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伊勢ちゃんち
(付き合いたて)
高岡さんと付き合うことになって一番衝撃的だったことは、もっとも当たり前のことだった。
「高岡さんて性欲あるんすね……」
「……ないとでも思ってたのか」
俺の部屋に遊びに来てアルコールを煽る、目の前の人との関係は大学の先輩後輩、から、恋人に変わった。来月にはこの部屋を引き払い、高岡さんの家に転がり込むつもりでいる。こういう関係になってから、はじめて気づいたことや知ったことはいくつもあったが、中でも『それについて』は、特に強い衝撃をもたらした。
「だって、飲みの席とかで下ネタの話題になっても高岡さん絶対入ってこないじゃないですか。だから興味ないのかなーって」
「あー。まあ、AV女優の話とかノーマルのあるあるみたいな話分かんねぇから。でも性欲はあるよ。全然ある」
「いや、今ならわかりますよ。でも前はそんな風に見えなかったしそういう話苦手なのかと思って避けてたんですよ」
「じゃあ今からしよっかそういう話」
「え……いや別にそういうことじゃないんですけど……」
昼間にそれぞれのバイトをこなし、その後落ち合った俺たちは、スーパーで安い酒と惣菜を買い込んでこの部屋へ来た。高岡さんが小さな声で「伊勢ちゃんち行きたいな」とつぶやいたとき、俺はちょっとどきっとしてしまった。そのくらい「恋人の顔をした高岡さん」に、まだ慣れていない。それなのに高岡さんときたら。
「伊勢ちゃん最近いつオナニーした?」
「まじでその話するんですか?」
「いつ? この部屋でしたんだよね」
「ほんとマイペースですよね高岡さん」
「いつ?」
「しつこいな! えーっと……あー、昨日の夜ですかね」
「思ったより最近だったな。バイト終わって帰ってきてから? 何時ごろ?」
「え……まあそうすけど。えーっとだから、12時くらい?」
「ほーぉ。12時ね。へえー……」
「……なんすか」
「いや別に。噛み締めてただけ。その前にしたのはいつ?」
「えー……、おとといです」
「えっおとといも昨日もしたの!? 毎日じゃん! やらしいなあ伊勢ちゃんは!」
グラスを片手に、ただの先輩後輩関係の頃には聞いたことがないような単語をバンバン繰り出し、とにかく楽しそうに笑っている。高岡さんの沸点は本当に分からない。急にテンションが上がった高岡さんの、ニヤニヤ笑う顔にいたたまれなくなる。
「ちょっと待ってこういう話なんですか、こういう、根掘り葉掘り聞くみたいな……」
「うん。伊勢ちゃんのこともっと知りたいし」
「思ってたのと違う……こわい……」
「そっか、自分ばっかり話すのもやりづらいよな。まあ俺も昨日したんだけどね。明日伊勢ちゃんに会えるって思ったらテンション上がってきて妄想止まんなくなって、そのまました」
「そ、そーすか……」
思ってたのと違う、というのは例えば、好きなタイプだとかなんだとか、サークルの先輩と酒を飲みながら話すときに盛り上がるような定番の話を、女性に限定せずに話そう、というつもりでいた。しかし、初球から俺をめがけてまっすぐにストレートボールを投げ、あげく自分自身のことさえさらりと公表してしまう高岡さんの前では、何も言えなくなる。
「今週、伊勢ちゃん忙しかったじゃん?」
「あー……まあ、バイトとサークルとレポート期間被ってましたね」
「あんまり会える時間もなかったからさあ、明日は一緒にゆっくりできるんだって思ったら、何しようってすごいワクワクしてさ。もちろん話したいことも行きたいとこも色々あるんだけど、でもやっぱり、付き合ってるわけだし? そういうことも期待しちゃうじゃん」
