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第1話
リノは幼い頃から食べることが大好きだった。美味しいものを食べているときがなによりも幸せで、そんな彼は当然平均よりも体型がぽっちゃりしていた。
食べたいものを食べて過ごす毎日はリノにとってストレスのない生活で、だから彼はいつもにこにこと微笑んでいた。彼の纏う空気は常に和やかで柔らかい。
そんなリノの近所に住んでいる同い年のビクトルは、無口で無愛想な少年だった。人付き合いが苦手で、いつも一人でいた。
しかしリノは気兼ねなく彼に声をかけた。朗らかに笑いかけ、お菓子をあげた。
最初はリノが一方的に話しているだけだった。けれど何度も声をかける内に、徐々に返事が返ってくるようになった。それから更に時間が経つと、ビクトルの方から声をかけてくれるようになった。無愛想なのは変わらないが、それがビクトルにとっての普通なのでリノは気にならなかった。
そうして二人は幼馴染みと呼べるほど親しい関係になった。
そんなある日、もしゃもしゃとお菓子を食べるリノにビクトルが言った。
「おれ、リノと結婚したい」
「……けっこんってなに?」
幼いリノはまだその言葉を知らなかった。
「ずっと、一緒にいるってこと」
「ビクトル、ぼくとずっと一緒にいたいって思ってくれるの?」
「そうだ。リノは?」
「ぼくも、ビクトルとずっと一緒にいたいよ」
「じゃあ、おれと結婚してくれるか?」
「うん」
真剣な顔で尋ねるビクトルに、リノはこっくりと頷いた。
意味を知らなかったリノは、特に深く考えもせず結婚の約束をしてしまった。
「嬉しい、リノ。絶対幸せにする」
そう言ってビクトルは、チョコのついたリノの唇にキスをした。
このとき、あれ? とは思った。友達同士では口にキスはしないのではないかと、疑問は感じた。
でも、ビクトルがとても嬉しそうだったので、まあいいかと流してしまったのだ。
だから、それから何度も唇にキスをされてもリノは拒まなかった。
一度キスをされそうになったときにやんわりと拒もうとしたら、物凄く悲しそうな目で見られた。
「嫌なのか?」
傷ついた顔でそう言われ、嫌じゃないと首を振った。
嫌ではないのは本心だったし、ビクトルを悲しませるようなことはしたくない。だからおかしいと思いつつも、キスを拒めなくなってしまった。
成長し知識を身につけ、やがてリノも結婚の意味を理解する。そしてビクトルと交わした結婚の約束は、意味を成さないものなのだろうと思った。当時はビクトルもきちんと結婚の意味を理解していなくて、リノとずっと友達でいたい、という気持ちが結婚という言葉に結び付いたのだろう。リノはそう考えた。
しかし、ビクトルはきちんと意味を理解した上で結婚の約束を取り付けたのだ。
ビクトルと過ごす内に、リノはそれを思い知らされた。
とにかくスキンシップが激しい。キスはもちろん、ハグも日常的に行われた。しょっちゅうリノに「好きだ」「可愛い」と言って頬擦りしてくる。これは完全に恋人同士のイチャイチャだ。
極め付きは、リノが十四歳のときにビクトルに言われた一言だ。
「リノ、おっぱい触らせて」
リノは飲んでいたジュースを吹き出すところだった。寸でのところでごくりと飲み込み、ビクトルへ顔を向ける。
ビクトルは真面目な顔でこちらをじっと見ていた。その表情から、冗談ではないのだと窺えた。そもそもビクトルは冗談を言わない。
「お、お、おっぱ…………って、僕の?」
「当たり前だろ」
「いや、でも、僕、男だし……」
確かにぽっちゃり体型のリノの胸は膨らんでいるが、所詮は男の胸だ。触りたいなどと思う理由がわからない。
しかしそれはリノの考えで、ビクトルはそうではないらしい。
「男とか女とか関係ない。俺はリノの胸が触りたい」
「で、で、で、でも……」
リノは真っ赤になって狼狽する。
