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酔っ払いちゃん
かわいいかわいい恋人は、指先まで真っ赤にふやけきった状態で帰宅した。靴を履いたままドアの方を向いて玄関スペースに座りこみ、あやふやな呂律でつぶやいた。
「たらいま……」
「……大丈夫かよ」
まるくなった背中をさすると、伊勢ちゃんはずりずりと崩れるように床に肘をつき、最後には靴をはいた足を扉に向けたまま大の字になってしまった。熱くなった額に自身の手首をおき、浅い呼吸をくりかえしている。
「ちょ……っとやすませてください」
「休むなら部屋入れよ」
「むり……うごけない……」
「だっこしようか?」
「ん……だいじょーぶです……」
手首をとり、持ち上げようとするものと腕にはいっさい力がない。いちど腕をおろし、となりの冷蔵庫からミネラルウォーターをとりだしてコップに注いだ。
「ほら、水飲んで」
「あいがとーごらいます……」
伊勢ちゃんはもういちど肘をついてすこしだけ身体を起こし、水をちびちびと口に運んだ。そして蒸発したのではと思うほど少量減っただけのコップを廊下にそのまま置き、もういちど倒れこんだ。
「だから飲む量注意しろって言ってんのに」
「そんなには飲んでないですよぉ……」
「じゃーなんでそんなんなっちゃってんの」
「んーなんか……焼酎のポカリ割りとかゆーのを飲まされて……なんかぐらんぐらんしちゃいました……」
「そんなわけわかんねぇもん飲んだら当たり前だろ」
「すげー勢いで回った……」
「そりゃそうだろ」
俺は投げ出された細い腕をまたぎ、玄関にしゃがみこむと伊勢ちゃんの靴を脱がせてやった。先日「買ったばっかなんすよお、高かったんすよお、いいでしょ~」と自慢げに見せびらかしていた真っ白のスニーカーに、どこでつけてきたのか濡れた砂がこびりついていた。あした素面の状態で気づいたらへこむんだろう、たやすく想像できる。
「ねー高岡さん怒んないでよぉ……」
「いや怒ってはないけど」
「怒ってる……こわいもん」
スニーカーを脱がせついでに靴下も脱がせてやる。廊下横に置かれている洗濯機に靴下を放りこむ。その間、伊勢ちゃんはすこしだけ頭を持ち上げ俺の動きを目で追っていた。俺は伊勢ちゃんの枕元に座りこみ、火照った頬に手の甲を添えた。居酒屋の雑踏を想像できそうな熱が甲にうつる。
「あんま無理な飲み方すんなよ、心配になるだろ」
「んん……」
「あんまり、俺のいないとこで変な飲み方しないでほしいんだよ。伊勢ちゃんが潰れて……それで、なにかあっても困るし」
ぼそぼそと喋る声が冷えた廊下にこぼれ落ちる。一枚の薄いドアに隔てられた外は田舎の深夜で、耳をすませば虫の鳴き声さえ聞こえそうな気がする。こういう夜を、ひとりぼっちで過ごすのはよくない。帰りを待ちながら、気だるさと不安ばかりが膨れ上がる。
伊勢ちゃんは俺の手に頬を押しつけたまま、ちら、と目をあげた。
「……なにかって?」
「悪い人にイタズラされちゃったりとか」
「ないですよぉ……」
猫がじゃれて甘えるように、俺の手に頬をすりつける。こういう行動のことを、俺はいま言っているのだ。
「分かんないだろ、伊勢ちゃん酔うとほんと自制心なくなるし」
「たかおかさんだけですよ?」
「え?」
「だから、おれがじせーしんなくなんの高岡さんのまえだけですよ?」
この人は分かっていないと思っていた。そのときすべて分かり切ってますよと伝えるように強気な目で見上げられた。ほんとかよ、とか、そうは言ってもさあ、とか言いたかった。けれど瞳の色に吸いこまれ、俺の思考など価値のないものになる。
