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第1話
確信を抱いたのは形だけの学生服を身につけていた頃。確か、あいつの親の持ち物だったマンションの一室で、部屋の半分を埋めるベッドの上だった。
抱いたのは少女のように華奢な体つきだったが、アナルの中は使い込まれていて、腰を使いながら吸い付く粘膜に俺は眉を寄せていた。
ベッドに四つん這いにさせた細い腰を掴んでいたが、あまりもちそうにない。意識を誤魔化さないと、抱いている少年にフェラチオをさせているあいつより先に射精しそうだ。
前後に緩く腰を動かせたままズボンポケットから煙草を取り出し、火をつけた。
「なんだ、圭介。イきそうなのか」
あいつの低い声は室内の空気を揺らす。煙草を咥えたまま鼻で笑った俺は、華奢な少年を挟んで頭側にいるあいつを見つめた。
「ん、んんっ、んぅ、っん!」
「おい、歯ァ立てるなよ」
「そうなるから激しく揺らさなかったんだけどね」
少年の髪を掴んで股間へと押し付けるあいつに言うと、真っ黒な瞳で睨んできた。
遊び仲間としてかなり一緒に過ごしていたが、複数人とのセックスをする度に粘着質な目を向けられるようになった。
こいつとはもうやめておいた方が良いだろう。
オレは煙草の煙が目にしみた振りをしてあいつから目を逸らすと、腰を押し付けて熱い粘膜の中に精液を注いだ。
「…さん、圭介さん」
頭が揺れて落ちるような感覚と共に目を開いた。
「こんな所で寝ちゃダメですよ」
確かに眠るには不向きなカウンターだが、こんな所と言うのはどうだろう。ここは圭介にとって一番大切にしているゲイバーなのだが。
回らない頭で至近距離にある顔を見つめて背筋を伸ばした。
「楓くん?」
「はい。お久しぶりです」
にっこりと微笑む彼は、小さな顔のサイズに合わない大きめの黒縁眼鏡をかけていて、相変わらず全身コーディネートしたくなる格好だった。
「どうしたの、一人?あいつは?」
たった今懐かしい夢に見ていた男の姿を探したが、どうやら一人のようだ。
「…えっと…」
詰まった返事と共に落ちていく彼の視線。大きな眼鏡はもう鼻からすり抜けて床に落ちそうだ。
圭介がカウンターの中に視線をやると、店を任している彼が小さく頷いた。
どうやらこの店で引き留めておいた方が良さそうだ。
「奥の席に行こうか。マスター、飲み物と食事を頼むよ」
「かしこまりました」
茶色のニットを着ている楓の肩を抱いてフロアの奥のテーブル席へと移動すると、先に彼を座らせて隣に腰を下ろした。
「仕事帰りだよね、楓くん。お疲れ様」
「あ、はい。ありがとうございます。…すみません…急に来ちゃって。あの、僕の相手してもらわなくても…」
肩を小さくして恐縮する彼は、圭介との付き合いももう長い。なのに、今でも礼儀正しく感謝を伝えてくれる。我儘の塊のようなあの男にはやはり勿体ない。
圭介は運ばれてきたオレンジジュースが入ったグラスを楓の前に置くと、肩を抱いて距離を詰めた。
「会いに来てくれて凄く嬉しいよ。やっと和行と別れて俺と付き合う気になってくれた?」
「ふふ、もう、圭介さんてばいつも冗談が上手いなぁ」
圭介が肩を抱いてもなんの反応も示さないのは、彼くらいだ。新鮮な反応を受けるのは楽しい。
「冗談じゃないけどね。だって、和行から逃げてきたんでしょう?」
愛らしく笑顔を向けてくれていた楓の表情は途端に曇り、また俯いてしまった。
肩を抱いていた手で楓の色素の薄い髪に触れ、優しく撫でてやりながら引き寄せた。
「何があったの?あいつがまた何かした?」
圭介の肩に額を寄せる彼は、黙ったままだ。
和行という男は、圭介の唯一の友達だと言っていい存在だが、とにかく彼は自分以外の人間に興味が無い。セックスは好きだが行為が好きなだけであって、そこに感情がない男だった。分かりやすくいえば、ただの馬鹿男だ。
「…ぅ…っ」
数年前、この楓と出会うまでは。
「俺にだけ教えて、楓くん。和行が浮気して君を泣かせたのなら、俺が去勢してくるから」
驚かせないようにそっと頬に触れて顔をあげさせると、蜂蜜色の綺麗な瞳が涙に濡れていた。
彼はいつも長い前髪で顔を隠しているが、染めているような綺麗な髪色とおなじ甘い色の瞳をしている。
地味な外見に不似合いな美しい瞳と心は、荒んでいた大馬鹿男に狙われてしまった。
気の毒な事だと思っていたが、純粋無垢な少年だった彼も、獣のような男に心も身体も許してしまった。
結ばれてから早数年。高校生だった楓も、もう立派な社会人だ。
「…ぅ、か、和くんの、スーツのポケット、から…っ」
使用済みのコンドームでも入れていたのなら誤魔化しようはないが、それ以外ならどうにかなる。
聞かされることに即座に対応できるようにと待ち構えていた圭介は、楓が鞄から出した小さな紙切れに目を見開いた。
「…名刺?」
「こ、これっ、女の人のく、口紅、ついてるんです…っ」
名刺を受け取った圭介が確認すると、確かに名刺にはべったりとキスマークがつけられている。だが、それは知っている店のホステスのものだった。
「……楓くん、これ」
「女の人にプレゼントとか貰っても、家に持ち帰らないようにしてくれてたのにっ。こ、こんなの貰ってきちゃうなんて、ぼ、僕、捨てられちゃうのかも…っ」
