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我々は動物

ときどき、セックスの途中に、理性が剥がれていくべりべりという音が聞こえる気がする。 入り込んだ指先の動きにあわせて荒い呼吸を繰り返す伊勢ちゃんが、あまりに可愛いので額にキスをした。 「……挿れていい?」 伊勢ちゃんはこくこくと静かに頷いた。俺はそれを確認し、性器の先をあてがった。先端の方が少しだけ入り込む最初のときが、一番つらいらしい。コンドームを被った先端が狭い入口を押し広げ、伊勢ちゃんは歯を噛みしめて耐えている。 「……痛い?」 尋ねると伊勢ちゃんは薄く目を開いて、今度は横に首を振った。まばたきの隙間に、涙が零れた。強がり唇を噛みしめる伊勢ちゃんの代わりに、涙が本当のつらさを語っていた。透明な涙を舐めたいと思った。けれどとにかく今は、半端に硬直したこの状況を先へ進めなければいけない。 「ん、う……っ!」 「あ……っ」 「あ、うぁっ」 伊勢ちゃんと身体を重ねるようになってしばらく経った。毎度、なるべくゆっくりやさしくこなしてあげたいという気持ちは変わらない。けれどそれでもいまだ加減できていないときがあるようだ。 そのことにはいつも自分で気付く。ひどいと終わったとき、シーツに血がついていたりすることもある。伊勢ちゃんは強がるので、自分から訴えることは絶対にない。 俺は慌てて「大丈夫? ごめんね」と熱い身体を抱きしめる。伊勢ちゃんは涙をぬぐい、「謝るならしないでください」と冷たく言い放つ。正論だ、なにも言い返せない。 「伊勢ちゃん……もうすこし」 「ん、あっ、あ」 「あ……入った」 けれどその正論は受け付けられない。極端なことを言うのならば、行為中の俺は俺じゃない、からだ。 「動いていい?」 「……お好きにどーぞ……」 「そんなこと言うと好きにしちゃうよ、ほんとに」 ふだんは何していたって可愛くてたまらず、抱きしめたいしキスして撫でて、甘やかすだけ甘やかして骨の髄まで可愛がってあげたいと思う。心の底から、だ。 「あ、ん……っ!」 「は……伊勢ちゃん……」 「あ、あっ! あっ!」 けれど行為中は可愛さ愛おしさの末泣かせてしまいたくなる。犯して泣かせて、いやだやめてと懇願する顔を見ながらいじめぬきたい。日中の自分を覆すかのように、むしろ加減なんかする必要がないとさえ思ってしまう。自分でも自分が手に負えない。だから理性を手放すことは本当に恐ろしいのだ。 「あっ、んぁ、はぁ……っ」 もっと泣けばいいのに。微かな痛みさえ伴った恐ろしい快感にのまれて、訳分かんなくなって心細さで泣けばいいのに。精液と涙にまみれたシーツの海で、溺れて息さえできなくなればいいのに。腰を打ちつけるたびにそんなことばかり思う。 「あ、あ、あっ……!」 そして現実も法律も明日の天気もなにもかも分からなくなって目を閉じても開けても俺しかいなくて逃げたくても逆らいたくても脳がはたらかなくなって仕方なくしがみついてほしい。 「伊勢ちゃん」 「ん、はい……?」 「後ろからしよっか」 「あ、はい……」 一度性器を抜くと、伊勢ちゃんは肘をついて身体を反転させた。そして枕に顔を埋め、膝をたてて臀部を突き出した。恥ずかしい部分を惜しげもなく曝け出し、俺を待っている。 「……」 「……た、高岡さん?」 「ん?」 「あ、あの……」 挿れないままでしばらく醜態を見つめていると、伊勢ちゃんは不安げに俺を振りかえった。はじめはこの格好になることさえ散々恥ずかしい男の恥だとごねていたのに、今では自らポーズをとり挿れるのが遅いと不安になってしまう。いつからこんなにエロくなったんだろう、俺がしてしまったのだろうけれど。 「挿れてほしい?」 「……は……?」 「そんな格好しちゃって、やらしいねぇ」 白くやわらかい臀部を揉みながら、出てきた言葉は陰湿ないやらしさを持っていた。時折自分の雄臭さを不意打ちで実感してしまうことがある。そういう時、すこし冷静になってしまいそうになる。 「も……っ、高岡さんってほんときもちわる……」 「どうなのかって聞いてんの」 俺はたぶん、焦ったのだと思う。心中を指摘するかのような言葉を跳ね除けるために慌てて取り出した言葉はすこし荒っぽくすさんでいた。だから興奮した。 あ、俺、伊勢ちゃんにこういうこと言うときすげぇ興奮する。毎回セックスの最中に発見すると、はじめて知ったかのような新鮮な感動に溺れる。 「挿れてほしい? もうやめにする?」 「……俺がここでやめますって言ったらつらいのは高岡さんの方でしょ」 「ほんとに口が減らねぇな」 冷静になってしまった俺と同様、束の間の空虚で理性を取り戻したらしい伊勢ちゃんは、生意気な発言さえしてみせる。先程までゆっくり入り込む性器に怯えてあんなに可愛かったのに。 やんわりと苛ついたので、隆起した性器の先で入り口や睾丸のあたりを撫でまわした。ローションを浴びぬるりとした先端にくすぐられるたび、伊勢ちゃんの口もとから小さく声が零れた。 