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13.一族の宝石
王城を築く石は黒灰色で、細かな白い筋が入っている。隣国の王宮のような明るい色合いではないが、春の緑は鮮やかに映え、夏の暑熱は涼しくおさえ、冬の白い空のもとでは荘厳にそびえたつ。
王城はそれ自体がひとつの町のように広く、城門に近い外周はたくさんの人でにぎわっているが、王宮に近づくにつれて官吏や魔術師のローブが目につくようになる。輝く白は精霊魔術師が着るもので、暗色は回路魔術師だ。
濃い灰色の制服を着た審判の塔の者たちのあいだで、アピアンの姿がぱっと明るく浮き上がる。知らず知らずのうちにみつめている自分にはっとしてセルダンはそっと視線をずらし、城壁にきざまれた雲のような意匠を眺めた。ただの模様ではなく回路魔術のしるしである。
セルダンはこれまで王城の建築物に対して特別な感想を持ったことがなかった。しかし隣国から戻って以来、いままで気に留めなかった細部に不思議と目が行くようになっている。王宮付きの近衛騎士に任じられたから、でもあるだろう。
千年以上前、王城の基礎をつくったのはレムニスケート一族だが、最初から今の姿だったわけではない。とくに、現在回路魔術の防備がほどこされている城壁は長い時間をかけて増築され改良されたものだ。最初に回路魔術の護りがそなえられたのは、回路魔術の発明者ナッシュの息子、ゼルテンが師団の塔を組織した時代のことだった。現王のさらに二世代前、アルティン王の時代にも大規模な改修が行われている。
王城の中心は王宮で、中央には優美な尖塔が高くそびえる。その真下は一部の者しか知らない地下の通路へつながっている。地上からはわからないが、城壁は王宮と一体の基礎をもち、全体が一種の「回路」として強固な防備の魔術を形づくるのだ。もともと存在した構造を魔術師ゼルテンが利用して、現在の王国が誇る鉄壁の護りができあがった。
ところが、レムニスケート家と回路魔術師の関係は当時それほど良いものではなかった。同じように王家を護るものなのに、おたがいに敬遠していた、というのが正解だろうか。状況が変わったのはアルティン王の時代で、これはクレーレ・レムニスケートと魔術師アーベルの協力のたまものだという。王族が回路魔術師を以前より遇するようになったのも、ほぼ同じころである。
アピアンは暗色のローブを着た回路魔術師と熱心に話している。王宮の庭園は最近、王子の私的な会議あるいは相談の場所となっていた。隣国から戻って、アピアンは政務に対する関心をはっきり示すようになった。セルダンの方をちらりとみることもしない。王宮付きの近衛騎士となったセルダンは、王子とほぼ毎日顔をあわせている。それなのにふたりきりで面と向かって話をするような機会が近頃は一度もなかった。
一度も? それは嘘だ。
心の奥底でそうささやく声がして、セルダンはしぶしぶ認める。機会がないのではなく、機会をつくらないようにしているのだ。なぜ? ふたりだけで向き合えば、あの夜のことを思い出すから?
もう何度目だろうか、水底から浮き上がるように生々しい記憶がセルダンの頭をよぎる。アピアンが自分の腕の下で、悦びの声をあげて……。
騎士は思わず唾を飲みこみ、みだらな像を追い払った。こんなに明るい日差しの下で、当人をまえにして、不謹慎もたいがいにしろというものである。セルダンはあきらかに以前より寡黙になっていた。
騎士団の同僚はそれを異動と昇進で緊張したためと受け取っている。彼らの誤解はありがたかった。実際は、セルダンは王子を間近にみるたびにひそかな興奮をおぼえてしまい、それを隠すために寡黙にならざるをえないのだった。
「レムニスケート。待たせたな」
王子が顔をあげてセルダンを呼ぶ。
「おまえがここにいるのは今夜の件だろう。陛下に念押しでもされたのか」
セルダンは思わず苦笑した。
「確認をするようにと仰せられて」
「まったく、陛下も……」
王子から批判めいた言葉は出なかったが、セルダンは小さなため息をききとった。初夏から続いた社交シーズンがもうすぐ終わる。今夜は王がじきじきに計画した舞踏会がひらかれることになっていた。留守にしていた王子をねぎらうため、という名目で、アピアンは事実上の主役だ。
「王宮の舞踏会は久しぶりだ。セルダン、おまえも出席するな?」
ため息をつきはしても、王子の表情は冷静だった。
「ええ」
「私がつぶれないよう祈っていてくれ」
王家の始祖とレムニスケート一族の出会いは、王都も王国もまだ存在しない、荒野でのことだという。