男なのだから、胸くらいで恥じらう必要などないのかもしれない。けれど、明らかに欲を孕んだ目で見られ、どうしていいのかわからなくなる。
「リノ、触らせて」
「あ……う……え……」
「お願い」
「………………」
逡巡の末、リノは小さく頷いた。
昔から、リノはビクトルに頼まれたら断れない。彼を傷つけ、悲しませるのが嫌なのだ。
彼の頼みは大抵、リノにとって羞恥を感じはしても嫌なことではない。嫌なわけではないので、拒絶せずに受け入れる。ビクトルを傷つけるくらいなら、羞恥に耐える方を選ぶのだ。
「ありがとう、リノ」
表情は分かりにくいけれど、ビクトルはとても嬉しそうだ。喜んでいる彼を見ると、やはり受け入れてよかったと思う。ビクトルが嬉しいと、リノも嬉しいのだ。
ビクトルはリノに口付ける。リノは自然と唇を開く。舌を絡ませ合う濃厚なキスにも、すっかり慣らされてしまっていた。
ちゅくちゅくと音を立ててキスをしながら、ビクトルの手がリノの胸に触れる。服の上から両手でやんわりと揉まれ、むずむずするようななんとも言えない感覚にリノは戸惑った。
「んふぅっ……ん、んんっ」
息継ぎがうまくできなくて、キスの合間に荒い息を漏らす。
ビクトルは掌全体を使って、柔らかさを楽しむように執拗に胸を揉みしだいた。
キスの快感と胸を揉まれる感触に、リノの体は徐々に熱を帯びる。
不意に指で乳首を引っ掛かれ、びくんと体が跳ねた。
「んあっ……!?」
唇が離れ、口の端から唾液が零れた。リノはそれを拭う余裕もなく、おろおろとビクトルの腕を掴む。
「あ、あ、あの……」
「うん?」
ビクトルはリノの口元から垂れた唾液を舐めながら、少しだけ膨らんだ乳首を撫でた。
そこを弄られると、勝手に変な声が出てしまう。リノは焦り、どうにかビクトルの手を止めようとする。
「あっ、ま、待って……」
「どうした?」
「あ、あの、まだ、触る……?」
「もちろん。まだ少ししか触ってないだろ」
「で、で、でも、なんか、そこ、触られると……」
「そこ? ってここか?」
「あぁっ」
乳首を摘ままれ、ビクビクと体が震える。
「あっ、だめ、そこ……」
「だめ? なんで?」
「変……そこ、触られると、変になるから……っ」
「変に? じゃあどんな風になってるのか見せて」
「や、待っ……」
リノが止める前にビクトルは服を捲り上げた。
男にしてはふくよかな胸と、ぷくりと淡く色づく乳首が露になる。
ただ胸を見られているだけなのに、リノは恥ずかしくて堪らなかった。
羞恥にぷるぷると震えるリノを、ビクトルはうっとりと見つめる。
「可愛い、リノのおっぱい……」
熱に浮かされたように囁いて、ビクトルは直接胸に触れる。ふにゃりと、肌に指が食い込む。
彼の体温が伝わり、その熱さにリノの体温も上がる。
「ああ、柔らかい……リノのおっぱい気持ちいい……」
「や、やだ……っ」
「俺に触られるの嫌?」
「嫌じゃない、けど……恥ずかしいよ……」
まるで女の子のように胸を揉まれ、リノは居たたまれないような気持ちでいっぱいになる。
潤んだ視線でもうやめてほしいと訴えるが、ビクトルは手を離してはくれなかった。
「恥ずかしいだけ? 俺に触られてどんな感じ?」
「わ、わかんない……」
「ここは?」
「ひんっ」
両方の乳首を指で転がすように刺激され、甘い悲鳴が漏れる。
「そこ、だめ、変な声出ちゃうよ……っ」
「変じゃない、可愛い、もっと聞きたい」
「あっ、あっ、だめぇっ」
くりくりと乳首を押し潰され、身悶えるリノからビクトルは片時も目を離さない。脳裏に焼き付けるようにリノの痴態を凝視する。
その視線に、更に強く羞恥を煽られた。
「や、ビクトル、恥ずかしぃよ……」
「うん。恥ずかしがってるリノは可愛い。堪んない」
真面目な顔でそんなことを言って、ビクトルはその場にリノを押し倒す。
そして、肉付きのいいリノの胸にむしゃぶりついた。
「やあぁっ」
