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不器用な恋人

昼過ぎのとろけた陽光が、カーテンのすき間からワンルームに流れ込む。けだるい。素肌に触れるシーツがかたい。身体のあちこちがしびれるように痛んでいる。目を開けて見慣れた室内にぐるりと視線を漂わせ、乖離していた心と身体が元の形に戻っていくまでの曖昧な時間をやり過ごしていた。喉が渇いている。 かろん、と軽やかに響く音がした。夢の縁を叩く現実の音だ。どうやら、主はキッチンにいたらしい。戸を開けこちらの部屋へ入ってきた高岡さんは、目を開けている俺に気づき表情をゆるませた。 「あ、起きた? ちょうどよかった」 そのまま、返事をしない俺に構うこともなく話しはじめる。こういうとき、俺の脳や心がまだ遠い遠い宇宙をさまよったままでいることも、チューニングには時間がかかることもきちんと知っているのだ。 「なんだかんだ昼飯食い忘れてたし、腹減ってるかと思って今メシ作ってるとこ。とりあえずこれ、ほい」 そう言いながらテーブルに置かれたのは、麦茶の入ったグラスだった。硝子の輝きの内側に、氷もたっぷりおさまっている。先ほどの軽やかな音の正体だ。高岡さんは「ちょっとそれ飲んで待ってて」と告げて再度キッチンへ戻ると、けだるい身体をもてあます俺が起きるよりも早く帰ってきた。今度は、片手に深さのある皿を持って。 「……うまそう」 「こないだレシピ見かけて作ってみたいなーと思って。せっかくだから味付けも伊勢ちゃんの好きそうな感じに変えてみた」 それは素麺だった。しかし一般的に目にする、薬味が添えられたシンプルなものではない。美しく盛り付けられた素麺には肉味噌と小口ねぎが添えられている。ほのかに香るにんにくの香りに、腹の虫が声をあげた。 「……まじでめちゃくちゃ美味そうなんですけど!」 「美味いよ。どうぞお食べください」 「あざっす! いただきま、あ……っ」 思わず情けない声をあげてしまった。食事をするため意気揚々と身体を起こした途端、身体の内側におさめられていたものが重力に従ってとろり、と垂れてきたのだ。たとえようのない独特の感覚に臀部へ目を向けあわてて手で押さえようとすれば、生あたたかさの残る高岡さんの精液が指先にうつった。拭き取りきれなかった精液は、そのまま内太ももを伝っていく。高岡さんはその動きだけで察したらしく、咄嗟に手を差し伸べてきた。 「あ、先に風呂入ってきたほうがいいな。ほら」 「い、いや、一人で大丈夫なんで……」 気恥ずかしさをごまかすように、急いで立ち上がりバスルームへ駆け込む。差し伸べられた手はさみしそうに取り残され、まるで悪いことをしているような気分になった。 蛇口をゆるくひねればシャワーヘッドから湯がとろとろとこぼれ、ユニットバスの内側を滑っていく。まだ身体の中にくすぶっている熱もろとも吐き出すつもりで、ゆるく指を動かした。しばらく、そうしていただろうか。 「……大丈夫?」 「え、あ、はい」 顔をあげると、高岡さんが薄く開けたドアからこちらを覗き込んでいる。じ、と遠慮なく刺す視線の前で処理を続けるのははばかられ、手を止めて見つめ返せば何か言いたそうな瞳にとらわれる。高岡さんの挙動が妙に気になるとき、というのは結構あって、ほとんどの場合なにかこう、よからぬ圧を感じる。また行為の続きをはじめるつもりでは、と疑いはじめたとき、高岡さんが小さくつぶやいた。 「……ごめんね。次はちゃんと優しくするって約束するから」 「は、なんすか急に」 「いや……俺いっつも、伊勢ちゃんの身体に負担かけたくない、もっと丁寧にしたいと思ってるのに、すぐ理性ぶっとんじゃって、なんつうか説得力ねえな……って……」 声は弱々しかった。話しながら考えを整理しているのか口元に手を当て、磨かれた床に視線を落として自らと向き合う姿は叱られた子どものように見えた。 「いや、本当に思ってるんだよ。本当に、いつも俺ばっかり勝手なことしちゃって、まじで申し訳ないっつーか。そのくせまたヤっちゃったなー……って本当……。それこそ中出しとかって俺の欲100%じゃん。俺が気持ちいいばっかりで、我慢できなくて、伊勢ちゃんに負担かけて……だけどいざはじめちゃうと頭あつくて訳わかんなくなって、結局同じこと繰り返してるから……」 高岡さんはまるで贖罪のように、こうべを垂れて弱々しい息を吐く。答えられないのは否定的な考えがあるからではなく、むしろあんまり素直に共感してしまったからだ。 このところ、休日のたび昼前に目覚め、活動をはじめるのは夕方からというスケジュールをこなしている。今日も例にもれず、ずいぶん寝坊して起きてからも惰眠に抵抗できずゆるやかな時間を過ごしていた。 ふいに高岡さんが覆いかぶさってきたので、俺は「重いんですけどお」とかなんとか言いながらかわそうとした。すると高岡さんは「俺この一ヶ月で3キロ痩せたんだけど?」と妙に強く主張して、俺の「重い」を覆そうと躍起になった。