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第8話
8.
気付かなければ良かった、と思う感情に気付いてしまった時、人はどうやってこの感情と向かい合うんだろう? 知らないままだったら一番いい。でもその感情に気付いてしまったら?
俺はすごく不器用だから、どうしたらいいのか、その方法を見つけられない。
あの日、俺は気付かなければ良かった感情に再び巡り会ってしまった。
一度目は、二度と会う機会もないだろうから、と無理矢理心の奥底へその感情を押し込んだ。それで何とかやり過ごすことが出来た。
でも、二度目は無理だった。
溢れる思いを止める術が分からず、そして、その気持ちをどこへ向けたらいいのかも分からなくて、気が狂いそうだった。
『きみはね、俺の初恋の人に似ているんだ』
どうしてあんなことを俺に言ったのだろう?
その言葉はまるで呪いだった。
忘れようとすればするほど、心の中に刻み込まれて忘れることが出来なかった。
――こんなの、ずる過ぎるだろ?
俺は思い出すたびに、胸が締め付けられるような痛みに襲われた。
あの人は、自分が二度と俺に会えないと知ってて、あの言葉を口にしたのに違いない。そして俺が一生その言葉を忘れられないのも分かっていたんだ。
――俺も……あなたが好きでした。
気付くのが遅すぎた。
俺は馬鹿だ。なんで、どうして、もっと早く気が付かなかったんだろう? あの人と過ごした短い時間。その中で、いつの間にか生まれていた感情。俺はその気持ちに、二度と会えなくなるその時まで気付かなかった。
もう少し早く気付いていたら、違った結末があったのだろうか? ……いや、それはなかっただろう。例え俺があの人に自分の気持ちを伝えていたとしても、彼はやはり俺の前から永遠にいなくなっていた。
それでも、伝えずに終わるよりは、伝えて終えることが出来たら良かったのに、と思う。いつまでも消えない苦々しい後悔だけが心の中に残る。
『あいつは、俺を待ってる』
香山先生がそう言った時の悲しいけれど、どこかホッと安堵したかのような表情が忘れられない。きっと待っているのは、先生の初恋の人なのだろう。先生の初恋の人は、あの人を連れ去ってしまった。遠い遠い、俺なんかじゃ手が届かないぐらい、遠いところへ。
――いつかまた、どこかで会えますか?
窓の外はいつも雨。
優しく柔らかく、包み込むような雨音がいつまでも耳元で響いている。
『ああ、お前が望むのなら、いつかどこかでまた会えるよ』
まるで雨音のように心地良いあの人の声が、今も変らず記憶の中でリフレインする。
甘い思い出と共に。
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