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「歌手になるのかと思って」
ぷつん、と頭の中で何かが切れた。
もし純が怒っているんだとして、それ以上に自分も怒っていた。
「歌手なんて……なれるわけ、ないだろ」
「ほら、やっぱり俺と同じこと言うし、お前分かってくれないから、もう一回言うけど、俺だってピアニストになるつもりはないよ」
「――じゃあ、お前、何になるんだよ」
「ピアノの調律師になりたい」
そっか……お前、ピアノ好きだもんな。うん、知ってるよ。
――いつ決めたんだよ。
言うべき言葉が口から出てこなかった。昨日は約束破ってごめんって言って、いつも通り笑えれば、このまま幼馴染として、親友の顔をしていられた。
もう、無理だった。
はっきりと、自分の夢を言葉にする純を見て悔しかった。何もない自分が悔しかった。
――なぁ、その夢決めたとき、少しは悩んだ? 俺の顔は浮かんだ?
知っていた。
純が自分に相談なんかするわけがない。
頼るばかりで何も返せていない。
純の夢の邪魔しかしてこなかった。
自分がピアノをやめて欲しいって言わなければ、純は演奏家になれた。
ずっと怖くて聞けなかったことの回答を訊く前に突きつけられた。
「……同じじゃない、よ」
純に握られていない右手が、衝動的に純の服の胸元を掴んでいた。
「どうして? 同じだよ、これからだって」
「なぁ俺、お前のなんなの……幼馴染で、親友じゃないのか、お前だって、動画のこと教えてくれなかったじゃんか……バイトのことだって」
言葉が止まらない。
「訊かれれば言ったよ」
「嘘つき」
言うつもりのなかった言葉が代わりに口から溢れた。
寂しいだけなのに。寂しいと言えない。ムカつきすぎて頭がくらくらする。
もっと話をしたかった。けれど思い通りに口が動かない。
親友でも言いたくないことだってある。
自分だって、純へのあてつけのように歌った動画のことなんて知られたくなかった。
恥ずかしかったから。話せば分かること。それだけの話だ。けれど言う必要のない言葉ばかり言っていた。
「……嘘つきって、あのさ、俺も怒ってるんだけど」
「なんでだよ」
「なんで、昨日、俺じゃなくて瀬川くんのところに行ったの?」
「え……」
「前、喋ったとき瀬川くんが自分のチャンネル教えてくれたから。分かった」
「……そう」
「あの動画撮ったの昨日だよね? 俺、先に約束したのに」
「それは……お前が」
「俺って、お前の都合のいい時だけの親友? 結斗こそ、俺のなに?」
「なに……って」
「抱き枕? 安定剤? まぁ、それでもいいよ、結斗はずっとこのままが良いらしいしね」
ムカムカする。そうやって人をバカにして全部分かったような顔をする。
実際、純は結斗のことを全部分かっている。
今日まで、分かっていないふりをしてくれただけだ
結斗がそう願ったから。
「ッ、人のせいにするなよ、純、お前は、どうなんだよ」
「いつも思うけどさ、ほんと、王様かよ。訊きたいなら自分から言いなよね」
次の瞬間、頭の後ろを押さえられて強引に唇を重ねられた。中学のときに純が頬にした温かいキスは確かに親友のキスだった。安心した。ふわふわと心地よかった。
酔ってしたキス。
親友じゃなくなった。不安でいっぱいになった。苦しかった。
三度目の優しさの欠片もないキス。気持ち良くてたまらない。こんなに、腹がたつのに、怖いのに、悲しいのに、大好きで嫌になる。
「俺、好きだよ。結斗のこと」
花も実もある。そんな完璧な純が嫌いだ。
これ以上優しくしないで欲しかった。もっと優しくされて甘やかされて、抱きしめて欲しくなるから。
もっとキスがしたかった。こんなにしたくないのに。
ずっと、純の気持ちを聞きたくなかった。怖かった。これ以上、純の未来をめちゃくちゃにする自分が許せなくなる。
「こんなの、嫌だ……」
嫌なところがないところが嫌だった。
「もう、いい加減諦めろよ。結斗のこと大好きだけど、そうやって、すぐ逃げるところは大嫌いだ」
「ッ……」
悔しい。ムカつく。
「ねぇ親友とキスしたら、お前は勃起すんの?」
「ッ、分かってるよ! 俺が、変なことくらい! 俺の変にこれ以上、純を付き合わせたくねーんだよ!」
「誰も変とか言ってないだろ、この分からず屋!」
「っ、ぅ……」
純の大きな声を初めてきいた。
純の言葉に一瞬で、涙腺が決壊していた。
純の膝の上でぼたぼた涙をこぼしている。
人ってこんなに涙が出るんだって初めて知った。純の家の帰りみち自転車でこけて骨が折れた時だってこんなに泣かなかった。
初めて、大嫌いって言われた。初めて怒られた。初めて喧嘩した。
純と同じくらいにすごい才能があれば、音楽をすれば、同じように動画を上げれば、何か変わるかもしれない。自分の純への歪んだ気持ちも何か変わるかもしれない。昔に戻れるかもしれない。同じに、幸せだった純の半分に戻れるかもしれない。
無理だった。もう戻れない。
「俺だって、お前が、好きなんだよ、分かれよ! バカ!」
こんなの駄目に決まってるだろ!
持ってきた土産の袋を投げつけて純の家から逃げてきた。
何を投げても、いつも当たらないのに、この日は見事に純の上半身に当たった。
自分でも捨て台詞は、どうかと思った。
その日、ごめんなさいって、メッセージを送ったけど純から返事は返ってこなかった。当たり前だ、何に対してごめんなさいか書いていないから。
純の既読スルーも初めてで、その夜は一睡も出来なかった
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