そのころこの地はいまのように豊かな土地ではなかった。暗黒の森と山のはざまで、レムニスケートの最初の九人は、王家の始祖に忠誠を誓った。
父王がのんきに「花嫁探し」をしているのも、レムニスケートあってのことだろう。今夜の会の目的は露骨なほどあきらかだ。招待された者たちも察しているにちがいない。
舞踏会用の胴着に袖を通しながらアピアンはため息が出そうになるのをこらえている。金糸の縫い取りのある衣装は重く、ひとりで着ることも脱ぐこともできない。何年もアピアンに仕えている年配の女官が背中の留め金をかけ、手が届かないところにあるボタンをはめる。従僕がひざまずいてブーツの紐を締め、女官はアピアンの髪に香油を揉みこみ、櫛を入れる。
幼少期のアピアンは父王と触れあうことなく成長した。それでも父王は彼なりの愛情を息子に注いでいる――そのことにアピアンは疑いをもたなかった。問題は王が、アピアンが自分とおなじものを望んでいると思いこんでいることだ。王は二度の結婚で得たどちらの伴侶にも愛情を尽くし、子供をもうけた。だからアピアンも同じだと考えている。
大きな誤解だ。
自分は父王に告げるべきなのだろうか。姿見にうつる自分にアピアンは無言で問いかけた。陛下は落胆するにちがいない。世継ぎのアンダース殿下はあまり頑強な方ではない。メストリンがいるとはいえ……。
「殿下、セルダン殿がいらしていますよ」
鏡の中で女官がアピアンの注意をひく。鏡にうつるのは近衛騎士の正装だ。アピアンはふりむき、若いレムニスケートのりゅうとした身なりをみつめ、動悸が早くなるのを自覚した。顔に出ていないかどうか気にかかったが、女官はすでに鏡に覆いをかけている。
「早いな。レムニスケート」
「遅れてはなりませんから」
話しながらもセルダンの視線はアピアンの眸からわずかにそれた。ずっとこうなのだ――あの夜のあと、ずっと。あの夜は……
心の中は乱れたが「それも陛下の念押しか?」とアピアンは軽口を装った。セルダンは困ったように眉をひそめている。
こういった会のたぐいは経験すればするほど、どれも同じに思えてくる。
しだれる花と蔓の飾りのあいだに磨かれた銀とガラスの器が並び、軽い料理と飲み物が供される。着飾った人々のあいだを縫うように楽隊が音楽を奏で、笑い声とささやき声がところどころであがる。窓際に数人で会話に興じる者もいれば、中央で手をとって踊る者もいる。
宴たけなわというべき時刻だったが、すでにアピアンは退屈していた。話し相手は無限と思えるほど湧いて出るのに、退屈するのはどういうわけだろう。周囲にいるのが着飾った令嬢ばかりのせいか。
隣国で連日社交にいそしんで得た収穫のひとつは、どれほど退屈してもそうはみせないすべだ。
アピアンはあまり興味を持てないなりに紹介される令嬢と会話をかさね、踊りを申し込む。セルダンが隣で同じように踊りを申し込んでいる。女性のなめらかな手をとって広間の中央に出ると、目の前でお辞儀する相手に注意を向けなければならないのに、頭をよぎるのは背中合わせで後ろにいる騎士のことだ。広間は白粉と料理と酒の香りでいっぱいなのに、アピアンはセルダンの匂いを嗅ごうとしてしまう。あの夜、自分の唇に重ねられたセルダンの唇と、吐息と……。
「殿下?」
「ああ、レノーラ嬢」
ぱっちりと大きくひらいた眸にアピアンは如才なく微笑む。
「すこし疲れたらしい。注意が散漫だった」
「あちらでお座りになりませんか?」
星屑のように光る飾りをつけた指先が窓際をさす。アピアンは気づかれないように周囲に視線をなげ、逃げ場をさがした。セルダンはどこへいったのだろう。そのときふいにひとつの顔が目にとまった。
「レノーラ嬢」アピアンは礼儀をまもりつつも一歩引いた。
「挨拶しなければならない方が来られたようだ。すまないが失礼する」
人をさりげなくかきわけてその人物に近づくと、相手はまっすぐ視線を合わせてきた。
「レムニスケート殿」
「殿下」
顎の張った顔立ちに柔和な笑みがうかんだ。眼元は騎士団長に似ているがもっと小柄で、ひたいと鼻筋はセルダンに似ている。
「お会いできてうれしゅうございます。隣国はいかがでしたか。陛下からご活躍されたとうかがったが」
「活躍などとんでもない。当主――」アピアンはすばやく手ごろな空席を探した。「立ち話も申し訳ない。そこに座りましょう」
騎士団長もセルダンも大柄なのに、騎士団長の弟であるレムニスケートの当主がそうでないのはすこし意外だった。しかし一対一で話したことは一度もなかったにもかかわらず、アピアンが奇妙に心安らぐ感じを受けたのはこの体躯のせいかもしれない。それとも柔らかいのに芯の通った、この雰囲気のせいだろうか。
