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第1話

1.  いつだったのだろう? 彼の存在に気が付いたのは。桜が舞う春の朝? 新緑が眩しい若葉の季節? 雨が止まない梅雨の放課後だっただろうか? それとも、蒸し暑い夏の登校日での出来事?  ……いや、あれは、木々の葉の色が変り始めた初秋の登校時間のことだ。  涼しい風が吹き始め、制服が夏服から合服に替わったあの日。昇降口であいつを見かけた。上半身を曲げて、スニーカーを上靴に履き替えるその姿に、なぜか突然目が留まったんだ。長めの前髪が覆い被さって、顔を半分隠している。髪の毛から覗いた肌は真っ白で、まるで幽霊みたいだと思った。そう思ったら目が離せなくて、黒々とした艶のある髪の毛も、ブレザーの袖から覗いている白く細い手首も、なんだかこの世の人のものではないように見えてきた。そして彼はどこか影が薄いとでも言うんだろうか? 脆いような、触れたら呆気なく散ってしまいそうな、そんな儚い印象をその身に纏っていた。  俺はまるで吸い寄せられるように、いつの間にか彼のすぐ側に立っていた。 「……なに? 何か用?」  じっと黙ったまま側に立っている俺に気付いて、彼は顔を顰めて尋ねてきた。 「あ……ああ、ごめん。何でもない」  俺は我に返って、自分のシューズロッカーに移動した。彼は何事もなかったかのように、こちらを振り返ることもなく、その場を立ち去っていった。  彼の名前が池永馨(いけながかおる)、と知ったのは、それから間もなくだった。  登校時間にたまたま昇降口で出くわした友人が教えてくれたのだ。 「おい、香山(かやま)知ってるか? あいつ」  隣で靴を履き替えていた山下が、俺を肘で小突いて言った。 「……誰?」 「あいつだよ。2組の池永馨」  俺の視線の先に、あの時の彼がいた。 「池永……馨?」 「1年の時、ほとんど学校来てなかっただろ?」 「……そうだった?」 「そうだよ。何かの病気なんだって。2年になってからも、よく休んでるけど」 「ふうん……そうなんだ。それで、何?」 「いや、香山知ってるかなって思って言っただけ」 「あ、そう……」  山下は俺の返事を全部聞かずに「今日さ、俺バイトないんだけど、帰りにポテト食っていかねえ?」と、元気に言った。今まで話題にしてた池永のことなんて、すでにすっかり忘れ去っているようだった。  だけど、俺の目は彼に釘付けになっていた。 ――あいつ、池永馨って言うんだ……  それが彼、池永馨という人物をハッキリと自分の中で認識した最初の日だった。

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