「……はあ……」
「伊勢ちゃんの身体まるごと抱きしめたいとか、すみっこまで全部舐めたいとか、最後に後ろいじってからちょっと時間経っちゃったから、すんなり入らないかもとか、でもキツくなってるとこを時間かけて指でほぐすのも楽しいなよなとか」
「……っちょ、まって……何の話でしたっけこれ」
「下ネタ」
「え、あー……そうか、間違ってないですけど……」
「下ネタの話題に俺が入ってこなかったのがご不満らしいから、改めてそういう話しようと思ってね」
しまった、何も言えずにいたら、すっかり軌道修正をするタイミングを逃してしまった。スイッチが入ったらしい高岡さんは、俺のリアクションに構わず続けていく。この部屋に入ってきたとき、高岡さんはどこかそわそわした雰囲気をまとっていたのに、いつにない饒舌と堂々とした話ぶりで、イニシアチブを奪っていく。
「少しずつ柔らかくしていくときの伊勢ちゃんの表情とか声の変化を思い出したら、中の熱さも一気に思い出しちゃってさ。想像だけでチンコすげー固くなっちゃって。自分でシコりながら伊勢ちゃんはどんなオナニーすんのか気になったんだよね。そうそう、最近俺がちゃんといじってあげられてないから、後ろキツくなっちゃってるかもって思ってさ。それなら伊勢ちゃんに、後ろ使うオナニーのやり方も教えてあげたほうがいいのかなって」
「な、なんすかそれ」
「後ろに自分で指とかおもちゃいれてオナニーする習慣がつけば、俺と会えないときも気持ちよくなれるじゃん。久しぶりにやって痛い思いさせるのも嫌だし。でも伊勢ちゃん、気持ちいいの好きだしどんどんハマって俺の知らないところで自分で開発しちゃったら、俺の指じゃ満足させられなくなるかもしれないし、それは困るよね」
「ちょっと待ってください、なに『気持ちいいの好きだし』って、決め付けないでくださいよ」
「だってそうでしょ? 後ろでイく気持ちよさ知っちゃったらもう戻れないタイプだと思うんだよね。でも部屋で一人でチンコとアナルいじりながら気持ちよすぎてあんあん言ってる伊勢ちゃんを見たい気持ちもあるんだよね。すげぇ見たいよ。っていうかもうアナルいじってなくてもいいから伊勢ちゃんのオナニーが見たい。別にAVとか女の身体で抜いてていいから、伊勢ちゃんが普段この部屋ん中でどんなタイミングでどんな風にやるのか見たい」
「うわー! もーやめろ怖いわ!」
「……ってことを考えながら俺も昨日してたよ、っていう話」
高岡さんはふいにグラスをテーブルに置くと、じりじりとこちらへ寄ってきた。思わず身構えると同時に、ふと視界に入ったそれに気づく。
「……この話だけで勃起してんじゃないすか……」
「あ、バレた?」
高岡さんが身につけていたのは、カジュアルなスウェット素材のパンツだった。柔らかな生地は、盛り上がった部分を明確にしてしまう。
いまだ慣れない、男の象徴を意識して思わず硬直した一瞬のあいだに、正面から抱きしめられた。自分とは違う煙草のにおいが、体温とともに降りかかる。腰を強く抱き寄せられ、首もとに唇を寄せられ、いよいよ動けなくなった。
「伊勢ちゃんは、考えたことないの?」
笑うときとも、一方的に妄想を語るときとも違う。耳もとにこぼれた声の低さに、こわばった身体がぞくぞくと震える。
「な、なにがですか……っ」
「俺のこと考えながら、したことない?」
「な、ないですよ!」
「ほんと?」
「本当!」
「俺にここ触られる妄想で、興奮してオナニーしちゃったことないの?」
高岡さんの手が下に伸びていく。中央をぐっと掴まれ、何も言えなくなる。下着の中に手を差し込まれ、直接握りこまれたらあっという間にそういう空気に飲み込まれた。
「っふ……」
