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 十月最後の日曜日は、少し肌寒かったにもかかわらず、見事な秋晴れのせいで人出が多かった。電車を乗り継いで到着した江の島にもかなりの観光客がいて、島への橋を渡るのも時間がかかる有り様だ。 「両手に花っていうの、一度やってみたかったんだあ」  今日のデートを企画した本人は、俺とルカの腕を取ってご満悦らしい。行き交う人々の注目を一身に浴びていた。 「それって逆じゃなかったっけ? 男の人が真ん中で、女の人を両端につれてるんだよね?」  坂井ちゃんの頭越しに、ルカが訊いてくる。 「細かいこと気にしないの」  俺が口を開く間もなく、坂井ちゃんが答える。 「ルカは真面目すぎるんだから。今日は羽目を外して、思いっきり楽しまなくちゃ」  どう見てもそういう本人が楽しむ気満々だ。俺はルカと苦笑して、互いにエスコート役を務める覚悟を決めた。  坂道を登る間には、いろんな店があって目移りしてしまう。そのひとつ、タコを丸々押し潰してせんべいにする店の前で、音に驚いたルカが立ち止まった。 「動物の鳴き声かと思った」  正体を知って、ほっとしたように言う。  どうせならと、俺は一枚ずつ買うことにした。食べながら、再び歩き始める。 「食べきれないかも」  大人の顔よりでかいタコせんを半分片付けたところで、ルカが音を上げた。坂井ちゃんは残り二口くらいで、俺に至ってはとうに胃の中だ。白状するなら、今朝は緊張のあまり何も喉を通らなかったから、今になって火が点いた。 「俺が食べようか? 昼飯に支障が出ても困るだろ」 「かっこいいー、つかっちゃん」  からかう外野を無視して、ルカの方へ手を差しだす。 「でも、口つけてるし……」  ためらう手から、せんべいを取り上げた。 「ルカのなら気にしないよ」  事実そうだったから、俺は構わずせんべいをかじった。他の奴のなら金をもらってもお断りだけど。  そんな俺の行為に、ルカは例のはにかみの表情を浮かべた。軽く下唇を噛む仕種が、着ている淡いピンクのパーカーとの相乗効果で愛くるしい。つくづく生まれてくる性別を間違っていると思った。  それから俺達はエスカー(という名のエスカレーター)で上まで行き、展望台へ昇った。一面を海に囲まれた島とその周辺の街並みを見下ろして、ルカは顔を輝かせ、小さく歓声を上げる。 「つれてきてあげて正解でしょ」  ルカに見とれていた俺に、坂井ちゃんが囁いた。彼女がはしゃいでいたのは最初だけで、それは、変に固くなっていた俺の緊張をほぐそうとしてだったのだと今ではわかっている。 「頭が上がらないよ。もっと早くこうしてればよかった」  嬉しそうなルカをみつめながら呟く。考えてみたら、ルカがどこかへ遊びに出かけるのはこれが初めてのはずだ。付き合いがあるのは俺と坂井ちゃんだけだという話だから。 「ルカ、昼は何食べたい? 俺がおごるよ」  喜ぶ顔がもっと見たくて、そう声をかけた。 「本当? えー、何にしようかな」  子供みたいに真剣な顔で悩む姿に、俺は微笑んでいた。  名物を堪能し、土産も手にしてすっかり疲れきった頃には、太陽も半分顔を隠していて、あれだけいた人々もまばらになっていた。  駐車場近くにある公衆トイレで二人を待っている間、俺は自販機で温かい缶コーヒーを人数分買って、先に出てきた坂井ちゃんに渡した。 「ありがと。もらっておくね」  何故かコーヒーを土産袋にしまう。 「私はここで退散します。後は二人でうまくやってね。じゃ!」 「ちょっ、坂井ちゃん!」  坂井ちゃんはあっという間にいなくなってしまった。参ったなと思う間もなく、ルカが出てくる。事情を話すと、その顔がくもった。 「坂井ちゃんは本当にいい人だよね。なのに、俺は……」 「えっ?」 「なんでもない。コーヒー、ベンチに座って飲もう」  ルカと一緒に下へ降り、海が見渡せるベンチに並んで腰かける。釣り糸を垂らしていた人達も消え、いるのは俺達を除いて野良猫だけだ。  急に二人きりにされたせいで、口を開くのが難しくなった。コーヒーを飲むのもままならず、両手でもてあます。 「社会勉強なんて嘘なんだ……」  ルカが、ぽつりと言った。缶のプルトップは上がっていたけど、口をつけているかはわからなかった。それを脇へやる。 「逃げてきたんだ。俺を知る人が誰もいない所がいいと思った。それで、日本に来たんだ」 「逃げるって、何から」 「いいなと思ってた人。それから、両親」  そういう相手がいたことに改めてショックを感じたけど、それより、普段と違うルカの様子の方が心配だ。どこか自暴自棄な態度だったから。 「何もかもが嫌になっちゃって、すべてを投げだしたくなった。それで、ありったけの貯金かき集めて後先考えずにここまで来ちゃったんだよね」  予期せぬ告白に、俺は戸惑った。一体、何をしてそうなったのか検討もつかない。 「訊かないの? 何が原因だったか」  俺の目を見て、ルカは尋ねた。 「話してくれるなら。いや、話したいなら聞く。でも、嫌なら言わなくていい」  ルカは弱々しく微笑んだ。 「優しいね。司らしい言い方……」  声すらもか細くて、ルカがどこかへ消えてしまいそうな気がした。それどころか今までのすべてが夢で、実際には存在しないのかと。それを打ち消したくて、俺はルカの頬に片手を当てた。そして、揺れる瞳に吸いこまれるように唇を合わせた。  ほんの一、二秒だったと思う。ルカは、そっと俺の胸を押し、こう呟いた。 「もう、帰ろうか」  キスした後に切なさを覚えたのは、これが初めてだった――。

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