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第2話

平日開店直後は静かなものだ。 店を任せている彼と楽な会話を楽しみながら、少しの間自分だけの時間を味わう。 客のいない店内が徐々に賑やかになっていく様を見るのも好きだが、稀に圭介よりも早く店に足を踏み入れている客もいる。 それは特に珍しいことではないが、年季の入った重い扉を開くなり目に入ったことで少し驚いた。 店の出入り口から見て手前から奥に伸びるカウンターには十席ほどスツールが置かれている。 その手前側に座ることは、今夜の遊び相手を待つという意味があるのだが、彼は知っているのだろうか。 公にしている約束事では無いので、知らずに座っている者もいるが、店内にはカウンターにいる彼しか客はいない。 マスターに目をやると、彼は意味ありげに微笑んでみせた。 俺より早いなんて。と、子供のように残念に思いつつ客の後ろを通った瞬間、甘い香りが圭介の鼻腔をくすぐった。 足を止めてしまう訳にはいかず、定位置であるカウンター奥の席に腰を下ろし、唯一の客を見定めた。 着ているスーツ姿に不審な印象はない。飲んでいるのはウイスキーのようだ。まだ夜と言うには早い時間から飲むには重い気がする。 はっきりとは分からないが、さらりと柔らかそうな少し長めの髪の隙間から、色白の頬が見える。 カウンターの上で広げている雑誌を持つ指は細くて華奢だ。 わざわざバーに来てカウンターでウイスキーと雑誌。変な取り合わせだが、横顔は好ましい。 一瞬香ったあの甘い匂いの正体はなんなのか。圭介はそこから数時間、本日一番目の客を観察していた。 開店してから三時間もすれば、店内はそこそこ賑やかになる。 スーツの彼は三度程声をかけられていたが、顔もあまり相手に向けずに断っているようだ。 「…お声はかけなくて宜しいのですか?」 カウンターの中から問われたが、返事をする前に肩を掴まれて振り向いた。 「圭介さんっ!電話出てくんねぇと困ります…!」 圭介の肩を掴んだまま息を切らしていたのは、やたらと懐いてきて仕方なく雇いだしたリュウという男だ。 「まだプライベートな時間なんだよ」 「飲んでるのは構いませんけど、携帯は見てくださいよ」 カウンターに置いたままにしていた携帯を見ると、彼から何度も着信が入っていた。それと同じ様に何度も入っていたのは、キャバクラのキャストだ。 「キャバの方?」 「はい。チンピラっすけど」 「任せるよ。どこの奴かわかったらメールしておいて」 「そう言うと思ってもう片付けました。善さんの所の若い奴っす」 「ならいいよ。また俺から話しておくから」 派手な髪色と細身の身体をしている割には、腕っ節が強い。これは良い拾い物をした。 「いい子だ。引き続きよろしく」 リュウの白に近い金髪の向こうに見えるスーツ姿の彼が、強引に誘われている様子が見える。 「キャストがゴネてんすよ。圭介さんが来ないともうフロア出ねえって」 「そこはリュウの腕の見せどころじゃない?」 「俺には無理!分かってんでしょ」 雑誌を持っていた手を掴まれた拍子に、床にそれが落ちてしまった。 「ごめん、俺は今日はもうおしまい」 「え!ちょっと、圭介さんっ?」 携帯を手にしてスツールから立ち上がり、床に落ちていた雑誌を拾い上げた。 「君、嫌がってる相手にゴリ押しするのは良くないよ。彼はこれから俺と予定があるから勘弁してやってくれないかな」 迫っていた男は先月くらいからこの店に出入りし始めた顔だ。割って入った圭介に向かって、横取りをするなとネクタイを掴んだが、その手首を掴んで捻ってやった。 痛みで放されると、男と圭介の間にはもうリュウが立っていた。 「おい、気安く触んじゃねぇぞ」 リュウは体格には恵まれていないが、見た目に反した腕力と鋭い瞳をしている。男はリュウに睨まれただけで縮み上がり、店を出て行った。 「…圭介さん、お楽しみの後でいいんで、顔出してくださいよ」 「気が向いたらね」 大きなため息をついたリュウは、圭介とマスターに向かって頭を下げて去った。 雑誌についた汚れを払い落としてカウンターに置くと、スツールから立ち上がった彼に頭を下げられた。 「あの、ありがとうございました」 「気にしないで。彼は好みじゃなかった?」 「……はい。乱暴に扱われてしまいそうだったので」 柔らかな声が心地良い。大人しそうな雰囲気とは違い、思った事を口にするのも好感が持てる。 「なら、俺はどうかな?」 君から見て、どんな抱き方をしそうかと聞いてみたかったのだが、彼は圭介をじっと見上げて黙っている。 (想像してる?面白い子だな) こちらも逸らさずに見つめていると、白い頬が赤く染まり始めた。 「…あの、抱いてもらえるんですか?」 そういう意味では無かったのだが、彼がきちんとこのバーのカウンター席に座る意味を理解した上で誘ってきた事に驚いた。 「……お、オレ、では…ダメですか…」 染まる頬を隠すように俯いてしまったが、圭介は彼の小さな顎を掴むと、上を向かせた。 「いいよ。