「あれ……ちょっと触っただけですぐ勃っちゃったね、昨日もおとといもしたんじゃなかったの?」
「う……」
「先っぽくちゅくちゅしてるよ、やらしいなあ」
「……っ……」
「……ベッドあがる?」
「あ、はい……」
服を脱がされ、いつも眠っているベッドに素肌のまま仰向けで寝転がる。高岡さんは驚くほど周到で、いつの間にかローションやコンドームを用意していた。俺はほとんど何もしていないまま、後ろに指先を添えられ、ああ、受身ってこういうことなのかと実感した。
「あー……やっぱ狭いね」
「んっ……、っ……」
「すごい、ぎゅうぎゅうで指でも痛いくらい。かわい……」
高岡さんは、行為中のあれこれを逐一言葉にする。だから俺は顔を覆って黙り込むしかなくなる。言い返したい気持ちもあるが、まだまだ慣れないこの行為のあいだ不用意に口を開けば、思いもよらない声が出てしまいそうなので、じっと唇を噛むしかない。
「中あっついね……」
「うっ、……ふ」
「腰ぴくぴく動いちゃってるよ」
高岡さんの言葉から逃げるように、腕で顔を隠す。なぜそうまでして隠さなきゃいけないのかと言えば、それはまあ、なんというか、つまりあれだ、最初は戸惑いばかりだったこの行為が、実際のところ、気持ちよくなってきているからだ。さっきの話の最中に指摘された通りだ、くそ。恥ずかしい。
「入り口のほうが気持ちいい? 奥が好き?」
「っ……、く……っ」
「教えてよ伊勢ちゃん」
正直、最初にこういう行為をしたときは違和感がとんでもなかった。行為が終わってもずっと何かが刺さったままになっているような感覚が続き、授業中ももじもじと落ち着かない。それでも、関係がはじまったばかりの俺たちは分かりやすく高揚していたから、身体の感覚など大きな問題ではなかったのだ。何度も椅子に座りなおしたくなるような違和感よりも、さてこれからの人生をどう生きていくべきなのか、高岡さんの恋人になるということは具体的にどういうことなのか、その問題の方が衝撃が大きく、分かったような分からないような、地に足の着かない感覚にそわそわしていた。
「……中、ちょっと柔らかくなってきたね」
「……ふっ……」
「この感じなら、俺のもすぐ入っちゃいそうだなあ……」
ぐちゅぐちゅと指を動かしながら、高岡さんの息が荒くなっていく。ただの先輩後輩のままだったらきっと一生見ることがなかっただろう表情にも、最初は困惑していた。違和感に慣れて、身体をいじられることに慣れて、興奮した高岡さんに慣れて、その先にあったのは手ばなしの快感だった。『気持ちいいの好きだし』が、偽りでもなんでもないことなんか、自覚したくなかった。
「……大丈夫?」
「う、うるさいっ……!」
恥ずかしさと気持ちよさが喉元ギリギリまでこみ上げて、それでも声を出さないように腕の下で唇を噛んでいた。どうやらその仕草は、高岡さんにとって、痛みや苦痛を飲み下しているように見えたらしい。
「今日はやめとこうか?」
「は、なんで!?」
一気にずるりと指が抜け、思わず身震いしたあとに降りかかったのは思わぬ言葉だった。つい、声を荒げてしまう。
「いや、久しぶりだし、痛かったら無理にしないほうがいいかと思って」
「ち、違いますよ!」
「本当、無理しなくていいからね? 俺は伊勢ちゃんに触ってるだけでも十分だし」
「だから、大丈夫ですってば! 勝手に辞めないでくださいよ、責任とってください!」
「……責任?」
「そうですよ! ここまでしたんだから!」
「…………いいの?」
「いいですよ!」
「そうじゃなくて、そんなえっちなことさらっと言っちゃっていいの?」
「……は?」
ゆらりと大きな影が揺れて、一度引いた高岡さんの感情と熱が、またぶわりと舞い戻る。
