応えた。 嫌な手汗をかいていたので、グー、パー、ともう痛みが出ないかも確かめながら手を閉じたり開けたりと繰り返す。 うん、一応は治ったようだ。 ただ、震えが治らない。 「義人」 「ん?」 「ソファ、座ろ」 「ん」 促されるままにすぐそばにあるソファに近づくと、先に藤崎がボフン、とそこに座り、義人に向かって両手を広げた。 「抱っこさせて」 「なんだよ。どした?」 「触ってたい」 「ん、、重くない?」 これは甘えて来ているだけだ。 腕を痛がる自分を見て切なくなったんだろうと思いながら、義人は藤崎の腕の中に収まりつつ、彼の膝に跨って向かい合わせになり腰を下ろす。 「大丈夫」 いや、重いだろ。 そう思いつつ彼に乗っかると、温かくてやたらと落ち着いた。 「久遠」 「ん?」 「ちゅーして」 自分でも驚く程、彼に甘えた声を出している。 「うん」 「ちょっとびっくりした。手、動かなくなるかと思った」 「大丈夫だよ。絶対治そう。俺がいるよ」 「うん」 義人は溜め込みそうになった弱音を吐き出した。 強がって我慢して誤魔化すより藤崎がそれを望んでいるように思えたし、何より、彼に「大丈夫だよ」と、そう言って欲しかった。 ちゅ、と軽く唇が重なると、藤崎の体温がそこからも伝わってきて更に安心する。 義人の緊張が解れて身体から力が抜け、ふう、と息をつくのを確認すると唇を離して、藤崎は彼の左手を持ち上げた。 「ん?」 持ち上げた左手の手首に、藤崎の口元が寄って行く。 「え、おい、やめ、」 「ん」 ちゅっ 「な、何してんの」 彼は包帯の上から優しく傷跡に触れると、唇を離してふわっと笑い、義人の顔を下から覗き込んできた。 「痛いの飛んでった?」 「へっ?」 あまりにも緊張感のない行動は逆に義人の身体から震えを忘れさせてしまった。 素っ頓狂な声で返事をした義人は藤崎の言葉の意味を理解した瞬間、思わず吹き出して笑い出す。 「ふはっ、ふふふっ」 右手で口元を隠しながら笑い、藤崎の額にコツンと自分の額をくっつける。 鼻先が擦れると、くすぐったくてまた笑った。 「ふふ、うん。飛んでった」 そう、ただ幸せそうに言った。 「良かった。愛してるよ、義人」 「ん、俺も愛してるよ、久遠」 もう一度キスをすると、それでやっと、日常の波の中に戻った。 この人生の終わりまで、愛しい君と。 .終わり.

ともだちにシェアしよう!