「早々にこんなことをいうとうんざりさせると思いますが」当主は顔をほころばせた。「王子、立派になられましたな」
アピアンは思わずにやりとした。
「ええ――ありがとうございます」
「もう子供扱いされる年齢ではないといいたいでしょうが。年長者というのは無礼なものです」
「いいえ、そんな。それに今夜の……この会は、私が一人前になるために開かれたものです。少なくとも陛下はそう期待しておられる」
アピアンは広間の中央へむけて軽く首をふった。当主の眉がわずかにあがる。面白がっているようだった。周囲から人垣が消えたのは、ここにいるのが「レムニスケート」だからにちがいない。
「陛下はそういうお方ですからな。あの方が殿下くらいの齢だったころ、王国は災難を乗り越えなくてはならなかった。病があったのです。今は急がなくてもよいのだが、長年の怖れを抜け出すのは誰にとっても難しいことだ」
アピアンはいささか驚きながらいった。
「率直に話されるのですね」
「良くも悪くもレムニスケートの特質ですな」
当主は目をきらめかせた。
「我々はいささか自分勝手な一族なのですが、幸いそう思われていない。しかしこの国の始祖以来、王家は我々一族の宝石なのです。だから我々は壊れぬように、奪われぬように護る」
「宝石――」アピアンは眉をひそめ、当主の言葉をくりかえした。「それは……」
レムニスケートはアピアンの困惑に対し、なだめるような笑みを浮かべた。
「我々にとって王家とは荒野に見出した宝なのです。我々の最初の九人は盗賊、石工、傭兵だった。寄せ集めの人間が荒野で宝を拾い、以来、寄せ集めであることをやめた。我々は『レムニスケート』になったのです。我々はひとりとして完璧ではないからこそ、集団である。我々はひとりに忠誠を誓わない。レムニスケートは王家全体に奉仕する。王家が王国のためにあるように」
本気なのか冗談なのか、当主がクスクス笑うのでアピアンにはつかみ損ねた。みると彼の手元には空になった杯がある。アピアンは唐突に強い喉の渇きをおぼえた。手を振って給仕を呼び、もらった杯を当主のそれにあわせる。
「そういえば、今は急がなくてもよいとさっき、いわれましたね」
思い出してそういうと、当主もまた思い出したように「ああ、そうですな」と答えた。
「王には見えていないことがあるようだ。しかし殿下、見えないことは聞かないとわからないものです。真実には失望することも失望させられることもある。我々はひとりとして完璧ではないのだから」
当主の視線はあいかわらず柔らかいものだが、アピアンは心の底を見透かされたようにどきりとした。
「セルダンと友人でいてくださって、私は嬉しいですよ。殿下」
「当主」
「甥はすこし融通のきかないところがあるようです。確かめる勇気がなく自分一人で考えこむのはありがちなことですが、確かめさえすればよいこともいろいろとあります――おや、噂をすれば」
当主の向こうにセルダンの姿がみえ、アピアンの注意は一気にそちらへひきつけられた。
近衛騎士の正装はこの男を前にもまして引き立てる。今夜ここへ到着した時も、その後も見ているのに、またも舐めるような視線を送りそうになる。
「殿下、私はそろそろ……」
席を立つ当主を見送ったあとも、アピアンの目はセルダンを探していた。いまだに当主の話の断片が頭の中をくるくると回っている。セルダンは他の近衛騎士数人と談笑している。同じ正装を着ていても、アピアンの目にはセルダンひとりだけが浮き上がったようにはっきりとみえる。
アピアンは頭をふり、杯の残りを飲み干した。まだちっとも酔ってはいない。立ち上がって広間を見渡す。そろそろ散会の頃合いだろう。
少なくとも自分にとってはその時刻だ。
暗い庭園を抜けて居室のある王宮の奥へ戻ろうとしたとき、後ろをついてくる気配を感じた。アピアンはふりむき、予想通りの顔を認めた。律儀なレムニスケートだ。
「セルダン、ここは王宮だ。私を護る必要はない」
騎士は答えなかった。すぐアピアンに追いついて隣にならぶ。大柄な体が横を歩いていると思うだけでアピアンの皮膚の下がざわめいた。突然狂おしいほどの欲望がみなぎる。
セルダン、おまえはどうなんだ。
声にならない言葉をアピアンは胸のうちでくりかえした。あの夜はなんだったのか。あの時おまえは私に、何といった。
「セルダン」
急にわきあがった感情にアピアンの体はいつもの自制を忘れた。言葉が口から勝手にこぼれ出る。
「私の部屋へ来い」
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