「いや、言われなくてもとるけどね、責任。俺の一生かけて責任とるよ」
「え? ……んっ、んあっ!」
熱いものを押し当てられ、ぐっ、ぐっと入り込んでくる圧迫感に、とうとうこらえきれず声が漏れた。初めてのときに比べれば随分慣れたつもりだけど、やっぱりこの瞬間は奥歯を噛んでしまう。高岡さんだって衝動を殺すのは楽じゃないだろうに、荒い息のままゆっくりと腰を動かし、心配そうに声をかけてくる。
「……痛くない?」
「だ、大丈夫です……っ!」
「強がらなくていいからね?」
「うるさ……っ、いっ、から、動いて……っ!」
「……いいの?」
「いいって、言ってんじゃん……! 早く……っ!」
はじめの頃は、挿入後しばらく違和感が続いていた。行為を重ねるごとに少しずつ、違和感の時間が短くなり快感へ変わっていった。そして今、俺はすぐそこに快感が待ち構えていることが分かっているから、生殺しのような時間に耐えられない。
「んっ、あ! あっ!」
「っは、伊勢ちゃん……きもちい……」
「ひぁっ!」
ゆっくりとした動きから、少しずつ激しいものへ変わっていく。奥を圧迫されれば苦しくて違和感がある、はずだったのに、今は頭ぶっ飛んで何も分からなくなるくらいもっと激しくしてほしいと願ってしまう。
「あっ、んっ、んあっ!」
「伊勢ちゃん好き」
「あぁっ! あっ!」
「好き、かわいい、きもちいい、伊勢ちゃん、好き」
責任をとってほしい。人と一緒にいる時間が好きで、女の子が好きで、でも恋愛はめんどくさくて、どこにでもいる大学生の俺がこんな風になってしまったんだから。
「……伊勢ちゃん」
がんがん揺さぶられるさなか、ふいに高岡さんが動きを緩め、シーツに投げ出していた俺の手を握りこんだ。体位を変えるのかと薄目を開いたら、いとしそうな表情で呟く高岡さんと目が合った。
「……気持ちいいね」
目を見て言われたら、無視することもやみくもに否定することもできない。うん、と頷いたとき、身体の内側を貫かれるような快感に襲われた。高岡さんは少しも動いていないのにも関わらず、だ。それからお互いに達するまでの時間、どんどん白くなる頭の端っこで、快感は行為よりも気持ちに依存するものなのだと実感していた。
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行為のあと、特有のだるさに身を任せながら天井を見上げていたら、ふいに高岡さんが口を開いた。
「そういえば伊勢ちゃんさ」
「……なんですか」
「この部屋、壁薄いんじゃなかったっけ」
その言葉は、ぼんやりした頭を正常に戻すのに十分な破壊力を持っていた。そうだ、そもそも俺がこの部屋を引き払って高岡さんの部屋にあがりこもうと考えている理由。金銭面の理由ももちろんあるけれど、関係ないとはとても言えないその事実。
「あっ……!」
「あ、やっぱり素で忘れてた感じ? もう引っ越すし気にしてません、みたいなことかと思ってツッコまずにいたんだけど、俺も気ぃ利かせればよかったごめんね」
セックスが終わるやいなや引き寄せられた現実の残酷さに、顔面蒼白になる俺へ向けて、高岡さんは追い討ちのような言葉をかける。
「声すごいでちゃったもんね、前にシたときよりも気持ちよかったみたいでうれしい」
「ちがっ……!」
「まあでも、俺んちならここよりも壁厚いだろうからうちでするときはもっと声出していいよ。責任とって俺んち連れ込んであげる」
にっこり笑う表情は、ただの先輩後輩だった頃も何度も見ているはずなのに、何かが決定的に違う。惚れた弱みなのかもしれない、お互いに。
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