身体を折り曲げ、顔を近づける。節々がぴきぴきと音を立ててつりそうな姿勢のまま、キスをした。
「酒くっせ……」
「ん……もっかい……」
脇腹の筋がなんか変なかんじだ。姿勢を正したくて身体を起こそうとすると腕が伸びてきてつかまえられた。唇と舌を通じ、伊勢ちゃんの体内の熱さが俺の中に入り込んでくる。くちもとから広がった熱が、素面のからだを暴れ回る。
「ん、は」
「んぅ……もっかい」
「いや、そろそろやめとく」
「ん……なんでですか」
「えー……」
「なんですかぁ?」
「…………勃ちそうなんで」
伊勢ちゃんから口渡しでもらった熱が下半身に集まりはじめている。伊勢ちゃんはぽかんと俺の目を見たあと、ちらりと視線を下げた。そんなに堂々と見ないでほしい、さすがに恥ずかしい。もういちど俺の目を見た伊勢ちゃんは、わるいたくらみを思いついたように笑っていた。
「勃っちゃえばいいじゃないですかぁ」
酔っ払ってようやく自宅まで帰ってきて、疲れと酔いで倒れこんだあなたのためを思って自制しようとしたって言うのに。伊勢ちゃんはときどきこうやって俺の優しさをぶち壊すから、ああ好きだなあと実感してしまう。
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布団に移動し服をひんむいて唇を滑らせ、奥まった場所を濡らす。乳首にしゃぶりつきながら、濡れた指先でいりぐちを撫でると、期待した伊勢ちゃんの太股がぷるぷると揺れる。
「んー……きもちい……」
「どこきもちいい?」
「ぜんぶ……」
前戯のざわざわした快感にはやくも溺れはじめた伊勢ちゃんを引き上げるために声をかける。伊勢ちゃんはうすく目を開け、乳首を舐めながら目を上げる俺を見た。
「伊勢ちゃんってなんで酒飲むとえっちになっちゃうの? 普段だったら聞いたって気持ちいいなんて言ってくれないくせに」
「んー……高岡さんだからぁ……」
「なにそれ、ナメてんの?」
伊勢ちゃんは単純に、俺をよろこばせるために言ったのだろう。予想外の反応に、一瞬理性を取り戻した目で俺を見あげた。
「え……?」
「高岡さんだけー、とか言いながらさぁ、本当は誰にでもやってんじゃねぇの?」
「そ、そんなわけないじゃないですか……!」
「ほんとか?」
「ほんとですよ……!」
きっと真理はそちらにある。酔っ払って男でも女でも先輩でも後輩でもわかんなくなる伊勢ちゃんはたしかにいつもよりガードがゆるくなるけれど、だからセックスに及んでしまうなんてそんなわけはない。
簡単なことがさっきまで分からなかったのだ。さっき、伊勢ちゃんがあやふやな呂律で「ただいま」と言いながらドアを開ける瞬間まで。俺はひとりきりの部屋で、たったいま酔っ払った伊勢ちゃんが強姦魔たちにマワされているんじゃないかと本気で怯えていたのだ。
そんなことがあるわけない。やっと分かったからこそ、俺はいまさら強気になれる。
「高岡さんだけですーとか言えば俺が喜んでくれると思ったろ?」
「や……、ちが……っ」
「ちょーっとナメられてんなぁ俺」
「んあっ!」
俺は中指をぐっと突き立て、指先を狭い場所に潜り込ませた。寄り道もまわりみちもせず、伊勢ちゃんのいい場所だけを狙う。伊勢ちゃんの息がくるしそうになるとうれしい。
「あっ、あ、あぅ」
「……」
「やっ、そ、そこばっかやですっ」
「うん、やだろうね。いやそうなことやってんだもん」
