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I
屋敷の外ではすっかり葉を落とした木の枝に止まった小鳥が囀り、朝の冷たい空気を一層引き締めている。廊下の窓から見える寒々しい景色にも慣れたものだが、まだこの暖かさには少し慣れない。
路地で必死に体を縮めパンの欠片を齧りながら、身を切る寒さを耐えていた昔に比べれば、今の自分が置いている環境は随分と恵まれている。暖かい寝床に柔らかな寝床、娯楽に費やす余裕すらある給金。
身一つだった自分を屋敷に招き入れてくれた、懐の深い主人。彼には、とても一言で言い表せない感謝を述べる義理はあれど、恨み言を言うような愚かしい真似はしまい。
突き当たりの、一際豪華な装飾が施された扉の前で立ち止まり、数回ノックした。
「おはようございます、アルベルト様。朝食の準備が調いました」
声をかけてはみるものの、待っても返答がない。そこで耳を澄ませ中の気配を窺う。おそらく、主人はまだ起きていない。だが、決まった時間に起きてこないこと自体は珍しくもなく、己のやるべきことも決まっている。
静かに扉を開き、部屋の中央に位置するベッドに歩み寄る。天蓋をくぐり、乱れたシーツを覗き込むと、彼は予想どおりまだ寝息を立てていた。
「……アルベルト様。起きてください、お時間ですよ」
サイドテーブルにトレイを置き、空いた手で主人の胴を揺する。彼はあまり寝起きが良くない。できることなら、自発的に起きてくれるほうが助かるのだが、そうもいかない。
呼びかけを続けながら辛抱強く揺すっていると、おもむろに瞼が持ち上げられる。緑の瞳がきょろきょろと周囲を見回し、視線はやがて横の人影に止まった。
「おはようございます。朝食のお時間です」
「ヨハンか……ふああ……」
主人アルベルトは大きく伸びをしながら上体を捻り、伸ばした腕をそのままこちらへ突き出した。
ヨハンが身を屈めると、腕が首に回され力強く引き寄せられる。至近距離でヨハンの顔を一撫でしたアルベルトは、口元に深い笑みを刻んだ。
「ヨハン、今日もお前は美しいな」
「……とんでもございません。私など、アルベルト様の足元にも及びません」
「フフフ……当然だ。だが俺は寝台に起こしに来るお前の顔を見るのが毎朝の楽しみなんだ。この金色の毛も、澄み渡る空のような瞳も、本当に美しい……」
そう囁いた唇がヨハンの額に押し当てられる。
されるがままにキスを受けていると、腰に絡んだ脚がベッドへ体ごと引き寄せようとする。シャツ一枚のみを羽織った肢体は滑らかな肌を惜しげもなく晒し、もどかしくヨハンの体面に擦り寄せられる。
意図を察知したヨハンは、アルベルトの肩に手を置き僅かに顔を逸らした。
「いけません、アルベルト様。本日は朝食後すぐヘルムリッヒ辺境伯がお戻りになります」
「兄上など待たせておけばよい。一発抜くくらいの時間はあるだろう?」
「……」
制止の意味はほとんどなかった。ヨハンの股間に当てられた手の甲が上下に動くと、緩い刺激が走り、息を詰めた。
頬や首など肌の露出した部分へ愛撫を受けながら、繊細な手付きで次第に追い立てられていく。膨らみが硬く張った頃には、衣服の中から上向いたそれを外気に晒される。
「無粋者め。素直にいうことを聞いておけ。お前は俺の奴隷なのだからな」
アルベルトは片脚を持ち上げ、奥の窄まりを自らの指で拡げるとヨハンの背中を踵で蹴りつける。口を開いて待ち侘びるそこに昂りを導くと、僅かにアルベルトの肩が震えた。
「申し訳ございません」
「よい。ほら、昨晩の名残で、お前の立派な逸物も容易く入るぞ」
亀頭を押し込むと、さして抵抗なく呑み込まれていく。ヨハンは体勢を整えアルベルトの両脇に手をつくと、一気に直腸の最奥を穿った。