そのどうでもいい小競り合いが、先に身体の触れ合いを見据えた仮想プロレスであると気づくのに時間はかからなかった。高岡さんはどさくさ紛れにくちびるを奪い、そのまま熱さを秘めたてのひらを身体へはわせはじめる。ぼんやりと眠気の残る身体にその刺激は心地よく、朝からというか昼からというか、ともかく行為に及んだのだ。そのとき高岡さんは、何も言わずコンドームをつけて挿入した。体位を二回変えて一度ずつ射精し、また寝起き同様にシーツへ倒れ込んだのだ。 くったりと寝そべったまま、薄明るいまどろみの時間をむさぼる俺たちはなかなかシャワーを浴びる気になれず、ときどきスマホをいじってみたり、くだらない動画で笑ったりして午後の時間を溶かした。しばらくすると高岡さんが、何を言うでもなく俺の髪を指先でもて遊びはじめた。最近気づいたのだけど、これは甘えたいときのサインだ。 そのままもつれこんだ二回目、どういうやりとりがあったのか曖昧だが、今度は俺が主導権を握って高岡さんに愛撫する流れになった。身体の上にくちびるを落とし、やわらかく吸い付きながら指先を這わせていく。そんな俺を見て高岡さんは終始余裕げにしていて、俺と目を合わせてはにやにやといやらしく笑っていた。悔しくてどうにかイカせてやろうと躍起になると、気迫が伝わったのか高岡さんも意固地になり、気を緩ませまいと言わんばかりの強固な態度に移ってしまった。それどころか「伊勢ちゃん、どっちが先にイくか勝負しよっか?」とまで言う。二つ返事で受けて立ち、そこからはもう、自分をごまかしながら高岡さんを責め立てるのに精一杯になった。高岡さんだって同じだろう。イキそう、というのは敗北宣言のようで、どうにかいち早く相手に降参してもらえないものかと必死になった。高岡さんがバックの姿勢になり、ぱんぱんに反応した性器をずるりと孔へ当てながら「……挿れていい?」と聞いたのは、この静かなる戦いに決着をつけるためにはそれがもっとも手取り早いと思ったからだろう。売り言葉に買い言葉、と言うのもおかしな話だが、「挿入すれば自分の勝ちだ」とでも言いたげな対応に腹が立ち「いいですよ。そのまま挿れてください」と言った。そう、俺が言ったのだ。挑発するような言い方に、高岡さんも触発されたのだろう。我慢汁でぬるぬるになった先端をつきたてたかと思うと、一気に奥まで貫いてきた。正直俺はそれだけで軽くイってしまったのだけれど、バックの姿勢であるのをいいことに自己申告はせず、背中も太ももも震わせながら耐え忍んだ。いつか、高岡さんが「バックでしてるときの背中のラインがエロくてやばい」と言っていたのを思い出し、これ見よがしに背中を逸らして見せつけるように喘いだ。そこからはもう、あんまり記憶がない。理性も理屈も吹き飛んで、互いの心身を貪り合った。「丁寧に」も「優しく」も、そんな約束はまるで無関係に、ぶつかりあうようにして。 そして次に気がついたときには、高岡さんはキッチンに居た。冒頭に戻る。 「……それで落ち込んでんすか? なんで?」 「……わからん……賢者タイム……?」 バスルームから出ても、高岡さんはまだ憂鬱そうな表情をしていた。どんな言葉が適切か探っていると、ふいにチャイムが鳴った。間髪を入れず、宅配業者が社名を名乗り上げる声が聞こえてきた。 「俺でるわ。あ、メシ食ってていいからね」 高岡さんは立ち上がり、キッチンスペースとつながった玄関へ向かう。俺はお言葉に甘えてテーブルにつき、せっかく作ってもらった素麺に手を伸ばそうとした。 さて断っておきたいのだが、故意に見ようとしたのではない。他意もない。しかし結論から言えば、見えてしまったのだ。高岡さんのスマホが、つい先ほどまで閲覧していたであろう内容を表示したまま、ご主人の帰宅を待つようにテーブルの上で鎮座していたために。画面はちょうど検索エンジンを示し、高岡さんが検索していたワードの履歴が見えてしまった。 セックス 負担 セックス 丁寧 恋人 嫌われたくない 「思ったより早かったなあ。こないだ通販で注文したやつもう届い……どうした?」 「……いや?」 戻ってきた高岡さんは、笑いをこらえきれないでいる俺に気がついて不審そうな表情を浮かべた。なるべく何気ない調子を装い「この素麺めちゃくちゃ美味しいです」と伝えると「あ、よかった。自信作」とほほえみながら、受け取った段ボールを床に下ろす。そうしているあいだにテーブルの上のスマホには画面ロックがかかり、暗い画面だけが表示されている。高岡さんは何も気づかず、こちらに背を向けて段ボール箱を開ける作業に取り掛かる。その丸まった背中が、妙に愛おしく映った。 「……高岡さん、かわいいですね」 「え、なに? どうしたの急に」 不思議そうに振り向く高岡さんへ、なにから伝えようか考えながら素麺をすする。どこかで風鈴の音が聞こえる。

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