「や、やだって……っ」
「うん」
伊勢ちゃんは小さい声でまた「やだ」ともらす。俺は「うん」と返す。伊勢ちゃんは首を枕にのせたままぶんぶん振る。俺は「うん」と返す。抵抗の方法を思いつけない伊勢ちゃんは、泣きそうに顔をゆがませる。俺は笑う。
「やだやだしてるとこもかわいい」
「も、や、やだから……っ」
首を振って「やだ」と言う。子供みたいな手段で逃げだそうとするけれど、それだけじゃ解放してもらえないことは、きっと本人がいちばんわかっている。
「い、いれてください」
「あーおねだりみたいなね、そういうのね。そういうのもかわいいよね」
「ちょ……、いーからはやく……っ」
「かわいいんだけど、今日はそういうんじゃないんだよね」
伊勢ちゃんはかたい拳もみぞおちを蹴れる足も持っているはずなのにこういうときどうしても俺に勝てなくて、俺みたいなどうしようもない男に逆らえなくて、しぶしぶ言いたくないことだって言う。死んでもいいたくないような恥ずかしい台詞を、真っ赤になって口にする。それがかわいい。
「ど、どうしたらいいんですかあ!」
「んーどうしようね」
「ど、どうしようねってなにっ……」
「俺のことがだいっすきな、えろくてかわいい伊勢ちゃんが見たいんだよなー」
伊勢ちゃんはいつでもえろくてかわいい。俺のことがだいっすきなことも知っている。けれどそれをもっともっと、視覚でも聴覚でも嗅覚でも感じ得たいのだ。
「だからそれどーしたら正解なんですかっ」
「いつもよりもっと気持ち良くなってほしいんだよ」
「そんなこと言われてもっ……」
伊勢ちゃんはひとりでは正答を導けない。だから俺は、提案するのだ。
「このままいってみよっか?」
伊勢ちゃんは目を見開いて俺を見た。指先を激しく動かし、伊勢ちゃんの大好きな同じ場所を擦った。伊勢ちゃんは「あ、あっ」と困惑の喘ぎ声をあげた。さらに強くしつこく擦ると、伊勢ちゃんの目もとから大粒のしずくがこぼれた。あ、泣いちゃった。伊勢ちゃんの涙は敗北のサインだけれど、だからと言って甘やかしたりはしない。
「ど、どういうことですか……?」
「男はね、慣れてくると後ろだけでいけるようになるんだよ」
「え……?」
「伊勢ちゃんもできると思うから、今日はおちんちん触んないで後ろだけでいってみよう」
「な、なにそれ……っ!」
「なにって、そのままの意味だけど」
「や、む、むり、むりだから」
「無理じゃないから」
「む、むり、ぜったいむり、ん、あ」
「大丈夫だからがんばってみよ」
たしなめるようにしながら指先は止めないでいる。伊勢ちゃんは子供みたいに泣きながらどうしようもなく喘いでいる。ときどきはキスしてあげる。伊勢ちゃんはキスしながらも込み上げる衝動を発散できず、「ふぇ……」とまた泣いた。食べちゃいたいと思った。
「ん、んあ、あっ」
「つらそ……」
「ふ、つら、つらいぃ」
「いっちゃえば楽になるよ」
俺なりのやさしさを持って語りかけるごと、伊勢ちゃんの目からは涙が溢れるばかりだ。汗と涙と溢れる液体と、伊勢ちゃんは小さなからだのどこにこんなに水分ばっかりたくわえているのだろうと思う。伊勢ちゃんはどこもかしこもぐしょぐしょになりながら、襲いかかる快感に耐えている。
「お、おねがいしますもうむりですっ」
「うん、がんばろうね」
「もーむりってまじもうもうむりむりだからぁ!」
「うんうん、もうちょっとだよ」
切羽つまってきた伊勢ちゃんはとつぜん饒舌になった。最後の力を振り絞るようにして、俺の前で白旗をぶんぶん振る。けれど俺はそれを気にせず、弱いところをしつこくじっくりと責め続ける。ふやけそうな指先で、丹念に擦りつづける。