「落ち着いて。ほら、とりあえず泣き止まなきゃ」
取り出したハンカチでポロポロと落ちる涙を拭いてやると、今度はごめんなさいと泣きながら謝りだした。
ホステスの名刺を持ち帰るだけでこんなにも傷つくものなのだろうか。誰か特定の相手と一緒に暮らしたことの無い圭介からしたら、理解し難い現状だ。
恋人と呼ぶ相手を作ることは、やはり至極面倒に思えてしまう。
だが、彼程純粋に真っ直ぐ愛を向けてくれる相手ならば、幸せなのかもしれない。実際、悪友は彼と出会ってから病に侵されたのかと思うほど穏やかになったのだ。
(…よくこんなに泣けるもんだね。まぁ…泣き顔はたしかに可愛い…)
濡れていく蜂蜜色の瞳は味わい深いのだろうか。あまり深く考えず引き寄せられるままに楓に唇を寄せると、伸びてきた腕にネクタイを掴まれた。
咄嗟にその手首を掴んで捻るとすぐに離されたが、目の前には今にも圭介に襲いかかろうとする猛獣がいた。
「あぁ、和行。遅かったね」
「…楓を離せ」
「頼られて相談を聞いてただけだよ」
あと数秒遅ければ、無理矢理キスをしていたかもしれないけれど。
「か、かずく、なんでっ?」
「いいから、帰るぞ」
本気で噛みつかれてはたまらないので、圭介は両手を上げて目の前のやり取りを見守っていた。
ここで茶々を入れれば、和行は圭介にも容赦はしないだろう。
「い、いいっ!和くんはまだお仕事あるんでしょ?僕は圭介さんといるから…っ」
和行の獰猛な目がこちらを捉え、目を合わせないように逸らした。
「俺とお前の話にこいつは関係ねぇだろうが」
「だって、だっ……ぅ、うぅ〜」
話すことも出来ずに泣き始めてしまった楓に、和行はどうすればいいのかと動けずにいる。
まるでお子様の恋愛を見ているようだとため息をついた圭介は、テーブルの上の名刺を和行に差し出した。
「原因はこれだよ、和行。ほら、説明。楓くん、よしよし」
楓の背中を撫でてやり、和行に説明をしろと目で促した。
「…これがなんだ?俺の店のホステスだろ」
風俗店やキャバクラを複数経営する和行からすれば、これの何が問題があるのか理解できない。
「ね?楓くん。これは和行が個人的に店に行って受け取ったんじゃなくて、従業員のものだよ。和行が君みたいに可愛い子をおいて浮気なんかするわけないんだから」
圭介の言葉に楓が逃げた理由を知った和行は、何かを言いたそうにしたが視線で黙っていろと指示した。
「……そ、そうなの…?」
鼻をすすりながら聞いた楓に、和行がそうだと短く返事をすると、楓は目の前の男に飛びついた。
慌てて腕を伸ばして楓を抱きとめた和行は、安心したように微笑んでいる。
初めて見る和行の表情に少し驚いた。楓との生活は、和行に人間らしい感情を与えてくれているのだろう。
「ごめんね、和くん。ごめんなさい…」
「帰ってからゆっくり聞く。俺も不安にさせて悪かった」
気がつけば店内にいた客達全員が強く抱き締め合う二人を見つめていた。
なんて人騒がせな痴話喧嘩だろう。せめてもの仕返しにと圭介が拍手をし始めると、周囲の客たちも次々に拍手をした。
猛獣は少し顔を赤くして気まずそうにし、愛しい恋人と大人しく二人で店を出ていった。
「やれやれ。ごめんね、マスター」
「和行様の珍しいお姿を拝見できました」
彼は皺を深くして笑うと、圭介の前にビールの入ったグラスを置いた。
今日は突然の出来事に少し疲れた気がする。これを飲んだら帰って寝た方がいい。
それにしても、あの獰猛な男を振り回せる楓には感心してしまう。
「…ふふっ」
慌てた様子の彼を思い出すと同時に、安堵した表情も思い出した。
乱れに乱れた青春だったが、それも無ければ楓との今は無かったのだろう。
その事については心から良かったと思えるが、自分の身に降り掛かるのはごめんだ。
「圭介!一人でこっちの席にいるの珍しいな」
派手な髪を揺らして隣に滑り込んで来たのは、ホストのヒロだ。外見は圭介の好みなのだが、何度か肌を重ねた結果勘違いさせてしまったらしく、面倒で最近は避けていたのだが。
「さっきまで客がいたんだよ。ヒロ、また髪の手入れサボってるね」
楓の髪よりも水分のないそれは手触りが悪い。
「…一緒に風呂入ってよ。それで教えてくれたらちゃんと手入れする」
向けられる瞳は期待を映している。もう帰宅しようと思っていたが、跳ね除ければ泣きそうになるのだろう。
圭介は返事をしないまま煙草に火をつけて深く吸い込むと、細く吐き出した。
横に座るヒロは、黙って返事を待っている。
「…上手に俺の上で腰を振れるなら洗ってあげるよ」
圭介の言葉に嬉しそうにしたヒロは、素直に可愛いと思う。それでも、和行と楓のそれとはおそらく違う。何が正解なのかは圭介にはわからないが、それだけは理解出来た。
ヒロの乾いた髪を掴んで引き寄せると、薄い唇に噛み付くようにキスをした。
「…嬉しい、圭介…」
熱の篭った彼の言葉に返せる温度はセックス以外ない。
今は気軽な日々を楽しむことに専念したい。
圭介は重厚な扉を開けて店を出ると、身を寄せるヒロと共に近くのホテルへと向かった。
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