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14.心臓をつかむ手

 隣国に滞在していたあいだに王子はダンスがうまくなったようだ。  楽音にあわせてステップを踏んでいるというのに、セルダンの意識は目の前の相手からそれている。王宮付きの近衛騎士として、また「王子の友人」として、背後にいるアピアンを意識するのはあたりまえのことだ――そう思ってみるものの、内心の真実に照らせば、これがいいのがれにすぎないことは十分自覚していた。  俺は王子を愛している。レムニスケートに生まれたからではなく、俺自身として。いつからこの想いを抱えているのか、自分でも思い出せないくらいの時間――だからこそあの夜王子を抱いて、そして……。  うわの空で音楽にあわせながらセルダンの思考はそこまで行きつき、ついで、これまで何度も繰り返した思考の周囲をぐるぐるまわった。アピアンは主君で自分は臣下、それもレムニスケートだ。レムニスケートは忠誠を誓うもの。ではアピアン個人に対する愛は、忠誠とはべつの場所にきちんとおさまっていられるのだろうか?  人間はあやまちをおかすものだ。  踊りの輪がまわり、セルダンの位置はアピアンから離れた。あの夜のことをアピアンがどう考えているのか、いったいどこまで覚えているのか、セルダンはいまだに確かめられていない。それもまたあたりまえで、たしかめる機会を作らずにいるのはセルダン自身だ。  あの時王子に手をのばさなければどうなっていただろうか。レムニスケートである以上、友人としてアピアンを受けとめるだけにとどめ――おのれの欲望をあらわさずにいるべきだったのではないか。  楽音が途切れるとセルダンはつかの間のパートナーに礼をし、離れた。王宮付きの近衛騎士という役割は、舞踏会のあいだもアピアンの位置を目で追う大義名分になりそうだが、最近同僚となった他の騎士はそんなことはみじんも考えないようだ。セルダンは数人の会話に巻きこまれ、そのあいだにアピアンを見失った。子供のころからよく知っている人間が王子と共にいることに気づいたのは、当人たちが話を終え、立ち上がったときだった。  レムニスケート当主はセルダンに気づいていたらしい。意味ありげな目くばせをよこしたが、かまっている暇はなかった。アピアンが広間を出ようとしていたからだ。セルダンはあとを追って庭園を横切った。唐突に前を行く王子がふりむいた。 「セルダン、ここは王宮だ。私を護る必要はない」  一瞬、ものがなしい気分に襲われてセルダンは言葉を失った。どうしてだろうか? 豪奢な胴着に包まれたアピアンの肩に孤独の影がさすようにみえたから?  黙ったまま横にならんだセルダンをアピアンはちらりとみて、目をそらした。苛立ったような棘のある雰囲気を感じ、セルダンは思わず弁解の言葉を口にしそうになったが、先に声を発したのは王子の方だった。 「セルダン、私の部屋に来い」 「殿下」 「今だ」  アピアンの居室はすぐそこだ。小さな明かりに照らされた室内にセルダンは押しやられ、王子は戸口をさえぎるようにうしろ手に扉をしめた。 「セルダン」  薄暗がりのなかで王子の顔がすぐそばにあった。眸の色はセルダンをにらみつけるようにも、懇願するようにもみえた。 「ここへ来たなら答えろ。私だけか?」 「殿下……」  アピアンの唇はわずかにひらき、ささやきは怒りをふくんで、押し殺したような響きだった。セルダンの体は主君の感情に触れて硬直したが、どういうわけか皮膚の内側に熾火のような欲望が燃えた。 「その呼び方はやめろ、セルダン。求めているのは私だけか?」 「あの夜は……」セルダンはためらいながら口にした。 「あなたは酔っていた。夜の蛍が――」 「そのせいだというのか?」 「あの晩俺になにをいったか、すべて覚えておられますか?」  アピアンのまつ毛がゆれ、視線がゆらいだ。セルダンは無意識に片足を踏み出し、距離をつめていた。アピアンは眉をひそめ、ふっと唇をゆがめた。 「おまえこそ何をいったのか忘れているようだな。でなければ嘘だったのか? 私を好きだといったぞ」 「いえ! 俺は何も忘れていないし、嘘もありません。あなたを――愛しています。でも――」 「でも?」アピアンの唇がセルダンの頬に近づく。 「おまえはレムニスケートだ。そのせいか?」  