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付き合う前の高岡さん

「うわっ……」 思わず声が漏れた。慌てて口もとに掌を押し付けたが、考えてみれば一人きりの自室で声を出してはいけないという制約はない。ただ、これから自慰行為をしようという静まり返った空間で、独り言をいうのはなんとなく気恥ずかしい。 「び、っくりした……」 それでも声は漏れてしまう。視線はスマホ画面に注がれたまま。 エロ動画サイトを見ていたら、良さそうな動画があったので再生した。動画の中で秘部をいじられ、困惑の甘い声を上げている男の顔がアップになった。 伊勢ちゃんかと、思ったのだ。 「……んなわけねーだろ……」 動画の中、困惑気味だった男の子の声が徐々に上擦っていく。次いでモザイクのかけられた部分のアップになり、それでもわかるくらいに鮮明に、指先が根元まで飲み込まれているところが映しだされる。ゆっくりと指先が動き出しやがて速度を上げ、画質の荒い画面に激しい動きの残像が取り残される。 もう一度男の子の表情が映しだされる。眉を寄せ、口をいの字に開いて歯を噛みしめ、快感に悶えている。よく見ると鼻筋が立派だし眉も太いし詳細は似つかない。しかし目を細めれば、やっぱりなんとなく面影があるように見えた。途端に腰がしびれた。 「……はっ……」 息が上がる。いまだボトムに押し込まれたままの股間が痛くなり、急いでベルトを外しチャックを下ろした。取り出した性器は、普段よりいっそう固くそそり立っていた。 画面が切り替わる。今度は挿入のシーンだった。正常位で挿れられた男の子は、揺さぶられながらすがるように、サングラスをかけたタチ役に手を伸ばしている。手のひらを重ね合わせてつないだ姿勢で、顔から結合部まで全てが収まる引きの画面になると、その想像は途端にリアリティを持ってしまった。男の子は飾りすぎない、甘い声を上げている。 「あっ、あっ! 高岡さんっ」 幻聴だ。それは幻聴に違いない。しかし今俺は、幻覚の世界にいるのだ。幻覚の世界で自慰をしているのだ。 「あっ、あっ、きもちいっ、きもちいいっ!」 動画の中の男の子は伊勢ちゃんの声より少し高い。でも伊勢ちゃんも、行為の最中は普段とは違う声を上げるのかもしれない。こんな風に高く喘ぐのかもしれない。 頭の中が一気に熱くなって、勢いのまま右手を動かす。こんな風に伊勢ちゃんの背中や、鎖骨や、太股の内側や、腋の下や、そんな部分が見たい。舐めたい。触りたい。性感帯を一つでも多く知りたい。内側の感触が知りたい。泣かせたい。泣きながら名前を呼ばれたい。すがりついて泣いて喘いで俺の名前を呼ぶ伊勢ちゃんが、俺のせいで身体を作り変えられてしまった、かわいそうな姿を見たい。 「ん、あっ……!」 達するタイミングを掴めなかった。自分が夢中で右手を動かしていたことを知るのは、いつでも達した後だ。久しぶりに、声が出るほどのめりこんでしまった。精液を拭き、動画を消して布団に寝転んだ。 「……なにやってんだ俺は……」 後輩を自分勝手に犯す妄想でオナニー、最低だ。中学生か。同性への好意をむやみに否定する幼さはないけれど、こんなに分かりやすい形で肉欲に変わってしまうと、迂闊に自分を許容できなくなる。 セックスがしたいわけじゃない。いつか付き合えるなんて夢は抱いていない。それでも右手が動いてしまうのを止められなかった。 しばらく茫然と寝ころんだままでいると、先ほど放り出したスマホが鳴った。射精後の気だるさの中、ろくに画面を確認せずに通話ボタンを押してしまった。 「……はい」 『あ、もしもしー? 高岡さん今なにしてますかー?』 むせ返りそうになった。当然のことながら俺の身勝手を知らない伊勢ちゃんの声は、呆けた脳によく響いた。爆発しそうな鼓動を押さえ、あくまで平常心、というような声を絞り出す。 「ん……ど、どうしたの?」 『俺いまバイト終わったんすけどー、こないだ高岡さんに本貸してもらおうとして忘れてたの思い出してー、もし高岡さん暇だったら、今から取りに行ってもいいですか?』 「……今?」 身体を起こして部屋を見渡した。掃除をしていない部屋は散らかっているし、何より布団の横には精液のついたティッシュが転がっている。 「ご、ごめん……今はちょっと……」 『あ、いや、そうですよね。こっちこそすいません急に言い出して』 「本当ごめん……」 『いやいや全然大丈夫なんでまた今度!』 会いたくないわけではない。むしろ会いたい、めちゃくちゃ会いたいけれど、火照りの残る身体を持て余した今、伊勢ちゃんに会う余裕があるとは思えなかった。その上自宅に招き入れるだなんて。俺の脳内の構造を知ったら、伊勢ちゃんはさすがに失望するだろう。それならバイト終わりにふと思い出してもらえる、そんな距離を保つ方がよっぽど価値がある。 「……ごめんね……」 ティッシュをゴミ箱に放り込みながら、そう言った。

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