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第13話
七月、三島はエアコンの効いた、つまり眠気を誘う会議室から保健室に戻っていた。校内用のスニーカーで廊下を踏む。廊下は会議室程エアコンが効いていないので、薄っすら汗をかく。
掲示板に保健室だよりが貼られている一角が、三島の職場の保健室だ。今は「不在です」の札がかかっている。札を「在室です」に戻して、扉に手をかける。鍵はかけていないので、扉は難なく開いた。
「せんせぇ、おかえりなさい」
室内から舌足らずに三島を呼ぶ声がした。来宮だ。そこまでは予想済みだった。ただ、
「来宮、その恰好は?」
来宮は三島の白衣を着て、三島の定位置である事務机の前に立っていた。全体的に丈が合っておらず、袖が余っている。前は留めていないので、一向に崩さない夏服を着ているのがわかる。
「彼シャツ?」
三島に合わせて、こてん、と来宮が首を傾ける。
正確にはシャツではなく、仕事着だ。
「なんで」
とりあえず他の職員や生徒に見付かっては不味いので、丁寧に扉を閉めておく。それから来宮の方に足を向けた。
「似合ってません?」
来宮は見当違いなことを言う。似合っているかどうかはともかく、恋人の欲目で可愛いとは思う。それと同時に何とも言えないハンザイ臭がした。脳裏に浮かぶそれを払拭するために、はぁ、と露骨な溜め息を吐くと、来宮のレンズ越しの目に不安の影が過ぎる。
「せんせぇ、こういうの、だめ?」
だめとかだめじゃないとかでは、ないのだけれど。
速度を落とさず来宮の元に行くと、三島は来宮のまだ軽いからだを抱き上げてしまう。
「はい、没収」
そのまま無人のベッドの方へ運んでしまう。来宮は目を白黒させて、「せんせぇ? せんせぇっ」とばたつくけれど、三島の知ったことではない。ぽん、と来宮の軽いからだをベッドに投げ出す。
清潔な白いシーツの上に癖のない黒髪が広がる。紅潮した頬と、少しずれたノンフレームの眼鏡の奥の不安そうな色のある瞳が三島を見上げてくる。シーツの上に乱れた白衣と、その下のきちんと着た制服と、絵面的にやっぱりハンザイ臭がする。その上舌足らずな声で「せんせぇ」と鳴く。
「来宮吉野くん、」
三島は倒れたままの来宮の隣に腰かける。ふたり分の体重に、古いベッドが軋む。三島は来宮の小さなからだの上に覆い被さった。右耳にかかる黒髪を掻き上げると、シンプルな女性もののピアスが六個、嵌まっている。三島はそのピアスをなぞる。
「僕の分は開けないの?」
三島の分はかたちに残らないのだろうか、と思った。
なぞった指先がくすぐったいのか、来宮はぶるり、とからだを震わせた。それから、きっ、とネコ科の動物の目で三島を見上げてくる。
「だって、せんせぇは噛むじゃないですか」
来宮の返答は予想外で、三島は意表を突かれた。確かに噛んだけれどもとは思うものの、そんな価値なのか、と笑いが込み上げてくる。くすくすと押し殺した笑い声が漏れてしまう。来宮が不本意だ、という顔をするのが、また面白かった。
「そもそも、うち、ピアス禁止だからね」
来宮の右耳のピアスのひとつに手を伸ばす。丁寧にそれを外してしまう。
「せんせぇ?」
戸惑う来宮からすべてのピアスを外して、横に並べていく。イミテーションの宝石はきらきらとしていた。
「ピアス禁止だから、今はだめかな。これは預かっておくから、返して欲しかったら三年後に言いなさい」
今度は来宮がくすくすと笑い声を上げた。「はじめて『先生』らしいことするね」いつの間にかその目は捕食性の動物の目で、隙あらば三島を狩ろうとしている。
そして来宮は無垢な左耳を摘まんで、三島に突きつけてくる。
「せんせぇ、好きなの。齧って」
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
はじめての連載に不手際もあったかと思いますが、読んで下さった方のお陰で続けられました。
お気に入りもしおりもリアクションも、すべて励みになりました。
このふたりの3年後の話『せんせぇ、好きなの。キスして。』も書いていますので、そちらももしよろしければお付き合いいただけたら幸いです。
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