はむはむと柔らかく歯を立てられ、じゅるっと音を立てて吸われる。もう片方は変わらず指で刺激されていた。
明確な愛撫に、リノは喘ぎ声を止められなくなる。卑猥な水音とリノの甘い嬌声とビクトルの荒い息遣いが部屋を満たしていた。
「あっ、あっ、ビクトル……っ」
ちゅうちゅうと吸われるたびに、甘い痺れが背中を走り抜ける。下半身に熱が溜まり、性器は触れられぬまま体積を増していく。
「美味しい、リノのおっぱい……食べたい……」
ぱっくりと口に含まれ、やわやわと甘噛みされる。
「や、あっ、あんっ」
「こっちも、美味そう……」
もう片方も同じように柔らかく食まれ、ねぶられ、吸い上げられる。
リノの胸元は唾液でべとべとで、乳首は腫れたように赤く尖り、荒い呼吸に合わせて揺れるその光景は酷く卑猥だった。
リノを見下ろすビクトルの頬は紅潮し、瞳は情欲に濡れている。息を乱し、獲物を狙う肉食獣のような視線に彼の興奮が伝わってきた。
ビクトルは欲情している。
こんな、みっともないリノの体に。ぷくぷくと太って、肉がつき過ぎて見苦しいリノの体に。
ビクトルは嘘をつかない。
リノに対する「可愛い」という言葉も、彼の本心なのだ。
彼は本気で好きだと言ってくれている。
本気で、リノと結婚したいと言ってくれたのだ。
改めてそれを実感する。
「好きだ、リノ」
囁きと共に口づけが落とされる。
リノはキスを拒まない。けれど、彼の言葉にはなにも応えられなかった。
そしてビクトルもリノの気持ちを訊かない。尋ねないし、無理に言わせることもない。
ビクトルはとてもまっすぐに、自分の気持ちを伝えてくれる。
それに応えられない自分が、申し訳なかった。
リノは自分の気持ちがわからないのだ。
もちろんビクトルのことは大好きだ。でもその気持ちが友情なのか恋愛的な愛情なのかわからない。
ビクトルにキスされるのも、触られるのも嫌ではない。でも、それが彼を恋愛的な意味で好きだからなのか、友情の延長なのかわからない。
ビクトルとはこれからもずっと仲良くしていきたいと思っている。ずっと一緒にいたいと思っているのは確かなのだ。でも、それが友達としてなのか恋人としてなのかわからない。
自分の気持ちなのに、リノにはわからないのだ。
わからないから、応えられない。
拒まないのに応えられないなんて、あまりにも中途半端で不誠実だ。
けれどそのことをビクトルは責めない。なにも言わない。
それに甘え、リノはズルズルとこの関係をつづけていた。
そして十六歳になる年に、二人は魔法学校へ通うようになった。
二人の関係は変わらないが、周りの環境は随分と変わった。
ビクトルは優秀な生徒だった。成績はトップクラスで、魔法の才能があり、新しい魔法を生み出し、周りから持て囃されていた。無愛想なのは幼い頃からなにも変わらないが、周囲の彼への評価はガラリと変わった。ビクトルの精悍な顔立ちと均整の取れた男らしい体つきに女性は魅了され、彼はモテモテだ。
それに引き替え、リノは成績は普通で特にこれといった取り柄もなく、肥満体型の平凡な容姿をしている。
にもかかわらず、ビクトルはリノにべったりだ。リノ以外とは殆ど口を聞かず、全く関わろうとしない。
少しでもビクトルのお近づきになりたいと願う生徒達は、リノの存在を妬むか利用しようとするかのどちらかだ。
校内でビクトルが傍にいないときは、必ずと言っていいほど絡まれた。
「だからー、もうビクトル様に近づくなって言ってんのよ!」
今日もまた、リノは校舎裏で一人の女子生徒に絡まれていた。
「で、でも……」
「あんたみたいなデブが傍にいたら、ビクトル様の価値も下がるの! 自分がビクトル様に相応しくないって、言われなきゃわかんないわけ!?」
「その……」
きつい言葉をぶつけられても、リノは戸惑うばかりだ。今まで相応しいとか相応しくないとか考えたことがなかった。ただ一緒にいたいからいただけだ。
