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エピローグ:ハッピーエンドのコロブチカ

 ホテルのチェックアウトしてから、せっかくだし、と二人で朝から街を観光をした。  付き合う前から付き合っているようなものだったけど、初デートといえば初デートだったのかもしれない。  なんだか、いつになく、ふわふわした幸せな気分で純の隣を歩いていた。けれど、時間を経るごとに、思考は現実世界に戻ってくる。  クリスマスの魔法は、もうとけた。  帰りの新幹線まで時間があったので、静かなカフェでお茶をしていたのだが、帰り時間が近づくごとに結斗は憂鬱な気分になっていく。  高層ビルの中にある店は、ガラス張りで見晴らしも良く、気がかりなことがなければ気分良くお茶の味も楽しめたのに。 「……帰りたくない」  結斗は外の景色を見ながらそう吐き出した。  雪も降っていないし、冬のすっきりと晴れた貴重な青空。  純と仲直りだって出来たし、お互いの気持ちも伝えあったし仲がいい幼馴染から恋人同士になることが出来た。  こうやって、クリスマスも二人きりで楽しくデートして過ごしている。  誰だってハッピーエンドだと思う。  現に「帰りたくない」って言うと、色ボケしている純は結斗に向けてキラキラと目を光らせて喜んでいる。  純の周囲から三回くらい喜びのグリッサンドが聴こえた気がした。 (マジで幸せそうだな)  結斗は純と片時も離れたくないと、可愛いおねだりしているつもりはなかった。  結斗は、本気で! 家に帰りたくないのだ。何もかも知られている親に、どんな顔をして会えばいいのか分からない。 「もう少し、遊んで帰る?」 「そうじゃなくて。俺さ、どんな顔して家に帰ればいいと思う?」 「いつも通りでいいんじゃない?」 「お前はいいよ。うちのババアにも、由美子さんにも、俺のこと……す……好き……とか言ってるんだからな」 「うん、好きだよ」  色ボケも大概にしろ、と二人がけテーブルの正面に座る純に手を伸ばして、手の甲をぐにってつねった。 「俺は、真面目に! 困ってんの!」 「例えば、どんなところで? 俺が、結斗とずっと一緒にこれからもいたいって思ってて、結斗も同じように思ってくれてるんでしょう」 「……うん」  改めて言われると、恥ずかしい。それこそ今更なんだけど。 「ほら、幸せ。何も困らない」 「世間体、とか」 「それも今更じゃないかな。幼馴染にしては、距離近すぎるし、仲良すぎるって思われてるよ」 「わかってるなら、もっと……早く変だって言えよ。純が何も言わないから」  甘えて好きなだけ一緒にいてベタベタしてた。 「言ったら、くっついてくれなくなる。それに――変とか思ったこと、俺はないよ」  甘いな、と思った。目の前のショートケーキの最後の一口を口の中に放り込む。 「……純、本当に俺のこと好きだな」 「結斗もでしょ?」  結斗自身このままではいけないと分かっていた。対策だってしていた。でも実際のところ「大丈夫」の感覚は、だいぶ麻痺していたし二人にしかわからない親密さを漂わせる空気が、当たり前になっていた。  長く一緒にいすぎたせいだ。  純は何もかもわかっていて、やっていたのだけど。 「あー……お前と俺しかいない世界に今すぐ行きたい」  真剣にこれから先のことを考えて悩んでいるのに、会話だけ聞けば、ただのバカップルだと思った。 「あ、それは、いいね。じゃあ、今から行く?」 「なに、家帰るのやめて、今から一緒に国外逃亡してくれるの? ……それもいいかもな、でも、うちのババアはいいけど、由美子さんには、やっぱちゃんと挨拶したいから、先にアメリカ寄って、あー、パスポートねぇー」 「律儀なのか意気地がないのか……どっちだよ。ほら、行くよ、ゆーい」  そう言った純についてカフェを出ると駅の方にまっすぐに向かっていた。流石に本当に純が国外逃亡に付き合ってくれるとは思っていないけど、結斗の気がすむまで放浪の旅に付き合ってくれるのならありがたいと思った。 「純、で、どこいくんだよ?」 「いいとこ」 「いいとこねぇ」  連れられるまま歩いていると、昨日、純が弾いたストリートピアノが置いている場所へ向かっていることに気づいた。  時間は丁度、昼食どきが終わった頃で駅の人の波は落ち着いている。  昨日のクリスマスイブと比べれば、人は少ない方だった。  今日はピアノの前に待ちの列はなくて、前の人の曲が終わったタイミングだった。 「ゆい、ピアノ弾いてもいい?」  純と結斗だけの世界。  確かにピアノを弾いている時は、二人きりの世界だ。 「あ、やっぱり弾くのな。いいよ。俺は横で聴いてるから」 「えー、歌ってくれないの?」  そう言って純は名前を書き、席が空くと純はピアノの前に座った。  純に一緒がいいって、おねだりされる。悪い気はしない。 「……べ、べつに、歌ってもいいけど、何弾くんだよ」 「コロブチカ」  前言撤回。無理。 「歌えるかよ、ロシア語!」 「日本語の歌詞もあるよ? 