「んぁ……!」
最後に挿入したときから数時間しか経っていないからか、アルベルトの雄膣はすぐに解れヨハンを狂おしく包み込んだ。一旦息を吐き、抜き差しを開始すると、それに合わせてアルベルトが吐息を漏らす。
「あぁ、いいぞ、気持ちがいい、ヨハン、もっと激しく腰を振れ」
「はい」
「そうだ、ン、もっと腹側を……ぁ、あ」
言いつけどおり少し角度を変え、手前に腰を引くと、ビクンとのたうつアルベルトのモノから白濁が飛び散った。
時間にしてみれば長くはなく、ヨハン自身はまだ射精に到底至らない。主人が息を整えるのを待っていると、あらぬ方角へ向いていたアルベルトの視線がヨハンへ注がれる。彼はふっと小さく笑むと、たじろぐヨハンの首筋を優しく撫でた。
「物欲しげな顔をして、そんなに俺の中が心地よいか」
「……はい」
「許可してやる。お前が出すまで続けろ」
「痛み入ります」
そうしてアルベルトはいつものように、片手で枕を抱き口元を覆い隠した。許可を貰い、やっとヨハンは彼の下肢を縫い留め、ゆっくりと腸壁で昂りを扱き始めた。
肉と粘液によって十分に潤った腸内は柔軟に蠢き、瞬く間に高みへ導く。意識を集中させ、射精を達成することだけを考え、腰を振る。
目を閉じ、視界を遮断していたヨハンの耳に、低くくぐもった笑いが届いた。
「限界が近いらしい、余裕のない顔も中々、愛嬌があるな」
主人の言うとおり、自分は今、相当に腑抜けた表情をしているのだろう。しかしそんなことを気にするよりも、今はただ早く欲を吐き出したい。解放されたい一心だった。
「……ッ」
そして、限界が来ると張り詰めた自身を引き抜き、アルベルトの腹辺り目掛けて射精した。量は多くないものの、主人の体を汚したことには変わりなく、ヨハンはすぐに身なりを整えるとアルベルトの肩に上着をかけた。
ヨハンの胸を借り上体を起こしながら、アルベルトは可笑しそうに自らの胸を撫でた。
「昨日もあれだけ出したというのに、相変わらず凄まじい精力よ」
「いえ……申し訳ございません」
「奴隷として申し分ないと褒めている。やはり朝から出すと、清々しく一日を始められるな」
浮かない表情を浮かべたヨハンとは対照的に、爽やかな面持ちで背伸びをしたアルベルトは、支えを借りながら身支度に取りかかった。
「汚れたので先に湯浴みをしてから朝食にする。ヨハン、手伝え」
「畏まりました。すぐにご用意いたします」
・・・
帰還の報せが届いて間もなく、屋敷に馬車が到着した。旅路に同行していた侍女から報告を受け、ヨハンは他の使用人やアルベルトと共に玄関に下り、屋敷の主を出迎えた。
「グンター=ジーゲル=ヘルムリッヒ、只今戻った」
扉をくぐるや否や大仰な口調で姿を現した男――グンターはアルベルトの兄であり、現ヘルムリッヒ辺境伯の爵位を持つ。少し前からとある要件で王城に招かれており、先日その役目を終えたらしく屋敷へと戻ったのだ。
この屋敷に召し使えることになって数ヶ月、ヨハンが彼の姿を目の当たりにしたのは今日が初めてだった。顔つきはあまりアルベルトと似ていないが、気取った立ち姿や仕草は確かに似ている。
グンターは背後に控えた侍女に外套を手渡し、一直線に広間の奥に立つアルベルトの元へ近付いた。待ち受けるアルベルトは彼に向かって会釈をする。
「ご無事で何よりです、兄上。案外お早いお戻りで」
にこやかなアルベルトの挨拶を受け、グンターは不愉快そうに眉間に皺を寄せる。
「早い? 馬鹿を言うな。一体何日無駄な足止めを食らったと思っている」
「だから、『早かった』と言ったんです。交渉にはかなり手こずるだろうと予想していたので。ですがその顔だと、望んだ返答は得られなかったようですね」