「おい」
突然かけられた低い声に、リノと女生徒は弾かれたようにそちらへ顔を向ける。
ビクトルが、怒りを孕んだ双眸でこちらを睨み付けていた。こちらを、というより女生徒を、だ。
「お前、今、なんつった?」
低い、殺意すら感じさせるビクトルの声音に、女生徒の顔はみるみる青ざめていく。
「なあ、リノに、なにを言ってたんだって訊いてんだよ」
「あ……」
ビクトルは無表情だ。淡々とした口調は、怒鳴り声より怖かった。
恐怖に震えなにも言えない女生徒を見て、堪らずリノは声を上げる。
「ビクトル!」
名前を呼んで、彼のもとへ駆け寄る。
「ビクトル、もう用事は済んだんだよね?」
「ああ」
「じゃあもう帰ろう、ね?」
必死に制服の裾を掴んで促すと、ビクトルは「わかった」と言って踵を返した。もう女生徒には見向きもしない。
「ビクトル、あの子になにもしないでね?」
「…………」
「僕は全然平気だから、あの子を責めるようなこと、言わないで……」
「あの女を庇うのか?」
「それもあるけど、ビクトルに誰かを傷つけるようなことしてほしくないんだ」
「…………」
「お願い、ビクトル」
「…………わかった」
ビクトルが頷き、リノはほっと胸を撫で下ろす。
ビクトルは女性にも容赦がない。リノ以外をどうでもいいと思っている。
今回のようなことはもう何度もあった。
リノに暴言を吐いたり、リノを利用しようとする者をビクトルは許さない。
それでもビクトルのファンは減らなかった。寧ろ余計に、リノに代わって彼の傍にいたいと望むようになる。ビクトルの特別になりたいと願い、邪魔なリノをどうにか排除できないかと考える者は多かった。
そしてそういう者達を、ビクトルは本気で消そうとするのだ。ビクトルが行動に移す前にリノが宥め賺し、どうにか事なきを得ていた。
そんなことがありながらも、ビクトルと共に過ごす学校生活は楽しかった。
ビクトルとの関係は変わらない。ビクトルはリノを抱き締め、キスをして、好きだと告げる。リノはそれを拒まず、なにも言わない。
自分の気持ちが未だにわからない。ビクトルのことを好きだし、一緒にいたいと思う気持ちはずっと変わらない。彼のことを恋愛的な意味で好きなのではないかと思いはする。思うのだけれど、果たして本当にそうなのだろうかと疑う気持ちもある。友情を履き違えていたらと思い、なにも言えなくなってしまう。
そしてそれを、リノは後悔することになる。
ビクトルが隣にいることが当たり前になっていた。彼はずっと傍にいてくれるのだと、傲慢にもリノは思い込んでいた。だから、いつまでもうじうじと悩んで答えを出さなかった。
しかしある日突然、二人の関係は崩れた。あっさりと、前触れもなく。
ビクトルが怪我をして病院に運ばれた。
家でのんびりしていたリノは母親にそれを知らされ、急いで病院へ向かった。
病院にはビクトルの両親がいた。ビクトルは階段から落ちて頭を強く打ったのだと教えてくれた。幸い命に別状はないとのことで、リノは深く安堵した。
彼の両親と共に、ベッドの上で眠るビクトルの姿を見守る。
頭に巻かれた包帯が痛々しく、リノは胸が詰まる思いだった。
やがてビクトルは目を覚ました。
両親は涙を浮かべて喜んだ。混乱するビクトルに、経緯を説明する。
リノは一歩下がった場所でそれを見ていた。
ビクトルが目を覚ましてくれてよかったと、心の底からほっとした。リノの目にも、じわりと涙が滲む。
「心配して、リノちゃんも来てくれたのよ」
ビクトルの母親が、そう言ってリノの背をそっと押した。
促されるまま、リノはベッドに近づいた。
「ビクトル……」
笑顔を見せるリノを目に映し、ビクトルは眉を顰める。
「お前、誰だ?」
それが自分に向けられた言葉なのだと、リノは信じたくなかった。
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