はっとする暇もなくセルダンの首に王子の両手がかけられ――唇を覆われた。  与えられたのは闇雲で激しく、無我夢中の口づけだった。セルダンの体はたちまち反応し、理性は即座にあとかたもなく飛びさった。  首にかかる王子の手をつかみ、腰に腕を回して抱きしめる。自分の行動の意味を考える隙はまったくなかった。ついさっきまで渇望とともにみつめていた相手をセルダンは腕に囲いこみ、口づけの主導権を奪った。  堅い胴着の下でアピアンの体がふるえるのがわかった。王子のおとがいをつかみ、舌で舌を追い、絡みつけて吸う。水音を立て、吐息と唾液を交換する。いつのまにか立ち位置が逆になり、セルダンは壁に王子を押しつけて唇をむさぼっている。どちらもかたくるしい正装なのに、おたがいが感じている苦しいほどの欲望がわかる。荒い息をつきながら唇を離したとたん、アピアンのまっすぐな眸に出会った。 「もうたくさんだ。私にはおまえが必要だ」王子がささやく。 「おまえにどんな都合があってもかまうものか。私はおまえに心臓をつかまれている」  騎士の手がアピアンの腕をとり、部屋の中央へと導く。  背中をたどる指にアピアンはなされるままになる。セルダンが留め金やボタンを外すたびに、重い正装から体が解き放たれていく。布ごしに肌をこすられるだけで、さざ波が立つようにおのれの内側が反応する。アピアンは思わず吐息を吐く。  騎士は衣服を脇によせると肌着姿の王子の前にひざまずき、靴紐を解いた。アピアンはブーツから足を引き抜き、寝台に座った。 「おまえは慣れている」  アピアンの声をきいても、セルダンはそっとみつめかえし、首をわずかに傾けただけだった。寝台のまえに膝をつき、王子の靴下を脱がせ、はだしの甲に唇をあてる。そのまま足指を這う舌の感触にアピアンは肩をふるわせる。セルダンの息が足首から膝へのぼり、低いささやきがおちた。 「俺がずっと……何を考えていたか知ったら、あなたは何と思うか……」 「何を考えていた」 「あなたを俺のものにしたい」  セルダンの舌が膝から太腿の内側をなめる。アピアンはとうの昔に下着をもちあげているおのれに触れようと手をのばした――が、力強い手に膝を引かれ、あおむけに倒れてしまう。セルダンは騎士の正装のままのしかかり、アピアンの両手を敷布のうえに縫いとめた。 「馬鹿をいえ。あの夜、私はもう……」 「ちがう。俺だけのものにする。これからも……」  首にかかるセルダンの息が熱い。肌着の下に潜りこんだ指がアピアンの胸をいじり、尖った部分をつまんだ。 「誰もあなたにこんなふうに触れないように……男でも女でも」  騎士の眸がアピアンを射た。せつない吐息がもれた。 「馬鹿げた願望です。あなたはいつか王になる。俺だけのものにはならない。なのに俺はあなたにしるしをつけて、俺のものだといいたい。あなただけに忠誠を誓って……あなたを愛していると」 「セルダンーー」  アピアンの言葉はセルダンの唇の感触に飲みこまれた。胸の尖りを吸われ、ちりっとした痛みが走る。下穿きの内側でしずくをこぼしている尖端を手のひらで包み込まれる。舌が水音を立てながらアピアンの肌を強く吸う。 「こうして……」 「セルダン!」  セルダンの唇は鈍い痛みを残しながらへそのあたりへ、さらに下へとさがった。股間に短い髪が触れる。濡れた指がうしろにまわり、穴の周囲をこすりはじめる。 「……セルダン……」  アピアンの手は勝手に動き、体をなぶる騎士の髪をつかみ、まさぐった。 「俺はあの夜だけでいいと思った」セルダンがささやいている。「だから……」  アピアンは甘い喘ぎをかみころした。 「この――馬鹿もの――」  股間の前と後ろを同時に嬲られ、咥えられて、あっという間に解放の瞬間へ連れていかれ、アピアンはなかば放心状態のまま、うらめしい気分で騎士をみつめた。唇を舐める騎士の顔にはぞくりとするような色気があった。 「セルダン。おまえも脱げ」  アピアンは騎士服の襟をつかみ、騎士の目のしたに欲望の濃い影がおちるのをみとめた。 「私が何を考えているか知りたいか? 私があの夜、何をいったか忘れたか?」 「殿下……」 「私はただのアピアンだ。おまえだけでいい。おまえのものになりたい」

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