「ん、んあ、あ」 「どうなんだよ、ほら」 「ん、んぁ、ふっ」 「喘いでないでどうなのか言えよ」 日中の俺ならもっと冷静に問うだろう。たとえば昼食をどうするかでもめたとき、もっと優しく冷静に聞ける。どっか行く? なんか作ろうか? 伊勢ちゃんなんか食べたいものある?  答えを出すのに時間がかかっても、だらけた会話が少しずつ論点をそらしはじめても、温厚に答えを待つことが出来るだろう。けれど今俺は、己の昂りを隠すこともなくむしろ押しつけながら、乱暴に答えを促している。 「ん、うぁ」 「どーなんだよほら、さっさと言えよ」 「ん、あ、あ、……ってください、あ」 「あ? なに? 聞こえない」 ああ俺伊勢ちゃんのこと好きなのに、だいすきでだいすきで抱きしめてキスするだけでしあわせなのに、なんでこんな風に当たってしまうんだろう。 けれどざらついた言葉を吐く度、吐いた言葉が伊勢ちゃんのなめらかな背中を汚すたび、ぞくぞくとした波が背中を駆け上り、頭の先まで沸騰するくらい興奮するのだ。 「ん、は……っ、挿れてください……っ」 ぐちゃぐちゃにしたい。どろどろにしたい。汚して泣かせて犯したい。俺は色んなことを考えられる人間だったはずなのに、このときはそれしか考えられないどうぶつになっている。 性器の先の狙いを定め一気に奥まで貫くと、真っ白な背中がぐんと反った。シーツの海で軽やかな波が躍ったように見えた。 「んあっ!」 「ん……っ、中あっつ……」 「は、あっ、んぁ!」 「はぁ……伊勢ちゃん……すき……」 腰を動かすたびいやらしい水音が溢れ、皮膚を打つ音が部屋中に響く。目を閉じると聴覚から掻き立てられ、目を開けると真っ白な背中と骨っぽい肩甲骨、シーツを握りしめる懸命な手の甲が視界に入る。そして性器の先はいつでも熱く締め付けられている。 「あ、んぁ、あっ!」 「は……あー……すき……すきだ……」 そう俺は好きなだけなのだ。汚したいけど苦しませたいわけじゃない。泣かせたいけど悲しませたいわけじゃない。視覚から聴覚から触覚から伊勢ちゃんの存在を感じ、たまらなくなって犯してしまうのだ。強すぎる愛はきっと、破壊衝動と同じものなのだ。 「あ、んあ、いく、いっちゃう」 「ん……だめ……まだいっちゃだめ」 「ん、はっ、あっ、むり、むりぃ、いく」 伊勢ちゃんは途切れ途切れに降参の言葉を吐きながら、身体を震わせて達してしまった。この瞬間が一番ぞくっとする。伊勢ちゃんが俺の行いで呆気なく達してしまった。混乱しながらいってしまうほど気持ち良かったのかと思うと、堪え切れず俺もすぐ後を追ってしまう。 「は……っ、は……っ」 「ごめ……伊勢ちゃ……だいじょうぶ?」 いまだ形を残したままの性器をずるりと引き抜き、息を整えながら声をかける。伊勢ちゃんは枕に顔をうずめ震える身体を沈静させながら、ゆっくりと振り返って肩越しに俺を見た。 「高岡さんってなんですぐ謝っちゃうんですか?」 「え? ……いや、身体、無理させてんじゃないかと思って」 「大丈夫ですから」 「だって伊勢ちゃん、痛かったりつらかったりしても言ってくれないだろ」 話しながらコンドームを外し、ティッシュを引き寄せ簡単に処理をした。伊勢ちゃんの身体も拭いてあげようと、ティッシュを数枚引き抜いた。 「……それにしたって、終わったあとすぐ大丈夫? って聞かれたら萎えるんですけど」 「……そう? ごめんな」 「高岡さんそういうとこありますよね。ヤってる時とそうじゃない時で別人っつーか、ヤってる時あんなんなのに、終わると急にビビリの高岡さんに戻るからすげーやりづらい」 会話を続けたまま伊勢ちゃんの身体にティッシュを滑らせようとすると、ティッシュを乱暴にもぎ取られた。伊勢ちゃんは少し身体を起こしてそのまま自分の手で処理をこなすと、使用済みのティッシュを放りもう一度枕に顔を埋めた。 「俺高岡さんが思ってるほど身体弱くないですから、大丈夫ですから」 「……そっか」 「それにヤってる時のいじわるな高岡さん、け、結構いいなって思ってるんで、いちいち不安になんないでくださいめんどくさい」 伊勢ちゃんは枕に片頬を預けたまま、どこかへ視線を迷わせながらぽつぽつと呟いた。流した目と、困ったような眉、くちびると頬はまだすこし熱を持っているようだ。 あぁこんな可愛い子、いじめて犯して愛したくなって当然だと思う。 「んー……伊勢ちゃーん……」 「おっも、乗っかってこないでください」 「はー……やべぇなー……好きだなー……」 「つーかまじ重い、高岡さんちょっと太ったんじゃないですか? 変な時間にラーメンなんか食ってるからですよいい加減痩せてくださいよ」 「もーお前なんなんだよ、なんでこのタイミングでそんな色気ない話すんだよ!」 いまだシーツに寝そべった伊勢ちゃんに圧し掛かりながら、零れる会話は日常のそれだ。けれど伊勢ちゃんの指先は俺の頬をつまんでいて、俺の指先は伊勢ちゃんの髪を撫でている。部屋中に幸福な空気が蔓延する。酸素がうすくなる。

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