小さい頃歌ってたじゃん、結斗、らららら~って」 「歌詞そのまま歌ったら不穏すぎて、界隈で出禁になるぞ」  昔、テトリスにどハマりしていた時に、純が弾いてくれた曲だった。元々はロシア民謡。  若い行商人がナンパしたお嬢さんと一夜を共にして、ハッピーエンドと思いきや最終的には金目当ての野郎に殺されて終わる話。  どう考えても、クリスマスに歌う曲ではない。 「じゃあ、踊る?」 「踊らねーよ」 「ま、楽しい旅行気分ってことで、結斗に捧げます」 「ばーか、言ってろ」 「本当なのに」  軽口を言い合ったあと、純はピアノに向き合った。  普通に弾くわけないだろうなと思っていたら、予想通り曲はアレンジだった。最初はコロブチカを叙情的に聴かせてきたが、途中からゲーム音楽を取り込んで音とリズムで遊び出す。  最初から周りも乗せる気だったのか、テンポが上がりだしたところで、後ろ見れば動画でよく見る光景が広がっていた。人だかりが出来て皆が純の演奏の虜になっている。  それを見て、結斗は「あー、やっぱり嫌だな」って思ってしまう。  純を独り占めしたいと思っている。恋人同士になったところで、独占欲はどうしようもない。この先も、きっと純のピアノに人々が魅了されるたび、同じことを思い続ける。  それでも、以前とは違う、恋人同士なんだと思うと、我慢できなくなるような変な焦燥感はなかった。  恋人の余裕? バカップル。  なんでもいいけど。そういった類の気持ち。  この先も一緒にいるから大丈夫だって安心をお互いに渡しあったから、こうやってこの場所に一緒にいても一緒に音楽をやっていても苦しくない。  そんなことを思っていたら、ちらり、と横から純の視線を感じた。 (あ、歌うのな)  丁度、純に向く周囲の視線にフラストレーションが溜まってたところだった。  純に、ほら周囲の目なんか、気にならないだろ? って、言われている気がした。  結局、どんなに周りの目を気にしたって、世間体を考えたって自分の欲しいものは欲しいし、これは自分のものだって主張したい欲求は、どうやってもおさえられない。  曲の繋ぎの数音で分かった。この前、瀬川が勝手にアップロードした自分が歌った曲。  元の曲がわからないくらいにアレンジして歌っている。そして、純は、それをちゃんと聴いて覚えているし正確に弾いていた。  ――お前だって、俺のこと、独り占めしたいんじゃん。  純も同じように思っているんだと思うと、煽られた。  そして、気づいたら歌っていた。  もっと、最初から、こんなふうに二人でこの場所で楽しく歌っていれば良かった。  一緒に楽しめるものがあって、自分たちをつなぐ音楽があって良かったって思った。  どんなことがあっても、いつだって同じ曲を思い浮かべて、楽しい思い出を語り合って、自分たちの気持ちを繋げてくれるから。  曲が終わり拍手に包まれる。なんだか歌い終わってすっきりしたら、周りに自分たちの関係がどう思われるかとか、親に報告する恥ずかしさとか、もう、どうでもいいやって思った。  帰ったらちゃんとババアにいう。  ――無事に、純と付き合うことになりました、って。  純と一緒にピアノから離れた時だった。 「あの……お時間少しいいですか?」  小型のレコーダーを片手に持った女性に純が声をかけられた。音楽雑誌の取材らしい。  ストリートピアノに関しての特集記事を組んでいるということだった。  純の音楽が、ますます世間に知られていくという嬉しさと、少しの寂しさがあった。  今は、両方の気持ちが結斗のなかにある。  もし、純が、この先もっと有名になって、自分の中でさびしい気持ちが増えても、結斗は追いかけるし、この先も自分だって、どんな形でも音楽を続けたいって、今は思っていた。  純がいたから。歌を嫌いにならずに今日までいられた。  この楽しさを、もっと育てていきたい。自分らしく、自分の歌を誰かに届けたいって目標が出来た。  もちろん、純にも聴いて欲しい。純に一番に聴いて欲しい。 「――では、純さんにとってストリートピアノとは」  女性のその言葉に、純は、結斗の方を見て、ふっと柔らかに微笑んだ。 「好きな人と一緒に楽しめるからいいですよね」 「……な、なるほど、確かにストリートピアノは、音楽を通して、人と人をつないでいますよね、現に純さんの動画は……」 「あ、そろそろ電車の時間があるので、これで」  そう純は言うと、にこりと笑って頭を下げ、結斗の手を引いた。  気づけば、すでに予約した新幹線の時間ギリギリになっている。 「お前、なんつーこと言ってるんだよ、もっと、こう、言うことあるだろ、音楽の普及とか」 「嘘じゃない、ほんとだよ。あー、一緒に遊べて楽しかった。ね、結斗は?」 「本当、お前は………。すげー、楽しかったよ!」  好きな音楽を、嫌いにならずにすんだ。今も昔と変わらず、好きな人と一緒にいる。  このコロブチカは、ハッピーエンドだったらしい。  仲良く二人で帰りましたとさ。  おわり

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