上手に誘えるなら」 漂う甘い香りは濃厚なものへと変化している。今夜は楽しめそうだと期待した圭介は、手触りのいい頬を撫でて笑った。 うなじから肩へと指を滑らせると、粘膜に包まれた圭介のペニスがきゅうと搾られる。 汗を滲ませる艶かしい肌は、きめ細かく滑らかだ。 スプリングのいいベッドの上で膝立ちにさせて後ろから揺すっていた圭介は、薄い肩を舌で舐め、覗くように視線を落とした。 挿入してからは一度も触れていない細めのペニスからは止まることなく蜜が溢れ、シーツの上に垂れ落ちている。途切れずに糸を引いているそれを見て、ぞくりとした愉悦に思わず口元が緩んだ。 「こ、これ、苦しいです…っ」 両腕を後ろで掴んでいたせいで訴えられたが、彼の身体は喜んでいるようにしか見えない。 「…本当?少し辛いくらいが好きなんじゃない?」 腰を引き勢いをつけてから突いてやると、甘い香りが強く漂った。 「そ、んなこ、と、」 これは恐らくフェロモンだ。フレグランスなどではない、彼自身の体臭は甘く香り男の征服欲を煽ってくる。なるほど、わずかな時間に次々に声をかけられていたのは納得出来る。それだけではなく、彼の容姿にも充分な魅力がある。スタイルはいいが線が細い。美しい肌と整った顔立ちは、淫靡な妄想を駆り立てるものだ。 唇を重ねてすぐに理解した。この身体は男に抱かれることに慣れている。なのに、どこか初々しさを感じるのは、長く付き合った相手と別れた直後だとかかもしれない。 「…ぁ、あっ、っふ…ぅ…っ」 休む間もなく腰をぶつけていると、徐々に締め付けが強くなってきた。 「イきたい時に出していいよ」 後ろから耳元に囁いて、耳の窪みの中に舌を差し込んだ。擽るように舌先を使うと大きく身体を震わせて息を詰めている。 鼻腔を流れてくる香りは更に濃く香り、細い身体をシーツの上に落とす様に倒した。 達した直後の彼は倒れ込んだままだったが、構わずに足を開いて再びペニスを押し込んだ。 「あっ、ま、待ってくださ、っん…!」 「イくのはいいけど、止めるとは言ってないからね」 涙の滲んだ綺麗な瞳が細められ、悔しそうに見上げたがそれはすぐに隠された。 積極的に誘ってきたのは彼の方なのに、恨む様な視線を投げられるのは心外だ。 だが、反応が新鮮で楽しい。 暫くは退屈せずに、いい刺激を味わえそうだ。 「顔は隠しちゃだめだよ」 細い手を掴んでよけると、与えられる快楽に濡れる瞳へと変化していた。 なんだ、残念。 悔しそうな目を向けられながらするのも悪くないと思ったのに、彼の足は大きく開き圭介を受け入れている。 「…っ、ん、あ…っ、」 「敏感で感じやすいのはいい事だね」 どんな男に落とされたのだろう。そんな風に考えるのは初めてかもしれない。 圭介は目を閉じていた彼にキスをすると、名前を聞いた。 雨宮幹也(あめみや みきや)と途切れ途切れに名乗った彼とのセックスは良かった。肌が合う、相性がいい。そういう類のものだ。容姿も好みで、控え目な喘ぎ声も愛らしかった。 圭介が一度達する間に、彼は三度も射精して見せた。そんな堪え性のない敏感な身体もいい。 彼の中から抜いたペニスからコンドームを外した圭介は、ぐったりと横になる彼に満足してシャワーを浴びた。 もう少し休ませてから身体を洗ってやろう。 そう思っていたのだが、圭介がベッドへ戻ると、彼は既にスーツ姿に戻っている。 赤く上気した頬で、のろのろとネクタイを結んでいて目を丸くした。 全裸でいた圭介は、壁に凭れて腕を組みその様子を見守った。ベッドに腰掛けたままネクタイを結ぼうとしていたが、指が上手く動かないらしい。 (本当に敏感なんだな。余韻で上手く動けないのか) ならば、ゆっくり休んでから帰ればいいものを。 そう思いつつも、事後は相手から逃れる事に手間をかけるのが常になっている圭介からすれば、珍しい状況だ。 どうやらネクタイは諦めたらしく、シャツから抜いてしまうとポケットの中に乱雑に突っ込んだ。 「…ぷっ」 不器用さに思わず吹き出してしまい、彼がこちらに気付いてしまった。 「あぁ、ごめん。俺が結んであげようか?」 「い、いえ、このまま帰ります。あの、ホテル代置いてますので」 「シャワーくらい浴びていけば?洗ってあげるつもりだったんだけど」 「結構です。…あの…」 彼はふらつく足取りで圭介の前に来ると、丁寧に頭を下げた。 「今夜はありがとうございました。では、お先に失礼致します」 向かい合うと瞳がいやらしく濡れているのが見えた。事後の空気が丸出しだが、彼はあっさりと部屋を出て行ってしまった。 残された圭介は、信じられない光景に笑いながらベッドに倒れ込んだ。 「あっははは、マジか!」 ベッドにはまだ温もりと甘い香りが残っている。 これはいいものを見つけた。他とは違う、珍しい玩具だ。 「面白い子だ、幹也くん」 こちらの名前も聞かずに圭介の元を去ったのは彼が初めてだ。 子供のように気持ちが昂った圭介は、手早く衣服を身に付けると、軽い足取りで夜の繁華街へと戻った。

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