「いや、いやだぁ、も、もうむ、むり、むりだからもう」
「うんうんそうだね」
「たす、たすけて」
そしてどうしようもなくなった伊勢ちゃんは切実な懇願までする。そんな風に泣かれては、とんでもなく非道なことをしているみたいだ。それはそれで興奮するけど。
「やらぁ、あ、あぁ」
いよいよかつぜつも怪しくなってきた。やらぁと喘ぎながら焦点を失いつつある目で必死に俺を見ようとしている。舌も眼球もほとんど動かず、けれど正解を求めるように俺に訴えかける。伊勢ちゃんは見ている方が苦しくなるくらい、耳まで、爪のさきまで真っ赤になっている。耐えずに、解放すればいいのに。
「あ、あ、あ、も、むりっあっ」
「いっちゃう?」
「う、あっ、んあ、あ」
「いっちゃっていいよ」
「あ、あー……っ!」
伊勢ちゃんが狭い喉をつりあげか細い悲鳴をあげた。その瞬間、誰も触れていない伊勢ちゃんの性器から、白い液が溢れ出た。伊勢ちゃんは大袈裟に身体をそらせ、顔を歪めて絶頂をやり過ごすと、すべての力を失ったようにシーツにぐったりと寝そべってしまった。
「すげぇ、いけるんじゃん伊勢ちゃん!」
「は……っ」
「すげぇよ、やったな!」
力なく寝そべった伊勢ちゃんを抱きしめる。はじめて一等賞をとってきた息子をほめたたえる父親の気持ちだ。この子ならきっとできる絶対できると信じていながら、実際に課題を乗り越えたときうれしくてかわいくて撫でまわしてしまう。
はじめのうち精根尽き果てたようにただ寝そべっていた伊勢ちゃんは、荒い呼吸が落ち着くと徐々に意識を取り戻し、しばらくすると生意気な言葉を吐けるまでに回復した。
「た、高岡さんがきょーせーてきにさせたんでしょ……!」
「いやでもほんとにできると思わなかった! ほんっとすげぇな!」
伊勢ちゃんは500mを全速力で駆け抜けたように、肩も肺のあたりもふわふわ動かしながら呼吸を繰り返している。どこを見ているのか分からなかった目にも徐々に意志が差し込み始める。伊勢ちゃんはがらがらになった喉で、簡潔に感想を述べた。
「つ、つかれた、しんだ、まじしんだ」
「そうなの? やっぱふつーにイくのと違う?」
「ぜんっ、ぜん違う、むり、まじでむりもう二度とやらない」
二の腕のあたりでぐいっと額の汗をぬぐう仕草が、いかにも運動部あがりの活発な男の子という感じで思わずみとれた。俺がみとれている隙に、伊勢ちゃんは身体を起こした。俺は慌てて我にかえる。
「ちょっと待て」
「なんすか……」
「なにさらっと終わろうとしてんの?」
「え?」
「まだ終わらないよね?」
「え……え、ちょ、ちょっと待って」
「待たないよ」
「いや俺もう無理ですからマジで!」
きゃんきゃんと吠えだした伊勢ちゃんの肩を掴んでもう一度強引に押し倒した。間髪いれずに狭い部分に指をいれながら、空いた方の手で近くに置いてあったコンドームをたぐりよせる。
伊勢ちゃんの顔に大きく「まさか」と書いてあった。絶望に捕らわれる伊勢ちゃんを見下ろしながら、俺は歯で噛んでコンドームの袋を破く。
「俺もきもちよくなりたいなぁ」
伊勢ちゃんはなにも言えなくなってしまった。茫然と俺を見あげて首を振っている。俺はにっこり微笑んでその表情を見下ろしながら、コンドームを被せた性器を伊勢ちゃんの小さな部分に押し込むのだった。
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