「……この件は一旦保留だ。『我がヘルムリッヒ領にて、一部の民衆が不穏な動きをしている』……しかし、王都は今隣国との貿易交渉の上で雲行きが怪しくある状態。下手に人員や兵站を動かせば、こちらが戦を企てていると疑われかねない……と」
「まぁ、もっともな意見です。ただでさえ領内は人の出入りが激しいですから、いちいち目くじらを立てていたらキリがありませんし」
「だが実際に屋敷に侵入しようとした鼠と、鉄や鋼を流している商人を既に捕らえている。無論、彼らがただの盗賊稼業である可能性も捨て切れないが……」
「どうするんです?」
「カサンドラが口添えしてくださった結果、私の部下を偵察に向かわせ、逐一報告をということになった」
「成程、姉上が……」
「まったく、やっと帰れたというのに、しばらく寛げそうにないな。カサンドラばかりにも頼ってなどいられない。アルベルト、お前も鍛錬を怠らぬようにしておけよ」
疲労の色を露に、グンターはアルベルトを厳しく睨みつけた。だがアルベルトはさして気にする様子もなく、いつもと変わらぬ高慢な笑みを浮かべる。
「ご心配なく。私も私の部下も、兄上より幾分優秀ですから。有事の際には騎士の身分に恥じぬ働きをしてみせますよ」
「……フン、せいぜい精進しておくんだな」
あからさまな棘を含んだ返事に、グンターは舌打ちをひとつ残し、アルベルトの横を通り過ぎていく。そのまま自室へ戻るかと思いきや、傍らで控えていたヨハンの姿を認めるとその足を止めた。
怪訝な視線が注がれる。対し、ヨハンは恭しく頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ヘルムリッヒ辺境伯。ヨハンと申します」
「先日から私の世話をさせている従僕です。どうです、中々の美丈夫でしょう?」
アルベルトは自慢げにヨハンの肩を叩きしなだれかかる。グンターは表情を緩めないまま、ヨハンの頭からつま先まで視線を辿らせた。
まるで品定めでもされているようで、心地のよいものではないとヨハンは密かに思う。だがあくまで平静を装った。
「……従僕ならば、私を呼ぶときはグンターでいい。君は北の生まれか?」
「はい。出身はシュレンツです」
「余所者を屋敷に招き入れるとはな……気位の高いお前にしては珍しい」
「そこらの木偶貴族よりも余程よい働きをしてくれますよ」
「まぁ、お前にはお似合いではないか。行くぞ、イルゼ」
「は、はい!」
グンターは踵を返し、足早に階段を上がっていく。呼ばれた侍女は慌てて彼の後を追い、やがて玄関には静寂が訪れる。
階段の奥へ消えていく姿を見送ったヨハンは、密かに溜息をつく。至極小さなものだったが、アルベルトが知ってか知らずか鼻を鳴らしヨハンの背中を叩く。
「気にするな。あの人はああいう嫌味を撒き散らすのが生き甲斐なのだ」
「……いえ。グンター様の言うとおり、私は余所者ですので。ご気分を害するのも致し方ございません」
「まあ今は特別気が立っていたからな。お前は俺の従者だ、兄上に構う必要はない」
「お気遣い、感謝致します」
ヨハンがそう述べ頭を下げると、すぐに下から伸ばされた手に顎を持ち上げられる。上向いた視線の先ではアルベルトが頬を笑ませ、ヨハンの喉元をそっと撫でた。
「お前の善美は主の俺だけが知っていればよいことだ。俺に仕えることを誇りに思え。軽々しく他の者に頭を下げるな」
「はい」
「ヨハン、お前は俺のものだ。しかと心に留めておけ」
「勿論です。アルベルト様にお仕えできる私は、果報者です」
彼がいなければ、今の自分はない。感謝の気持ちを込めて笑顔を浮かべて見せるヨハンに、主人はフフンと満足げに鼻を鳴らした。
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