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昨夜は着替えもせずにベッドに倒れこんだ後、あの入れ墨が頭から離れなくて、ちっとも眠くならなかった。どうしてあんなものを彫ったのか。しかも外見と全然、似合ってない。それをひた隠しにしていたのも許せない。裏切られた思いで胸がむかむかした。ようやく眠れたのは朝方だったから、母親の怒鳴り声で起こされた時は昼近かった。
「何回呼んだら起きるの!」
痺れを切らしてやって来た母が、乱暴にドアを開け放った。
「休みなんだから、好きなだけ寝かせてくれよ」
布団に顔を埋めようとするが、容赦なく引っ剥がされる。
「ルカくんから電話よ。さっさと出なさい」
今はその名前すら頭痛の種だ。
「いないって言ってくれ」
「ふざけたこと言ってないで、いいから出なさい。いつもなら、すっ飛んでいくくせに。一体どうしたっていうのよ」
「わかったよ。出ればいいんだろ」
母親を恨みつつ渋々ベッドから離れ、一階へ下りた。重い受話器を取り上げ、耳に当てる。
「司? 夕べはごめんね。でも俺、どうしても、あのままにしたくなくて」
それ以上は相手に言わせず口を挟む。
「俺に考える時間をくれないか。しばらく距離を置いた方がいいと思うんだ」
淡々と言う。
ルカは少しの間を空けて「わかった」と電話を切った。
ため息をつき、もう一度寝ようとしたけど、すっかり目が覚めてしまった。遅い昼食を摂った後、部屋で天井を見上げているうちに、いつの間にかうたた寝していたところを再び母親に起こされる。
「今度は何?」
うんざりして訊くと、母はにんまりと笑ってみせた。
「坂井さんって女の子が会いたいって来てるわよ」
紹介しろとせっつく母親を無視して、俺は玄関へ向かった。坂井ちゃんが家に来たのは初めてだ。硬い表情で立っている。
「二人きりで話したいことがあるんだけど、いい?」
有無を言わせない坂井ちゃんと一緒に、近くの河原まで来た。土手に腰を下ろして、流れる小川を眼下に、小鳥のさえずりを聞く。こんな状況じゃなきゃ、のどかでいい眺めなのに。
「話ならわかってるよ。ルカのことだろ」
俺は先手を打った。
「ルカもいい性格してるな。早速、坂井ちゃんに泣きつくなんて」
「何その言い方。つかっちゃんらしくない」
坂井ちゃんの顔に嫌悪が浮かぶ。俺を好きだったとしても、完全にその気は失せただろうな。
「ルカからは何も聞いてないよ。仕事中に様子が変だったから、つかっちゃんとケンカでもしたのかと思って確かめにきたの。どうやらそのとおりみたいね」
「坂井ちゃんもひどいよな。ルカのでっかい入れ墨のこと知ってたんだろ。どうして教えてくれなかったんだよ」
「入れ墨じゃない。タトゥーだよ。日本と違って海外ではファッションの一部で――」
「どういう言い方しようと、消えないのは一緒だろ」
俺は苛立たしげに右手を振って遮った。
「あんなのあったんじゃ、温泉に入りたがらないはずだよな。泳ぎにも行けないか」
「つかっちゃん。まさか、ルカにもそんなこと言ったんじゃないでしょうね」
「言ってないよ。ショックで、ろくに口もきけなかったからな」
吐き捨てるように言った。一晩経っても怒りは収まっていないようだ。
「ショックなのは、わからなくもないよ。でも、ルカのこと好きなんでしょ。好きなら、どんなことも受け入れてあげなきゃ」
「次元が違うんだよ、坂井ちゃん。好きだった男の名前まで彫ってあるんだ。そんな相手と付き合っていけるほど、俺は寛大じゃない」
俺が言い終わるか終わらないかのうちに、強烈な平手打ちが飛んできた。
目に涙を溜めた坂井ちゃんが立ち上がって全身で叫ぶ。
「最低‼ 誰よりも後悔してるのはルカ本人なんだよ‼ 信じてた人に裏切られて、凄く傷ついて。それなのに、つかっちゃんは突き放したんだね。あれだけ好きだって言ってたくせに‼」
坂井ちゃんは一旦、目元を拭った。それから、また言い放つ。
「結局、つかっちゃんはルカの表面しか見てなかったってことだよ。見た目だけで判断して、勝手に理想を押しつけてただけ。そんな人だと思わなかった。もう口もききたくない」
くるりと背を向け去っていく。
一人残された俺は、悔し紛れに小石を掴んで川に投げた。
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