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 オリオン座を出て目の前にあるバス停からバスに揺られること二十分。そこから歩いて十分ほどの所に俺の家がある。まさに猫の額ほどしかない庭付きの二階建て住宅は、そろそろリフォームが必要な年月が経っていた。 「家族が家にいるっていいね」  玄関から漏れる明かりを見て、ルカは微笑んだ。  俺にとっては当たり前だけど、家族から離れ、遠い国で一人で生活しているルカにしてみれば羨ましいことなのかもしれない。代わりになれるかはわからないけど、今夜は少しでも家庭の温もりを味わわせてあげようと心に誓った。  ドアを開けると、ただいまを言う間もなく、よそいきの恰好をした母が出迎えにきた。 「いらっしゃい。狭い所だけど、どうぞ上がって」  夜中なのにばっちり化粧して上品ぶっているが、抜け目なくルカを観察している。これじゃ、ルカの親衛隊とたいして変わらない。 「おじゃまします」  遠慮を見せつつも、ルカは用意されていたスリッパに足を通した。  母に案内されて居間に入ると、テーブルを挟む形でソファが並べ替えられていて、奥に二人、手前に二人ずつ座れるようにしてある。テーブルには酒とつまみが並んでいた。  ソファで寛いでいた父が手招きしてくる。こっちは普段どおり部屋着でほっとした。 「よく来てくれたね。さ、座って座って」  と、自分の隣りにルカを呼んだ。  俺は仕方なく、ルカの向かいに腰を下ろした。母はその隣りだ。 「未成年じゃないんだよな。日本酒はいけるかい? それとも、ビールの方がいいかな?」 「日本酒で大丈夫です。父の相手をして飲んでいたので」 「そりゃあ、頼もしい。どうぞ、一杯」  父が清酒を差しだすと、ルカはグラスを両手で持って受けた。 「いただきます」  心配する俺をよそに、ルカは実にいい飲みっぷりを見せ、益々父を喜ばせた。  下戸の母はジュースを手に、俺に小声で話しかけてくる。 「あんたが言ってた以上にかわいい子じゃない。母性本能くすぐられるわ」 「息子にそんな生々しいこと言わないでくれよ」  呆れながら、つまみに手を伸ばす。夕飯は済ませていたけど、深夜過ぎれば腹はすくものだ。俺は飲むよりも食べる方に回った。 「ルカくんのお父さんは、日本で暮らしていたのかい?」  酒を酌み交わしつつ、父はルカと会話を進めた。 「はい。三十歳の時にイギリスに転勤になったんです。その頃には母も俺もいて、家族で移住を決めました。母の地元に近い町だったので、向こうの祖父母は喜んでましたね」 「ねえ。ルカくんは、ご両親のどちらに似たの?」  母は身を乗りだし気味にして、会話に割って入った。俺は横で頭を抱える。 「母に似てるって、よく言われます。若い頃にそっくりだって」  だろうな、と内心で頷く。 「美人でしょうね。ルカくんがこんなにきれいな顔してるんだもの。私もハーフの子が欲しかったわ。こんな、いかにも日本男児の息子じゃなくて」 「悪かったな」  と、俺と父の声が揃った。  ルカは控え目に笑い声をあげた。 「だけど、ご両親は寂しい思いをしてるんじゃないか。兄弟はいないんだろ?」 「はい。俺一人です。でも、学校を卒業すれば自立するのは当たり前だし、日本は知らない国ってわけじゃないですから」 「じゃあ、恋人はどうなんだい? もてるだろうから、いないわけないだろ」  調子に乗ってプライバシーに踏みこむ父を止めるべきなのはわかっていたが、俺も尋ねたことはなかったんで、つい耳を傾けてしまった。 「いたら一人で日本に来てないです」  ルカは笑って、そう答えた。 「まだ若いんだから色々経験したいわよね。司なんてガールフレンドできても全然紹介してくれないし、気づくと別の子に変わってたりするんだから参っちゃう」 「母さん」  いきなり何言いだすんだ。酒も飲んでいないのに酔っ払ったみたいに。 「今アタックしてる子とはどうなってるの。十七歳の子だっけ?」  前を見ると、ルカと目が合った。なんとも言えない表情を浮かべている。 「お、俺の話なんてどうでもいいだろ。それより、ルカを早く解放してやってくれよ。明日が休みだからって、夜通し付き合わせるわけにはいかないんだから」  両親に釘をさすと、二人共、謝りながらも再び来客に関心を戻した。  酒宴が続く中、ルカは嫌な顔ひとつせず、父と母の相手をしてくれた。俺は申しわけないと思うと同時に、なんていい奴なんだろう、と更にルカが好きになった。まったく、顔も性格もいいなんて完璧すぎる。  結局、俺達が解放されたのは深夜二時近くだった。  先に入浴を済ませてもらったルカが部屋に入ってくる。貸してあげたスウェットは少し大きいみたいで、袖も裾も余っていた。 「湯船に浸かれるって幸せ。アパートだとシャワーで済ませちゃうから」  にっこり笑う顔が、ほんのり色づいていた。髪の毛はサラサラで、乾かした後、ちゃんと梳かしているんだろう。生乾きのまま放ったらかしの俺とはえらい違いだ。 「本当にベッド使っていいの? 俺がそっちでもいいよ」  ルカは床に敷かれた布団を指差す。 「いいって。母さんが全部取り換えてくれたんだから、安心して使えよ」 「別に気にしなかったけど、司のなら……」  言うが早いか、ルカは隠れるようにベッドに潜ってしまった。 「冷めないうちに、お風呂入った方がいいよ」  鼻から上だけ覗かせたルカに促され、俺は風呂場へ向かった。きれいに使ったと見え、とても二番風呂とは思えない。お湯も足してくれたようだ。  肩まで浸かって疲れた身体をほぐしていると、脳裡に、数十分前のルカの姿が浮かんできた。色白の素肌は、きっと、しみひとつなくてきれいなんだろうな。 「バカ。どんな想像してんだ」  声に出して言った後、勢いよく顔にお湯をかけた。  パジャマ代わりにしているジャージで自室に戻った時には、ルカは寝息を立てていた。電気が点いたままで眠れたなんて、相当気を遣っていた証拠だ。  俺は静かにベッドの傍にしゃがむと、ルカの顔をみつめながら「ごめんな」と謝罪した。するとルカは身じろぎし、眉間にシワを作って口を開く。 「ソーリー、マム……、ダッド……」  そう聞こえた。ホームシックにさせてしまったのか。  今にも泣きそうな顔を見ているうち、無意識に手が伸びていた。 「大丈夫だよ、ルカ」  細くて柔らかな髪を優しく撫でる。母性本能が男にもあるとは思わなかったけど、この時はそういう気持ちが湧いてきた。  安心したのか、次第にルカの口元は笑みへと変わっていった。

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